第153話:涙の契約
レグナス商会。
応接室。
レグナスは、窮地に立たされていた。
目の前の自転車。
確かに凄い。
利益も期待できる。
むしろ、携わりたい。
しかし。
“補助輪”。
もちろん、初めて見る代物だ。
何故かは分からない。
だが。
これは、付けたくない。
ユウトの姿を見て、レグナスは心底そう思った。
ちらりと、補助輪なしの自転車に視線を向ける。
「あ、あの……」
「そちらの自転車では……」
なんとか補助輪を回避しようと、交渉を試みる。
「練習なしでは危険です!」
ダメだった。
「それに、性能を確かめるためにも、ぜひ!」
追い込まれた。
「……」
ふと、ユウトの方に視線を向ける。
そこには、目を泳がせながら落ち込む青年の姿があった。
「うっ……」
「わ、分かりました……」
これは性能の確認だ。
レグナスは、自分自身にそう言い聞かせた。
そして。
補助輪付きの自転車に跨る。
地面から足を離し、ペダルに足を乗せる。
もちろん、倒れない。
安全だ。
安全なのだが。
ペダルに足を乗せた瞬間。
何か大切なものが、静かに崩れ落ちた気がした。
(い、今から……)
(これを、走らせるのか……)
「さぁ、ゆっくりペダルを踏み込んでください」
隣の少女は、ニコニコとこちらを見ている。
「ふぅ……」
レグナスは大きく息を吐いた。
そして、次の瞬間。
レグナス商会、代表取締役。
レグナス。
41歳。
補助輪付きの自転車を、ついに走らせる。
ガラガラ……。
ガラガラ……。
「そうです!そうです!」
「うまい、うまい!」
少女は優しく声をかける。
ガラガラ……。
「次は、ハンドルを左に!」
言われた通りに、ハンドルを左に傾ける。
ガラガラと音を立てながら、自転車は左に曲がった。
「そうそう!その調子です!」
「そこでブレーキ!」
言われた通りにするレグナス。
キーッという音を立てて、自転車が止まった。
「あ、ハハハハ……」
レグナスは、目を泳がせながら笑った。
「この商品は……実にすごい」
「少ない動力で、大きく動く……」
「このペダルから車輪へ力を伝える仕組みのおかげですね?」
この状況でも、商品の真価を確かめていた。
さすがである。
「よく分かりましたね」
セレスが感心したように頷く。
「さっそく、当商会で取り扱いたいのですが……」
レグナスは、目に涙を浮かべながら口を開いた。
「あっ、じゃあ後はユウトが」
「え……シオリ様ではなく?」
「私はただの付き添いです」
再び、レグナスの視線がユウトに向く。
泣きそうな顔で、こちらを見ている。
「……」
「……」
お互いに目を泳がせながら、利益の分配について話し合った。
そして。
契約も終わり――
「では、私たちはこれで失礼します」
そう言って、セレスは見本の自転車を置いたまま立ち上がる。
ユウトも、どこか疲れた顔でその後に続いた。
二人は、応接室を出ていく。
扉が閉まる。
応接室に、一人残ったレグナス。
「……」
補助輪なしの自転車に目を向ける。
しばらく無言で見つめた後。
おもむろに跨ってみた。
両足を離す。
「おっと……」
やはり、バランスを失って倒れそうになる。
だが。
倒れる前に、ペダルを踏み込んだ。
自転車は、前へ進む。
ふらつきながらも。
倒れない。
「……」
レグナスは、ゆっくりと目を見開いた。
そして。
誰もいない応接室で、叫んだ。
「乗れるじゃないか!!!!」




