うなじの紋、夢ならず
風呂から上がると、着物が用意されていた。
それを身に着けて、案内されたところには、豪華な食事が並べられていた。
二人分ある。前は空席だった。
「主様はもうしばらくかかるそうなので。どうぞ、お先にお召し上がりくださいとのことです」
「あ、どうも、ご丁寧に」
主様。主、様? 間継のことだろうか。いや、なんでもいいけど。
広い日本屋敷。謎の使用人然とした幽霊たち。上客のようなもてなし。
どうやって作ったんだろう、これ。
秋臣は水を恐る恐る口に含む。普通の水だった。
その時、ふすまが開かれた。
「なんだ、まだ食べてなかったのか」
以前と同じ着物姿で登場した間継は、羽織の中で腕を組み、こちらを見下ろしてきた。
あっけらかんとした風に、前に腰を下ろした男を睨む。
「うん、つまり間継さんは閻魔大王で、死んだ僕の行先を見極めるためにここに連れてきて、これを食べたら僕はきっとあの世に召されるんだ」
「は? 頭大丈夫か?」
突然何を言い出した、と言わんばかりに眉を寄せた彼に、秋臣はふいっと顔を背けた。
「それはこっちのセリフですよ。初めて会ったときは脅されるし、当たり前みたいに不法侵入して待ち構えてるし、今回は拉致ですよ、拉致!」
頭がおかしくならない方がおかしい。
「その上、なんか幽霊みたいなの沢山いるし、まだ昼なのに! あと人型狐も」
訴えている最中にも悠々とお茶を啜っていた男が、ふぅと息を落とした。
湯呑がコトンと軽い音を立てて、座卓に置かれる。
彼はふと座布団を外して、座りなおし、そっと頭を下げた。
「重ね重ねの無礼申し訳なかった。こちらの事情でそちらを混乱させてしまったこと、深くお詫び申し上げる」
慣れ親しんだような綺麗な所作に、秋臣はぐっと口を噤む。
明らかな二面性が、更に間継という男を、異様にしていた。
なのに、どうしてか拒めない。俺はこの人とどこかで会ったことがあっただろうか?
そんな違和感がある。
おかしなことばかりなのに、それを受け入れようとしている自分がいる。
前の彼を注視した時、ふいにうなじ下あたりに、痛みが走った。
「痛っ……」
同時に忘れかけていた倦怠感が、波のように襲って来た。
そういえば、この不調は、彼と会ってから始まった気がする。
「この屋敷にいても大して効果がないみたいだな。その刻印には」
「刻印……?」
いつしか、こちらを見据えていた彼の言葉をなぞった。
その時、「はい、これ」と鈴音という少女が、大きな手鏡を渡してきた。
「ここ、ここ。見える? 自分じゃ、一番見えづらいところにあるよ」
後ろ襟を引っ張られて、トントンと叩かれた場所をどうにか手鏡で覗き込んだ。
そこには――
「なんだこれ……」
漆黒の墨で書かれたような、小さな紋様が浮かんでいた。
え、俺。墨なんていれてないよね? 入れるとしてもこんなザ・和みたいなの全然趣味じゃないし。
いつもの癖で逃避思考に陥りそうになった秋臣は、自分を諫めて、ひと呼吸おいた。
「もしかしなくても、これ。間継さんが関係してるんですか?」
「お前をこの屋敷に連れてきたのも、バイトに誘ったのもそれのためなんだが」
冬吾。彼が呼びかけてきた。
「この前聞いたのを覚えてるか? お前が見たあの夢。あれは夢じゃない。現実だ」
夢。その単語で秋臣は、いつか見た、真夜中の神社らしき夢を思い出した。
「信じられないかもしれないが、俺が探している妖狐が、お前に刻印を残した。その刻印を消す方法を探す間、バイトとして手伝ってほしい」
間継が再び頭を下げる。
何が何だかわからない。でも……
「ぼくも妖狐なんだよ」
隣にいた少女が愉快げに振り返って、尻尾を見せてきた。
途端、手品のように、狐の姿へと変容した。
――これは、夢なんかじゃない。現実だ。




