第129話:ユウト様ぁ
ユウトの部屋。
珍しく、ユウトは早朝から起きていた。
さらに珍しいことに。
アメリに買ってもらった服を身にまとい、身支度まで整えている。
「よし!」
鏡を見て、一言。
何が「よし!」なのかは、本人にも分かっていない。
その時――
「ユウト様ぁあ!!」
「お迎えにあがりましたぁっ!」
部屋の外から、大声が響いた。
コンコン。
遅れて、扉をノックする音。
「……」
ユウトは、ゆっくりと扉へ視線を向けた。
「ユウト様ぁああ!」
「うるせー!!」
勢いよく扉を開けるユウト。
「なんでノックより先に叫んでんだよ!!」
「おはようございますっ!」
ドランは満面の笑みで頭を下げた。
「おや!」
「今日は雰囲気が違いますなぁ」
「おめかしですか!」
「……ま、まぁ、初日だし」
ユウトは少しだけ視線を逸らす。
「では、まいりましょう!」
ドランはそう言うと、1人でスタスタと歩き出した。
「……え?」
ユウトは、その背中を見送る。
(褒めろよ!)
「早くしないと、日が暮れますよ!」
階段の方から、ドランの声が響く。
「って、まだ日が昇ったばかりでしたな!」
「ハハハハハッ!」
ドランは、ユウトを差し置いて先に階段を降りていく。
あっという間に、その姿が見えなくなった。
「……」
その場に立ち尽くすユウト。
「……あいつ、マジか!!」
呆れながら、ドランの後を追おうとした。
その時――
「おはようございます、ユウト様」
背後から声がした。
ユウトが振り向くと、そこにはマヤが立っていた。
「おはようございます」
「もう体の方は大丈夫ですか?」
「はい!」
マヤは明るく頷く。
「すっかり良くなりました!」
「助けていただいて、本当にありがとうございました!」
「いえ……」
ユウトは少しだけ気まずそうに頬をかいた。
「無事なら良かったです」
「はい!」
マヤは嬉しそうに笑った。
「ところで……」
「なにか騒がしかったですけど、お出かけですか?」
「あ、はい」
「これからウラジオ商会にバイトです」
「そうなんですね!」
「マヤさんも、これから出勤ですか?」
「はい」
「良ければ一緒に行きませんか?」
「あ、はい!」
「同じ方角ですもんね」
2人は階段を降り、アパートの外へ出た。
「ユウト様ぁ!」
「お早くっ!」
外では、車の前でドランが待機していた。
すでにドアを開け、満面の笑みで立っている。
「わかったよ」
ユウトがため息まじりに言う。
その隣で、マヤが目を瞬かせた。
「……え?」
「車?」
「あぁ、専属の運転手なんです」
「せ、専属……」
マヤは思わず、車とユウトを交互に見た。
受付嬢として、それなりに裕福な客も見てきた。
だが。
アパートの前まで専属運転手が迎えに来る住人は、初めて見た。
「彼女もウラジオ商会まで一緒に乗せてってくれ」
ユウトがドランに伝える。
ドランはマヤへ視線を向けた。
そして。
「おや!」
「ほうほう」
「これはこれは……」
ニヤニヤしながら、ユウトとマヤを見比べる。
「……なんだよ」
「いえ、なにもー」
ドランはにやけ顔のまま、わざとらしくとぼけた。
「おっと!」
ドランは大げさに背筋を伸ばす。
「初日から遅刻させてしまっては、運転手失格ですな!」
「ささっ、お二人ともお早く!」
そう言って、ドランは運転席へ駆け込んだ。
「ありがとうございます」
マヤは小さく頭を下げ、車へ向かって歩き出す。
その時。
「あっ」
足元の段差につまずいた。
体が前に傾く。
咄嗟に、マヤは手を伸ばした。
なにかに捕まろうとしたわけではない。
無意識に、手が伸びた。
その手を、ユウトがしっかりと掴む。
「大丈夫ですか?」
ユウトが声をかける。
「……」
その瞬間。
マヤの中で、時間が少しだけ止まった。
手。
しっかりと繋がれた手。
思っていたよりも大きくて。
少しごつごつしていて。
けれど、優しく支えてくれている手。
「あの……大丈夫ですか?」
もう一度、ユウトの声が聞こえた。
素敵な声。
マヤは、ゆっくりと顔を上げる。
目が合った。
優しい目。
瞳の中に映る、自分の姿。
ただ、それだけなのに。
自分だけを見てくれている。
そう思えた。
「マヤさん?」
「マヤさん!」
「……っ」
マヤは我に返る。
「あ、ああ、すみません!」
「あ、あり、ありがとう、ございま……す」
「いえ」
ユウトは少しだけ眉をひそめた。
(まだ体調が良くないのか?)
「無理しない方が……」
「い、いえ!」
マヤは慌てて首を振る。
「大丈夫です!」
「ほ、本当に、大丈夫ですから!」
「そうですか?」
「はい!」
マヤは、少しだけ頬を赤くしながら笑った。
「何かあったら、すぐ言ってくださいね」
ユウトはそう言って、手を離す。
ただ、それだけの言葉。
ただ、普通に心配しただけ。
だが。
マヤの胸には、なぜか強く響いていた。
何かあったら、すぐ言ってください。
その言葉が、少しだけ違う意味に聞こえてしまう。
何かあったら、俺を頼れ。
そう言われたような気がした。
「はい……」
マヤは小さく頷く。
(ユウト様ぁ……)
その顔は、少しだけぼんやりしていて。
けれど、どこか嬉しそうだった。
その様子を、終始にやけ顔で見ていた男がいた。
ドランである。
声には出していない。
だが。
その顔は、とてもうるさかった。




