風鈴の音、夏を思ひ出す
書類を片付けていたら、とっくに陽は沈んでいて、時計を見ると二十二時前だった。
まぁ、その甲斐あって、ほとんど片付けられたし、今日はまともに眠れそうだ。
玄関の鍵を閉める。入口の扉を屋敷に繋いだ。
冬吾は寝ているころだな。早寝早起きの天才を自称するだけあって、彼の就寝時間は早い。
――しかし今回も、間継の予想は大きく覆された。
「かーえーるーのー、うー、たー、がー」
おお! すごくない!? 俺、めっちゃ演奏出来てる!
「おい」
居間に入ると向こう側のふすまを全開にして、縁側の軒先に吊るした風鈴を鳴らしている秋臣の姿があった。
「きー、こー、えー、あれ、こっちだ。えー、て、てぇー」
風鈴はひとつじゃない。いくつも並んでいて、その間を器用に行き来していた。
「素晴らしい御業です、冬吾様」
「さすが冬吾サマ。感服致しました!」
「ぼくにもさせてよ」 「わたしもわたしもー」
極めつけは、何故か彼の周りに、屋敷の妖怪が集まっていた。
どういう状況だ……?
この風鈴。見たことがある。たしか物置に仕舞いこんでいたはずだ。
「おい、お前ら」
「あ! 間継さん、おかえりなさい! 今、ちょうど俺の演奏披露を! あ、もしかして聞いてくれました?」
顔を明るくして歩み寄ってきた秋臣と妖怪たちを見比べると、妖怪たちがどこか気まずそうに目を逸らした。
「主様、お疲れ様です。すぐにお湯のご用意を致しますね」
「せ、拙めも即刻主様のお部屋を整えて……!」
「あ、えっとぼくも」 「私も」
仕事をさぼって、秋臣と遊んでいたことを後ろめたく思ったのだろう。散っていこうとする彼らを呼び止めた。
「いや、いい。お前たち。俺に気を遣わず、たまには遊んでおけ」
皆がこうして、のびのびと遊んでいるところは、久しぶりだった。
境界守として仕事に追われ、時間を縫って大学に行き、屋敷に寝るためだけに帰ってくるようになって、随分経つ。
屋敷やそこの物たちに憑く妖怪たちは、人間のためにそこにいるようなものだった。
間継がそう言っても、どこか居心地が悪そうにしていた彼らに、秋臣が声をあげた。
「間継さんも演奏してみます? みんなも!」
ほら、これがドでレで……上のドまであるんですよ!
誰よりも嬉しそうに風鈴を鳴らして見せた彼。たしかに音階が出来上がっている。
「よくこんなもん引っ張り出してきて、こんな遊び思いついたな」
ちりんと鳴らしてみる。すこし古めかしい音に、ふと間継は何か思い出しかけた。
「俺が思いついたんじゃないんですよ。佐京さんですよ!
覚えてません? モモリさんが教えてくれたんです」
秋臣の言葉で、ふっと遠い昔の夏の庭が鮮明に蘇る。
まだ幼かった自分に、父がこうやって軒先に風鈴を並べていた。背の低い自分にも届くように、長い紐で吊っていて……
間継は、風鈴を軽く鳴らした。
「あ! さいたさいたのやつですね!」
もう十年以上前のことをモモリもよく覚えていたな、いや、妖怪にとっての十年は、大して長くないか。
「これじゃ、チビたちが届かねぇだろ。長い紐持ってこい。吊り直すぞ」
「いいですね! みんなで演奏会しましょう!」
そうして、夏の夜の風鈴演奏会が始まった。
途中、台所に行ったモモリがカマヒコを連れてくるついでに、スイカを切ってきた。
開いておいた扉で、秋臣が買って来たものらしい。
どんなに鳴らしても飽きを知らない秋臣と妖怪たちが、オリジナル曲を作ろうと熱中し始めた近くで、縁側に座った間継に、モモリがスイカを差し出してきた。
「これほど屋敷が賑やかなのは、お久しゅうございますね」
「そう、だな」
隣に正座した彼女を見る。そういえば、最近はしっかり顔も見てこなかった。
十年前と何ら変わりない、つるんとした顔にある小さな目が、パチクリと瞬く。
「悪かった。俺はお前たちに甘えすぎてたらしい」
間継家に人がいなくても屋敷が正常に回っているのは、ここに棲みつく妖怪たちのおかげだった。
自分で作らずとも食事が出てくるし、掃除は行き届く。帰ってきたら湯は張られているし、しっかり洗濯された服が用意されている。
「そんなこと」
モモリが口に手をあてて、ふふっと笑った。
「それに気づけるお年になられたんですね。まことに喜ばしいことです。
モモリは、主様を誇りに思っておりますよ。お心を痛める必要はございません。間継がある限り、どのような苦楽も共にするのが、私どもの役目でありますから」
自分より幾分小さな彼女は、自分が生まれるずっと前からこの屋敷にいた。
母のいない自分の、母親代わりのようなものだった。
間継は失笑をこぼす。
「……お見それ致しました」
モモリが再び、ふふっと微笑んだ。
「さて、宴もたけなわでございますね。私は一足先に、湯と食事の用意をして参ります」
「ああ、頼む」
間継はスイカを齧り、腕時計を見る。もう二十三時を回っていた。
「おい、冬吾。お前、そろそろ寝なくいいのか?」
「え、まだ大丈夫ですよー。たまには夜更かししても……」
子供のような笑顔で振り返った彼の表情が、何故か固まった。
「ああ! 肝心なこと忘れてたああ!」
突然悲鳴をあげた彼に、妖怪たちが目を合わせた。
思わず首を傾げると、庭の石や灯篭に憑く少女少年の妖怪が駆け足でやってきて、耳うちをしてきた。
「秋臣はね。主様を休ませようって、頑張って策を練ってたらしいんだよ」
「ぼくたちは主様の意思に背くことはできないって、モモリさんが止めてくれたんだ」
聞く限り、自分を強制的に休ませるため、部屋に忍び込んで、仕事着にしている和服を全て隠してしまおうと計画していたらしい。
「発想が本当に三歳児だな、まったく」
秋臣の気を逸らすために、モモリが風鈴を引っ張り出してきたのだろう。
遊びに夢中になって、本来の計画を忘れてしまうのも信じられないが。
そんな彼が、戸惑いながら風鈴を鳴らし始める、
心境を表すような珍妙な響きに、間継はついに休暇を取ることに決めた。




