境界の理、鈴音より聞く
式神を食いちぎった鈴音が、ふふーんと愉快げな声をあげながら、先頭を歩く。
秋臣は、地図と鳥だった紙片を照らし合わせながら、ついて行っていた。
重世と現世を隔てる膜は、ちょっとしたことで綻びやすい。
力を持つ妖怪の妖力だとか、現世の天災だとか。
小さな裂け目でも妖怪たちは、何かしらの拍子で、こちらへ迷い込んでしまうらしい。
大事なのは、あちらとこちらで固定された座標があることだった。
今更ながら、最後の目撃情報の正確な座標を送ってきた、他家の陰陽師。
「もうちょっと早く送ってこれなかったのかなぁ」
ぼやいた時には、鈴音が小さな赤い果実を齧っていた。
「鈴音ちゃん、変なもの食べちゃいけません!」
「えー、律はそんなこと言わないよー」
聞く耳を持たない彼女がぱくぱくと食べすすめていく様子を見ながら、秋臣の頭にぽんと疑問が浮いて出てきた。
この子はいきなり現れたり、消えたりするけど。
「鈴音ちゃんは、重世の住人じゃないの?」
「ぼくもちゃんと、あっちに住人登録はあるよー。間継家の使いだから。行き来自由ってことになってるんだ」
「つまり、屋敷にいる妖怪たちも?」
すると鈴音が、ムッとこちらを見てきた。口元が赤く染まっている。
「あれは人世で生まれた妖怪。こっちの何かがないと生きていけない。一緒にしないでほしいもんだよ」
そういえば、屋敷にいる妖怪は付喪神系統が多かった気がする。
彼女の言いぐさからして、妖怪にも位というものがあるのかもしれない。
「じゃあ、なんとかのミコト様も?」
間継がやたらと畏まって接した、海の神様もどきを思い出した。
「あ、えっとそれは~」
途端、鈴音がバツ悪そうに頬を掻く。
「シラナミノミコト様は、ぼくなんかとは格が違ってね。元はこっちで生まれた妖怪だけど、もう今はそんなの関係なく、世界と深く結びついてる方でさ。
あの方が海から離れると、この周辺の境にも影響が出るし」
うーん? よし、おっけ。神様的妖怪。把握した。
「そっかー、なんか大変なんだね」
どんな世界にも国にも、いろんな事情があるよね。俺にはちょっとよくわかんないけど。
それにしても、境か。
秋臣は木々に囲まれた小さな森を見わたし、そっと手を前に出した。
表と裏。自分には見えない膜が、ここにある?
重なって存在している、という説明は、どうも想像しづらかった。
「ねぇ、鈴音ちゃ――」
鈴音ちゃんはつまり、膜を超えられるってこと?
そう聞こうとした時だった。
地鳴りのような音が響く。鳥たちが一斉に空へ羽ばたいていった。
なに!? 慄いて一歩下がった秋臣が、苔で足を滑りかけた時、変わらず木の実を食べていた鈴音が、ある方向を注視した。
「あ、ミコト様かも」
鈴音が浴衣の袖で口を拭い、左奥へと駆けていく。
「待って、待って、鈴音ちゃん! ハンカチでお口拭いて!?」
それ多分、あとで俺が間継さんに怒られるやつ!
秋臣の叫びは、再び響いたうねりのような音にかき消された。
それほど広くなかった孤島は、すぐに海が見えてきた。
自然現象ではないと一目見てわかる動きで、海水が渦巻いている。それが立ちあがり、人型を成した。
あれほどうるさかった音が、静まり返る。
波が砂浜を打つ音だけと、鈴音と秋臣の足音だけが残った。
「間継の坊やではないのか? まぁ良い」
人型海水は、人間と変わらない動作でとある方向を指差した。
「見つけたぞ。あちらだ」
「あちら……?」
示された右を見る。海沿いにぐるりとある砂浜の先に、岩の群が見えた。
どちらだよ。
口をついて出かけた声をぐっと飲み込む。相手は神様的妖怪だ。堪えろ、自分。
「シラナミノミコト様。 あの岩の群ということなのですか?」
鈴音が、普段の挙動よりも随分控えめに尋ねた。
「うむ、そちらじゃ。おそらくな」
「あの、なんとなくでも見つけてくれたのはすごーく嬉しい限りなのでございますが、ミコト様。岩の中にいるってことでございますか?」
詳細を聞こうとしたら、変になった。
あれ、敬語ってどういうんだっけ。おかしな丁寧語で問うた秋臣に、海の妖怪は胸を張るように「うむ」と頷く。
「迷い子は岩亀であろう? この辺りから小さな気配がしてな。
わちは近づけん。わちの妖力が小さな子を傷つけてしまうからにな」
「はぁ……妖怪ルールはよくわかりませんけど、とりあえず探してみます……」
おい、海神もどき。お前もっとすごいんじゃないのか? ちゃんと特定までしてくれよ。
いや、でも範囲特定してくれただけで助かるし、うん。あと一息頑張ろう。
形だけ頭を下げて礼を言った秋臣が、示された方向へと足を向けた。
「というか、岩亀ってなに?」
今更ながらに妖怪の正体を知り、誰ともなく問うが、答える声はなかった。




