第133話:新しい商品開発室
「はっ!」
マヤは我に返った。
ようやく、頭の中の処理が追いついたらしい。
そして。
思い出す。
よろしくね、"ユウトくん。"
"ユウトくん。"
"ユウトくん。"
頭の中で、その呼び方が何度も繰り返される。
「……っ」
再び、マヤの顔が赤くなった。
「さぁ」
そんなマヤの脳内を知ってか知らずか、ウラジオが口を開く。
「商品開発室のみんなが、新しい室長が来るのを待っているよ」
「レイヴン、後は頼む」
「かしこまりました」
レイヴンは静かに頷き、ユウトとマヤを連れて応接室を出た。
────────
先頭を歩くレイヴン。
その前方から歩いてくる従業員たちは、レイヴンの姿を見るなり足を止めた。
無言で道を空け。
静かに頭を下げる。
何者も、すれ違うことすら許されない。
そんな異様な雰囲気だった。
「……」
ユウトとマヤは、その光景を黙って見ていた。
「別に、威圧しているわけではないんだ……」
「え?」
ユウトは思わず顔を上げた。
声は、前から聞こえた。
レイヴンだった。
「普通に歩いているだけなのに」
「なぜか、こうなってしまう……」
珍しく。
本当に珍しく。
レイヴンが、自分から口を開いていた。
「“おはよう”とか言ってみればいいんじゃないですか?」
ユウトが軽く提案する。
「そうですね」
「挨拶されて嫌な人なんていませんから」
マヤも賛同する。
「……」
レイヴンは、少しだけ考えた。
そして。
「善処する」
短く答えた。
ちょうどその時。
前方から、1人の従業員が歩いてきた。
ユウトとマヤは、少しだけ緊張した。
(言うよな? 普通……)
(言いますよね? この流れ……)
2人とも、そう思っていた。
距離が近づく。
従業員が、レイヴンに気づく。
即座に道を空ける。
深く頭を下げる。
さらに距離が近づく。
ゴクッ。
マヤが、小さく喉を鳴らした。
その時――
「……」
無言で通り過ぎた。
(言わねえのかよ!!)
(言わないんですか!!)
ユウトとマヤは、心の中で同時にツッコんだ。
レイヴンの悩みが解決されるのは、もう少し先になりそうだ。
やがて。
レイヴンは商品開発室の前で立ち止まった。
「……」
「……」
何かを感じ取ったのか。
レイヴンは、なかなか入ろうとしない。
「どうぞ」
「え?」
レイヴンは扉を指し、マヤに入るよう促した。
マヤは戸惑いながらも、扉へ手をかける。
ゆっくりと開ける。
中に入る。
目の前には、横一列に並ぶ職員たちの姿があった。
「申し訳ありませんでした!」
1人の職員が謝罪したのを皮切りに。
「申し訳ありませんでした!」
他の職員たちも声を揃え、頭を下げた。
「そんな……もう大丈夫ですから」
マヤは慌てて手を振る。
「いえ」
職員の1人が、頭を下げたまま言った。
「我々は、見て見ぬふりをしていました」
「ほんの少し勇気があれば、防げていたことです」
「それなら、私もです」
後ろで、レイヴンが口を開いた。
「商品開発室の残業時間の多さを把握していながら、追求しなかった」
「マヤさん、申し訳ありません」
改めて、レイヴンも頭を下げる。
「じゃあ、俺も……」
その隣で、ユウトが口を開いた。
「元はと言えば、俺の商品が未完成だったのが原因です」
「すいませんでした!」
ユウトまで、その場の雰囲気に飲まれるように謝罪する。
「わかりましたから!」
「頭をあげてくださいぃー!」
前後から頭を下げられ、マヤは困り果てた。
だが。
誰も頭をあげる様子がない。
「……」
マヤは、ユウト、レイヴン、職員たちが見えるように、横へ動いた。
そして。
「それを言うなら……」
「私も、すぐに誰かに相談すべきでした」
「頼らなくて、申し訳ありませんでした!」
マヤまで頭を下げてしまった。
こうして。
商品開発室内に、全員が頭を下げる三角形。
……謝りトライアングルが完成した。
数秒間。
奇妙な沈黙が流れる。
そして。
我慢できなくなったマヤが、小さく吹き出した。
「プッ……」
「アハハハハ」
その笑い声に、全員が顔を上げる。
最初は戸惑い。
次に、少しだけ照れたように。
そして。
自然と、笑みがこぼれた。
重かった空気が、少しずつほどけていく。
ふと、ユウトは隣を見上げた。
……いや。
何も言わないでおこう。
そう思った。
────────
「改めて紹介しよう」
レイヴンが職員たちの前に立つ。
「新室長のマヤだ」
「今後は、彼女の指示に従い、サポートするように」
職員たちは、真剣な表情で頷いた。
「それと……」
レイヴンの視線が、ユウトへ向く。
「アルバイトの、ユウト“くん”だ」
「仲良くするように」
(え? それだけ?)
ユウトが心の中でツッコむ間もなく。
レイヴンは、静かに部屋を出ていった。
その直後。
職員たちが、マヤとユウトの元へ駆け寄ってくる。
「マヤさん、室長就任おめでとうございます!」
「マヤさん、おめでとうございます!!」
「改善案、見ました!」
「あれ、非の打ち所がありませんでした!」
一斉に話し始める職員たち。
みんな、マヤを受け入れている。
その様子に、ユウトは少しだけホッとした。
「それに!」
職員の1人が、今度はユウトを見る。
「ラムネを開発したユウト様と一緒に働けるなんて!」
「ルービックキューブもユウト様の発案なんですよね!」
「ハンバーガー、美味しかったです!」
「絶対成功させましょう!」
どうやら。
ユウトのことも、職員たちには知れ渡っていたらしい。
「え、あ……」
「どうも……」
ユウトは、妙に居心地悪そうに頭を下げる。
その横で。
マヤは、職員たちの表情を見ていた。
怖がっている人はいない。
責めている人もいない。
ぎこちなさはある。
けれど。
少なくとも、ここにはもう。
怒鳴り声はなかった。
「えっと……」
マヤが、小さく息を吸った。
職員たちの視線が集まる。
マヤは少し緊張しながらも、口を開いた。
「改めて、よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします」
それにつられるように、ユウトも頭を下げる。
「よろしくお願いします!」
職員たちの声が、商品開発室に響いた。
その後。
職員たちは、それぞれ自己紹介を済ませた。
そして、マヤが作成したハンバーガー改善案をもとに、試作品を完成させた。
誰かが怒鳴ることはなく。
誰かが怯えることもなく。
穏やかな空気の中で、作業は進んでいった。
ユウトの仕事はというと――
完成したハンバーガーを試食するだけだった。
こうして。
ユウトのウラジオ商会初出勤と。
マヤの商品開発室室長としての初日の業務は…
静かに。
そして少しだけ騒がしく。
けれど穏やかに。
終わったのだった。




