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孫一物語  作者: 水沢佑
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11/12

⑪ 紀州炎上

 一方その頃。後方にあって安全だったはずの紀州もすでに戦火に包まれていました。

 雑賀衆の一員であった岡衆が秀吉と通じ、22日、湊衆に襲いかかったのです。


 翌23日、羽柴勢の先鋒は早くも根来と雑賀になだれ込みます。

 同志討ちなどしている彼らにろくな抵抗ができるはずもなく、根来寺は跡形もなく焼き払われ、雑賀もめぼしいものは片端から略奪、焼き討ちを受けていきます。

 居城を包囲された土橋平丞は土佐の長宗我部元親を頼って船で逃亡しました。

 湊衆ら他の者も続きますが脱出行は混乱を極め、出帆した船があまりの乗船者の多さに耐えきれず沈むという、笑うに笑えない事態も続出しました。


 かくして、かつて信長たちをさんざん苦しめた精鋭とは思えぬ醜態をさらして、雑賀衆は壊滅しました。

 すでに秀吉の庇護を受け、泉州貝塚に移っていた本願寺は、「雑賀も内輪散々に成て自滅」と嘲笑気味に記しています。どれほど精強な集団であっても、強力な指導者に恵まれなければ烏合の衆と化す……ということでしょうか。



 わずかな兵の守る小雑賀の城(弥勒寺山城)を除けば、宮郷の太田党5千名がたてこもる太田城が最後の有力な拠点となりました。

 太田城を誘降するため、秀吉の配下となっていた孫一は乗り込み直談判しますが、首領の太田左近らは聞く耳を持ちませんでした。

 孫一方の雑賀荘、十ヶ郷と一線を画していた三ヶ郷(宮郷、中郷、南郷)は内紛のダメージが比較的少なく、抵抗が可能だと判断したのかも知れません。

 意気軒昂な城兵の前に寄せ手は損害を重ねます。これを見た秀吉はお得意の戦法、つまり備中高松でやった「水攻め」に切り替えます。


 全長7km、高さ7mに及ぶ堤防が完成、注水に成功したのが4月7日のこと。

 城方はもとからあった堤防を補強して対抗し、また寄せ手も堤防の決壊で宇喜多秀家勢に被害が出るなどして包囲は長期化するようにも見えましたが、21日、海から水軍を呼び寄せて総攻撃をかけ、互いに甚大な被害をこうむります。

 激戦の末撃退はしたものの、甚大な損害に耐えられなくなった城兵はついに翌日、主だった者53名の首を差し出して降伏しました。

 これを受け、城将・佐武伊賀守や泉南戦線より合流した的場源四郎らの指揮のもと、寡兵よく奮闘していた弥勒寺山城も、本願寺の仲介で開城しました。


 雑賀はついに秀吉の膝下へ屈したのです。

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