第13話:佐藤詩織 1
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鼻に刺さる消毒液の匂い。
一定のリズムで鳴る機械音。
(……ここは)
「――優斗!」
声が飛び込んでくる。
ゆっくりと顔を向ける。
母親だった。
目が赤い。
泣いていたのがすぐに分かる。
「よかった……本当に……」
震えた声。
(……ああ)
記憶が、少しずつ戻る。
帰り道。
夕焼け。
隣を歩く影。
「ねえ、優斗」
笑いながら話す声。
――強い光。
「はっ」
「詩織は……?詩織はどこ?」
自然と、名前が出ていた。
その瞬間。
母親の表情が止まる。
沈黙。
ほんの数秒。
だが、それで十分だった。
(……そっか)
理解する。
いや、理解してしまう。
「……そうなんだ」
それ以上は、何も言えなかった。
頭の中が、静かだった。
悲しいとか、苦しいとか。
そういう感情すら浮かんでこない。
ただ――
何もなかった。
退院してからの記憶は、曖昧だ。
家に戻って。
部屋に入って。
気づけば、外に出なくなっていた。
学校にも行かなかった。
行く意味がなかった。
朝も夜も関係ない。
ただ、時間だけが過ぎていく。
スマホを開いても、すぐ閉じる。
ゲームを起動しても、やめる。
何をしても、続かない。
(全部、どうでもいい)
そう思うようになっていた。
親は何度も声をかけてきた。
だが、返事をする気力もなかった。
ふとした瞬間に思い出す。
帰り道。
他愛もない会話。
くだらないやり取り。
「――ねえ、優斗、明日さぁ…」
声が聞こえた気がして、顔を上げる。
当然、誰もいない。
(……いない)
分かっている。
分かっているのに。
胸の奥が、少しだけ痛む。
だが、それもすぐに消える。
何も感じない方が、楽だった。
何もない天井を見上げる。
ただ、時間だけが過ぎていく。




