第47話:上に立つもの
ギィ、と扉が開く。
「……」
ゆっくりと、ユウトが外へ出る。
背筋は、まっすぐに伸びていた。
先ほどまでの猫背は、影もない。
一歩、踏み出す。
違和感。
だが――悪くない。
外は、すでに夜だった。
空は深い群青に染まり、
街の灯りが静かに瞬いている。
昼の喧騒は遠くへ溶け、
残されたのは、柔らかな光と、
ゆるやかに流れる時間だけ。
まるで――
一日の終わりを優しく包み込むように、
街が息を整えているようだ。
(自分でも何を言ってるのか分からない)
(だが、それもいい。)
「……」
ユウトは、わずかに目を細める。
(……綺麗だ……いや、美しい)
「行きましょう」
「アメリさん」
「はい」
歩き出す。
背筋が伸びた。
それだけのはずなのに――
視界が、変わる。
低く丸まっていた世界がほどけ、
空との距離が近づいた。
建物は小さく。
人の流れは穏やかに。
まるで――
世界の輪郭が、静かに整えられたようだった。
「君はそんな顔をしていたのか」
空に向かって言った。
アメリからの冷めた視線を感じたが、
今はすべてが小さなことに思えた。
---
車に乗り込む。
「……」
座った瞬間、違和感。
(……低いな)
天井が、近い。
今までと同じはずなのに、
圧迫感がある。
「今の俺には小さすぎるようだ」
「閉めますよ」
ドアが閉まる。
車が走り出し――そのまま浮き上がる。
静かに、空へ。
街が、足元へと沈んでいく。
建物の屋根。
通りの灯り。
人の流れ。
すべてが遠ざかる。
いつもより、高い。
「……」
ユウトは窓の外を見つめる。
夜の街。
光の粒が、ゆっくりと広がる。
まるで――
世界そのものが、手のひらの下にあるような錯覚。
「これが……」
「上に立つ者の景色か」
ぽつりと呟く。
「……」
隣。
アメリが、無言でユウトを見る。
「……」
「……ただ猫背を直しただけなのに」
ボソッと呟く。
(おい、聞こえたぞ)
だが気にしない。
(今の俺は大きな男だからな)
(……悪くない)
一人、満足げに頷く。
その横で――
アメリは小さく息を吐いた。
---
やがて――
車はゆっくりと高度を下げていく。
広がっていた夜景が、
静かに、現実の距離へと戻ってくる。
散っていた光は街へと集まり、
遠くにあった建物は、
再び“壁”として立ち上がる。
手の届かない世界が、
少しずつ、手の届く場所へ。
「……」
ユウトは窓の外を見たまま、
小さく息を吐いた。
「おかえり」
「……」
そして――
車は、静かに停止する。
目の前にそびえる建物。
バルド商会ビル。
「小さいな」
「小さくて悪かったわね」
アメリが小声で突っ込む。
「到着いたしました」
運転手の声。
ドアが開く。
「ありがとう」
「お疲れさま」
「ゆっくり休んでくれ」
「……はぁ」
「まだ彼には仕事があります!」
アメリが制止する。
ユウトは一歩、外へ出る。
さっきまでの“上からの景色”とは違う。
「行きましょう」
「アメリさん」
「はい、こちらです」
呆れながらもユウトを案内する。
歩き出す。
かつて巨大に見えた扉へ向かって。
そして――
この商会の頂点へ。
「……」
ユウトは、わずかに目を細める。
ほんの少しだけ、
口元が緩んだ。
足を止めることなく、
そのまま社長室へと進んでいった。




