第118話:体調管理も仕事のうちとは
私の名前はマヤ。
先日から、ウラジオ商会の商品開発室で働いています。
この商業都市ゴルディアで、三本の指に入る大企業。
ウラジオ商会。
その商品開発部門は、すなわち商会の要。
責任ある仕事を任されています!
お父さん、お母さん。
私は今……。
いえ……。
疲れました。
「……」
「……」
「ハッ……」
マヤは目を覚ました。
ぼんやりとした視界。
重い身体。
「ここは……」
「どこ……」
ゆっくりと起き上がり、周囲を見渡す。
黒いカーテンの隙間から、外の光がわずかに差し込んでいる。
薄暗い部屋。
黒いベッド。
黒いソファ。
黒いガラステーブル。
黒で統一された空間。
「なに……?」
「ここ……」
ふと、自分の腕を見る。
「なに、これ……」
腕から、細長い管が伸びていた。
管の先には、萎んだ袋が吊り下げられている。
「……っ」
思わず身を引こうとした。
その時――
ガチャ。
扉が開く音がした。
誰かが靴を脱ぐ。
そして、こちらへ近づいてくる。
「それは点滴よ」
女性の声だった。
「身体に必要な栄養を、直接補給する道具なの」
「今取り替えるから、少し待っててね」
うっすらとしか顔が見えない。
けれど。
若い女性。
そして、とても優しい声だった。
シャーッ。
その女性が窓の前に立ち、カーテンを開ける。
光が部屋に入り込む。
そこで、マヤはようやく女性の顔を見た。
「初めまして」
女性は、やわらかく微笑んだ。
「シオリ・サトウです」
「あ、初めまして……」
マヤは反射的に頭を下げようとした。
「マヤと申します」
そして、すぐに状況を思い出そうとする。
「あの、私、いったい……」
「部屋の前で倒れていたのよ」
「原因は、仕事のストレスと過労」
彼女は静かに答えた。
「仕事……」
その言葉を聞いた瞬間。
マヤの目が見開かれた。
「はっ!」
一気に意識が戻る。
「た、助けてくれてありがとうございます!」
マヤは慌てて身体を起こそうとした。
「私、仕事に行かないと!」
「だめよ!」
シオリの声が、少しだけ強くなる。
だが、怒鳴るような声ではなかった。
止めるための声だった。
「よく言うでしょ?」
「“体調管理も仕事のうち”って」
「……」
「ゆっくり休養を取るのが、今のあなたの仕事よ」
「でも……」
「大丈夫」
シオリはにこっと笑った。
「そっちも任せて」
「……?」
マヤはきょとんとした。
けれど、彼女の笑顔は不思議と安心できた。
優しい顔だった。
「あの……」
マヤがおそるおそる口を開く。
「ここは、ユウトの部屋よ」
「……」
質問する前に、答えが返ってきた。
「安心して」
「治療したのは私だから」
「ユウトは別のところにいるわ」
「あ……はい……」
マヤは妙な感覚に包まれた。
聞こうとしたことが、先に答えられる。
まるで心の中を読まれているようだった。
「さっ…」
「ゆっくり休んで」
「……はい」
言われるがまま、マヤは再び横になる。
身体はまだ重い。
まぶたも重い。
本来なら不安になるはずなのに。
彼女の声が、妙に温かかった。
マヤは、そのまま静かに眠りについた。
──────────
そのころ。
ユウトは、ウラジオ商会にいた。
応接室。
そこには、ユウト、ウラジオ、レイヴンの三人がいた。
「パワハラですと!!!」
ウラジオの驚く声が、部屋中に響き渡る。
「いや、失礼」
ウラジオはすぐに咳払いをした。
だが、その顔には明らかな動揺が浮かんでいた。
「ユウト殿」
「それは本当ですか?」
「本当です」
ユウトは真剣な顔で頷く。
「過度の労働とストレスで、マヤさんが倒れました」
「なんと……」
ウラジオの表情が青ざめる。
「それで!」
「マヤは?」
「マヤの容態は?」
「マヤは無事でしょうか?」
その声には、作り物ではない焦りがあった。
本気で心配している。
それは、ユウトにも分かった。
「今はシオリが見てくれてます」
「二、三日の休養が必要らしいですけど、大丈夫です」
「そ、そうですか……」
ウラジオは胸を押さえ、大きく息を吐いた。
心底安心したようだった。
だが、すぐに表情が曇る。
「まさか、この商会でパワハラなんて……」
ウラジオは唇を噛む。
「恥ずかしい話ですが」
「自分のところは無関係な話だと思っておりました」
「上に立つ者として、失格です」
そう言って、ウラジオは深く息を吐いた。
「レイヴン」
「お前は知っていたか?」
「いえ……」
レイヴンは静かに首を横に振る。
「私も把握しておりませんでした」
「ただ……」
レイヴンの表情が、わずかに険しくなる。
「商品開発室の従業員の残業時間は、確かに他の部署よりも多い傾向にあります」
「もう少し追及すべきでした」
レイヴンはユウトへ向き直る。
「ユウト様」
「今回の件は、私の落ち度です」
そう言って、深く頭を下げた。
「……」
ユウトは何も言えなかった。
確かに、そうかもしれない。
レイヴンが残業時間の多さについて、もっと早く追及していれば。
防げたかもしれない。
でも。
それだけではない。
「全ての元凶は、商品開発室にあります」
ユウトは静かに言った。
「確かに……」
ウラジオの目が鋭くなる。
「レイヴン」
「今すぐ商品開発室へ行くぞ」
「かしこまりました」
ウラジオとレイヴンがすぐに動こうとする。
だが――
「待ってください」
ユウトが止めた。
「俺が行きます」
「ユウト殿が?」
ウラジオが眉をひそめる。
「二人は、ここで見ていてください」
そう言って、ユウトは事前に用意していたモニターを取り出した。
「これで、何を……」
レイヴンが不思議そうに見る。
次の瞬間。
ユウトの身体が、淡く光り始めた。
「こうします」
声が変わった。
女性の声。
光が収まった時。
そこに立っていたのは――
マヤだった。
「なっ……えっ、えええ?」
レイヴンが目を見開く。
普段冷静なレイヴンにしては、かなり珍しい反応だった。
「なるほど」
「シオリ様の発明ですね」
ウラジオは以前、シオリがバルドに変身するところを見ている。
納得が早かった。
「今の職場の実態を確認します」
「二人が行くと、取り繕われるかもしれない」
「でも、マヤさんとして行けば」
「普段の態度が見られるはずです」
ウラジオは少しだけ目を伏せた。
そして、重々しく頷く。
「分かりました」
「ユウト殿、よろしくお願いします」
ウラジオが頭を下げる。
「では、行ってきます」
そう言って、応接室を後にする。
ユウト。
いや。
マヤであった。
「……」
ウラジオとレイヴンは、しばらく無言で扉を見つめていた。
だが、すぐに扉が開く。
「すいません」
「商品開発室ってどこですか?」




