第132話:辞令は突然に
入口での一件の後。
ユウトとマヤは、応接室に通されていた。
マヤの目は、まだ少し潤んでいる。
重々しい空気の中。
ソファに座るユウトとマヤ。
正面にはウラジオが座り、その後ろにはレイヴンが立っていた。
「さて……」
ウラジオが、ゆっくりと口を開く。
「君たちに来てもらったのは、少しばかり話があってね」
「その前に、マヤ」
「はい」
「君に聞きたいことがある」
ウラジオの声に、マヤの背筋が少し伸びた。
「君は、商品開発室で何の仕事をしていたんだ?」
「……っ」
その質問に、マヤの体がびくりと反応した。
「あぁ」
ウラジオはすぐに首を横に振る。
「責めているのではないんだ」
そう言って、レイヴンへ視線を送った。
「こちらを」
レイヴンが、テーブルの上に束になった書類を置く。
マヤは、それを見て目を見開いた。
「これって……」
「私の……」
それは、マヤが商品開発室に持参した改善案だった。
「読ませてもらったよ」
ウラジオは静かに言った。
「実に見事な改善案だった」
「え……?」
マヤは言葉を失う。
「君の……」
ウラジオは一度言葉を切った。
そして、少しだけ表情を引き締める。
「いや」
「商品開発室の仕事は、この書類が出された時点で 終わっていたんだ」
「そんな……」
マヤは震える声で呟いた。
「だって、その書類は……」
「初日に……」
「そうだ」
ウラジオは頷く。
「君は、初日に必要な仕事を終えていた」
「……」
マヤは、何も言えなかった。
嬉しい。
そう思っていいはずなのに。
胸の奥が、少しだけ痛かった。
では。
あの日々は。
あの残業は。
あの苦しさは。
何だったのだろう。
「ごく稀にね」
ウラジオが静かに続ける。
「仕事が終わることを恐れる者がいる」
「……終わることを、恐れる?」
マヤが小さく聞き返す。
「ああ」
「仕事がなくなる」
「自分は必要とされなくなる」
「そう考えてしまう者がいるんだ」
「……」
ユウトには、少し理解しづらい話だった。
仕事が終わる。
最高ではないか。
そう思ってしまう。
「仕事があることを、自分の価値だと思ってしまう」
ウラジオは続けた。
「忙しいことを、必要とされている証明だと思ってしまう」
「そして、必要のない仕事を自分で作る」
(なんでだよ!)
「仕事が忙しいことを、美徳だと考えてしまう」
(……寝てない自慢みたいなもんか?)
ユウトは心の中でそう思った。
「マヤ」
「はい……」
「君には、そうなってほしくなくてね」
ウラジオは穏やかな声で言った。
「だ、大丈夫です!」
マヤは慌てて口を開く。
「受付なら、今まで通り……」
「いいえ」
ウラジオが、その言葉を遮った。
「レイヴン」
「はい」
今度は、文字が書かれた紙を1枚だけテーブルに置いた。
マヤは、その紙を見た。
そこには、はっきりとこう書かれていた。
“辞令”
詳細を読むより先に。
ウラジオが口を開いた。
「マヤ」
「はい」
「本日をもって、君を商品開発室室長に任命する」
「……」
マヤは固まった。
ユウトも固まった。
数秒の沈黙。
「……え?」
「え?」
2人の声が重なった。
「そ、そんな……」
マヤの声が震える。
「無理です!」
「私なんて……」
「初めは、みんなそう言うんだ」
ウラジオは優しく微笑んだ。
「自分にはまだ早い」
「やったことがない」
「自分には無理だ」
「だが……」
「やらせてみると、次第に形になっていく」
「誰でも、始めは初心者だ」
「……」
マヤは辞令を見つめたまま、何も言えない。
「それに」
ウラジオの視線が、ゆっくりと隣へ動いた。
「今回は、強力なパートナーがいる」
(それって……)
「君の隣にね」
ウラジオの視線が、ユウトへ向けられた。
マヤも。
レイヴンも。
その場の視線が、すべてユウトに集まる。
「……」
ユウトは、そっと視線を逸らした。
逸らしても意味はない。
「改めて紹介しよう」
ウラジオは満足そうに言った。
「君の部下であり」
「週に1度、君のサポートをしてくれる」
「ユウト君だ」
「ええええええ!!!?」
本日一番の驚きの声が、応接室に響いた。
叫んだのは、マヤだった。
「ユ、ユウト様が……」
「私の……」
「部下……?」
マヤの顔が、みるみる赤くなっていく。
「役職はアルバイトだけどね」
ウラジオはさらりと言った。
「あぁ、それと……」
「ユウト“くん”だ」
わざとらしいほど、敬称を強調するウラジオ。
「……」
マヤは混乱していた。
家を出てから今に至るまで、様々なことが起きすぎた。
頭の中で、処理しきれず多重事故を起こしている。
「はい、よろしくね、ユウトくん」
頭を通さず、口だけが勝手に動いているように感じた。
だが……
「よろしい」
そう言って、満足そうな笑顔を見せるウラジオだった。




