境界守とは何ぞや
「んっ……」
なんか今、誰かに呼ばれたような気がする。
夢か?
布団からのそりと起き上がった間継は、時計を見た。
約束の三時間より十分早い。
「お目覚めですか? お茶でもお持ちしましょうか」
主の目覚めをすぐに気づいたモモリが、ふすまの奥から遠慮げに言ってきた。
「いい。すぐに出る」
すこし眠ったからと言って、疲労は取れていない。
世間が連休のたびに、こうだった。むしろ……
「三時間寝れただけでマシか」
秋臣の勢いに圧倒されて、言い返すのも面倒で、仮眠を取ることにはしたが。
ここ数日、回復出来ていなかった妖力が、若干回復していることに間継は気づいた。
ため息が零れだした。ひょんなことから、冬吾秋臣と名乗る青年をバイトに引き入れた判断は、間違っていないはずだ。
認めたくないが、思った以上に助かっている。
間継を陰陽師たらしめる力の要因の一端は、その彼に刻印を残した妖狐にあった。
刻印を残したってことは……
封印が解けたんだろうが。
「解せねぇな」
三十七代続いた間継家は、ずっとその妖狐の封印先を探していた。
あの夜、ようやくその痕跡を見つけて向かった神社に、気配は残っていたが、その姿はなく――
封印するには、あまりにも小さな祠があっただけ。
その時は、まさか封印が解けたとは思っていなかった。祠の先で、遠目から見えた人物が、ゆらりと闇に姿を消す瞬間までは。
――冬吾。冬吾、か。
いや、まさか。彼があの冬吾だという確証は、何一つない。
妖狐をおびき寄せる手段として、手元に置いてはいるが。
「今は考えるだけ無駄だな。とりあえず行くか」
はー、だりぃ。また、あの三歳児のうるさい声を聞かないといけないのか。
うんざりしながらも、間継は鈴音の妖力を印に、扉を開きなおす。
林を抜け、更に扉を跨いだ先には、思ってもみなかった光景が広がっていた。
§§§
「みんな説明が適当すぎるんですよ!」
散々逃げ惑った秋臣は、全身濡れぼそった状態で、波打ち際に膝を抱えて座っていた。
鬼ごっこを見飽きた鈴音が、ようやく助け船を出してくれて、轢き殺されることはなかったが……
九死に一生を経験した秋臣は、わかりやすく拗ねていた。
「みんなにとって前提認識でも、俺にとって違うからね!? そのせいで死にかけたからね!?
もうトラウマだよ、トラウマ! どうしてくれるの!」
「秋臣~いつまでそうしてるんだよ~。ちゃんと見つかったからいいだろー」
鈴音が、秋臣の周りをくるくる回る。
「悪かったの、人間」
前には水人間もいた。シラナミノミコトだ。
重世出身の妖怪たち、人間を恐れている。岩亀が追いかけてきた理由だった。
間継を人間の基準として考えていたらしい。そんなわけあるか。
秋臣はぶつぶつと文句を言いながら、リュックの中に水を探した。
ない。そういえば、全部岩亀にあげたんだった。
「間継さんも間継さんだよ。今までは浄化依頼ばっかりだったから、あれが当たり前だと思ってたけど」
普通の妖怪捜索依頼で、まさか妖怪に襲われるとは思っていなかった。
「人間、いつまでも意気消沈しているのは時間の無駄よ」
「俺の名前は人間じゃありませんよ! 秋臣です、冬吾秋臣!」
神様的妖怪への遠慮を忘れた秋臣が、指を指して、大きな声で名乗る。
「冬吾? そうか。冬吾よ。そちも境界守なのか」
「……境界守?」
まーた知らない単語が出てきたよ。
「シラナミノミコト様、秋臣は違うよ。ただの人間。ちょっといい匂いのする人間」
鈴音が、ぴょこんと跳ねて答えた。
境界守ってなに? 秋臣が口を開く前に、シラナミノミコトの唸りが響く。
「おかしいの。そちは器があるじゃろ」
水人間が人間さながらの様子で、顎に手をあて、首を捻る。
秋臣は座った目で、二人をじっと睨む。すると水人間が、思い出したように手を振って説明してくれた。
境界守というのは、いわゆる陰陽師のことらしい。
その中でも、現世と重世の境界維持を任されている、偉い一部を指す。間継もそうだと言っていた。
妖力を保持するには、それ相応の器と呼ばれるものが必要らしい。
「体の中にコップがあるとでも思っておけばいいよ」
「つまり――」
鈴音の最後の説明で、ようやく想像がおいついた秋臣が、ハッとして立ち上がる。
「俺も、間継さんみたいな力使えるってこと!?」
陰陽師かー、陰陽師ってかっこいいよね。俺、そういうかっこいいの憧れてたんだよね。
途端、機嫌を直した秋臣の前で、水人間と鈴音が目を合わせた。
「ぼくでどうにか嗅ぎ取れるくらいだから、秋臣の妖力は小さいよ」
「冬吾よ。境界守でもないものには、過分で不要な力だ」
一瞬で夢を打ち砕かれた秋臣は、ムッと二人を見比べる。
いや、わかってたけど。そんなファンタジーの主人公みたいなこと起きないよね。いや、もう現状がファンタジーだけど。
もういいや! 落ち込むのにも飽きてきた! なんか間継さんこないし!
色々話難しいし、俺の頭はもう閉店ガラガラだよ!
お得意の思考放棄を発動させた彼に、ふと岩亀が何かを言ってきた。
「いつになったら帰れるの。暇だから遊ぼうよ、だって」
「いいね! 遊ぼう! みんなで!」
通訳してくれた鈴音に、秋臣はすでに海水塗れになっているリュックを砂浜に置き去りにして、海へと向かうことにした。




