礼儀正しき、不法侵入者
最悪だ。
バイトの面接に大遅刻した秋臣は、帰り道で、店長の表情を思い出していた。
コンビニ弁当の入った袋をぶら下げ、一人暮らしをしてまだ日が浅いマンションに向かう。
大学と提携しているマンションだった。
「全部あのイケメンの無駄遣い野郎のせいだ」
ぶつぶつ文句を言いながら、玄関の施錠の番号を押す。
機械的な窓の音に、更に苛立ちを覚えた秋臣は、エレベーターのボタンを無駄に強く押して、三階へ着いた。
通り過ぎた一室に、まだ明かりはない。
湊はまだ戻っていないらしい。愚痴でも聞いてもらおうと思ったのに。
はぁ、と深い溜息をつき、差し込んだ鍵を回した。
「ただいま~」
いつもの癖で伸ばした照明のスイッチに、違和感がした。そこで、部屋に電気がついていたことに気が付いた。
あれ、消し忘れて出っちゃった? うわー、電気代、と眉を寄せたのも束の間、
「おかえりなさい」と声がはっきり聞こえた。
は? 誰? こわっ、え?
反射的に後ずさる。玄関扉に背と、手に下げた袋がぶつかった。
おそるおそる首を伸ばして、奥を見る。1DKだ。見えたのは、黒っぽい布だった。
口端が、ぴくぴくと引きつった。
幽霊? いや、こんな明るい場所に、幽霊はさすがに出ないだろ。さっきの声は、どう考えても人間。
ん? さっきの声……
ハッと気が付いた秋臣は、靴を脱ぎ捨てて、六畳の部屋へ向かう。
「なんであんたが俺の家にいるんだよ!」
そこには、面接大失敗の元凶となった男が、悠々と座っていた。
その服装を見た瞬間、秋臣は首を引く。
和装だった。濃藍の羽織の下には、細かな地紋の入った墨灰色の長着を合わせていた。
羽織の左肩あたりには、太い線で描かれた、彼岸花の紋が入っている。
こちらを見上げてきた彼が、おもむろに立ち上がった。
「先ほどの無礼な振る舞い、ご容赦ください」
脚あたりに手を揃えて、綺麗に頭を下げてきた彼の髪は、外で見るよりも銀色に光る。
「ヤ、ヤ……」
「や?」
姿勢をなおした男が、首を傾げる。赤みを帯びた琥珀色の瞳に、身が竦む。
あちらの道の人に違いない。
「あ、あのワ、ワタシに何のご用か存じ上げませんが……おそらくヒトチガイかと……
先ほども申し上げたと思うんですが、ワタシはひと様の恨みを買うようなことは決して……」
言い終える前に、怪訝そうに目を細めた男が、ふと腰を屈めた。
何事か、と体を強張らせると、正座しなおしただけだった。
「とりあえず落ち着いて座ったらいかがですか」
「あ、はい」
反射的に従って、秋臣は、一瞬冷静に戻った。
いや、ここ俺の家なんだけど。
思わず正座してしまった自分に、向かい合った男が、また小さく頭を垂れた。
「改めて、夕刻の無礼をお詫び申し上げます」
「いえ……はい」
いや、いきなりひと様の家に上がっていることも無礼ですよね。
心の中で毒づく余裕は出来たが、さすがに口には出せない。
「確認したいことがと申し上げましたが、ひとつ、よろしいでしょうか?」
「俺に答えられることなら……」
男は一度呼吸を置いて、スッと目を細めた。
「昨日の夜半。どこかへお出かけになられませんでしたか?」
「え?」
突然の事情聴取のような問いに、意味もなく心臓が跳ねる。
いや、疑われるような後ろ暗いことは、一切ない。
「昨日は普通に大学終わって、ご飯作って、そのまま家にいましたけど。
湊――数室隣の友人と少し話しはしたけど、マンションからは出てませんし」
思わず、早口になった。
「近辺で何かあったんですか? その……騒ぎとか……」
やばい人たち同士の抗争とか。
「何か勘違いされているようですが……ああ、名乗りが遅くなって申し訳ありません。
間継律と申します」
「あ、冬吾秋臣です」
今更の自己紹介に、やはり反射的に秋臣は名乗り返した。男が一瞬、眉を潜める。
「冬吾?」
「え、はい」
男は重い息を吐きだしてから、「鈴音」とどこかへ向けて、口にした。
「はいよ~。あ、また会ったね。いい匂いのする人間」
空間から溶け出すように現れたのは、あの少女だった。
同じ浴衣姿の後ろから出てるのは――
「尻尾!?」
ふわふわの金色の尻尾だった。
「あ? やっぱり見えるのか」
口調が変わりすぎて一瞬、誰かわからなかったが、前の男しかいない。
「鈴音。俺は暗くて見えなかったが、合ってるか?」
「うんっ、そうだね。この子の匂いは覚えてないけど、あの方の匂いがうっすら」
二人の周りをくるくる回った少女は、秋臣の背に抱き着いてきた。
「あ、ここ。ここから匂いする」
うなじあたりをくんくん嗅がれた末、Tシャツの後ろ襟を乱暴に引っ張られた。
ぐえっと情けない声と共に、後ろに倒れそうになった時、手を掴まれた。
「ちょっと失礼」
次は手を強く引っ張られて、前のめりになった秋臣は、自然と男の肩に顔が埋まった。
「冬吾、冬吾か」
ぐいっと肩を掴まれて、引き離される。
な、なんなの……!?
「あの、いい加減に……!」
「昨夜、この鈴音みたいな何かを見ませんでしたか」
圧のかかった眼差しを向けられる。見たに違いない、そんな口調だった。
少女のような何か……
男の赤みがかった瞳を見て、秋臣の脳裏に、とある情景が蘇った。
「夢。そういえば、夢は……見た気がしますけど……」
「どこの夢?」
「なんかこう、長い階段があって、高い木があって、すごく暗くて、多分深夜で……」
何度目か、わらないため息が返ってきた。
「どうやって誘われたのか知らねぇが……なんで俺じゃなくて、こいつの前に……」
途端、胡坐を掻いてぶつぶつ言いだした男と、未だに部屋を駆けまわる少女。
本当に意味がわからない。なんなんだこの人たちは……
あちらの道の人じゃないなら、やばいカルト系か?
どうにしろ、話が通じる気がしない。
いい加減うんざりしてきた秋臣は、混乱で忘れていた怒りを思い出した。
未だ何か考え続けている男を見て、立ち上がる。
「あのですね! いい加減にしてください! 何かわかりませんけど、不法侵入不法滞在ですよ!
なんでもいいから、さっさと出て行ってください!」
玄関を指差して、声を張り上げた。
「こっちは、試験の勉強しないとだし、あんたのせいでバイトの面接、大遅刻しましたからね!
どうせ落ちるし、新しいバイトの面接先探しさないと。とりあえず、忙しいん――」
「お前、うちで働け」
「そうです、バイトしないと――」
え?
「バイト探してるんだろう?なら、うちで働けばいい」
「――はい?」




