第116話:パワハラ
ユウトの部屋の前。
「じゃあ、食べ物持ってくるので」
「少しだけ待っててください」
そう言って、ユウトは部屋の鍵を開けた。
「ありがとうございます」
マヤは丁寧にお辞儀をする。
ユウトが部屋に入るのを確認すると、マヤは壁に寄りかかった。
「……」
部屋の中。
ユウトは腕を組んで考える。
こんな時間に、疲れ切った人間へ渡すもの。
重すぎるものは駄目だ。
でも、何も食べないのもよくない。
「……これか」
ユウトはテーブルに向かって手を開いた。
現れたのは、栄養ドリンク。
それと。
サンドイッチ。
食べやすくて、そこそこ腹に入るもの。
「よし」
それを持って、ユウトは部屋の外へ出た。
すると――
マヤが、床に倒れていた。
「ええ!?」
ユウトは驚きのあまり、持っていたサンドイッチと栄養ドリンクを床に落とした。
もう、ほろ酔い気分などどこかへ行ってしまった。
どうすればいい。
どうすれば。
「誰か!」
「なんで……!」
ユウトは混乱しながら、周囲を見回した。
そして、すぐに思い出す。
「セレス!」
「そうだ!」
ユウトは隣の扉へ駆け寄った。
ドンドン。
ドンドン。
「セレス!」
「はーい」
中から声が聞こえた。
「居た!」
その声だけで、ユウトは少し安心した。
扉が開く。
目を擦りながら、セレスが顔を出した。
「どうしたの?」
「こんな遅くに……」
「助けて」
ユウトは振り返った。
「マヤさんが倒れた」
その言葉を聞いた瞬間。
セレスの表情が変わった。
眠気が一気に消える。
すぐにマヤのそばへ駆け寄り、膝をついた。
「……」
セレスは、しばらくマヤを見つめる。
その瞳が、静かに揺れた。
脳裏に、情報が浮かび上がる。
『極度の過労』
『職場でのストレス』
『不眠』
『限界』
『助けて』
『休養が必要』
「……っ」
セレスの眉が、わずかに寄った。
「ユウト」
「彼女をベッドに運んで!」
「でも……」
「早く!!」
セレスの声が、廊下に鋭く響いた。
ユウトはびくっと肩を震わせる。
だが、すぐに動いた。
「わ、分かった!」
マヤの腕を、自分の肩に掛ける。
身体が軽い。
想像していたよりも、ずっと軽かった。
それが逆に怖かった。
セレスはユウトの部屋の扉を開け、閉まらないよう押さえる。
「ゆっくりでいいわ」
「気をつけて」
「う、うん……」
ユウトは慎重にマヤを運び、ベッドへ寝かせた。
マヤの顔色は悪い。
呼吸はある。
でも、明らかに弱っていた。
「ユウト」
セレスが振り返る。
「点滴をイメージして」
「点滴?」
「そう」
セレスは早口で説明する。
「液体の中は、ラムネの成分だけを綺麗な水に溶かしたイメージ」
「ジュースじゃないわよ」
「お菓子の方」
「その液体には、ビタミンがいっぱい入ってる」
「そんなイメージで創造して!」
「……分かった」
ユウトは目を閉じた。
点滴。
自分が病院で見たことのあるもの。
透明な袋。
細い管。
ぽた、ぽた、と落ちる水滴。
腕に刺さる針。
白いテープ。
ベッドの横に吊るされたスタンド。
「……」
ユウトは手を開いた。
次の瞬間。
点滴が現れる。
「……」
セレスは、無言で液体を見る。
色。
濁り。
濃度。
成分。
すべてを確かめるように。
そして、小さく頷いた。
「うん、成功よ!」
「次」
「消毒液とガーゼ」
「分かった」
ユウトは言われるがまま、それらを創造する。
セレスは受け取ると、迷いなくマヤの腕を取った。
消毒液を含ませたガーゼで、肌を拭く。
点滴の針を持つ。
「お、おい……」
ユウトの声が震える。
だが、セレスは振り返らない。
彼女の腕のどこに。
どの角度で刺せばいいのか。
何を避け。
どこを狙うべきなのか。
セレスは、足りない技術をスキルで補っていた。
「大丈夫」
短く言う。
そして、マヤの腕に針を刺した。
手際は驚くほど正確だった。
迷いがない。
余計な動きもない。
点滴の管を固定し、テープで留める。
液体が、ぽた、ぽた、と落ち始めた。
「ふぅ……」
セレスはようやく息を吐いた。
「もう大丈夫」
「あとは、ゆっくり休ませてあげて」
「あぁ……」
ユウトは大きく息を吐いた。
「ありがとう」
それから、改めてセレスを見る。
「お前、すごいな……」
素直に感心するユウト。
セレスは、少しだけ得意げに笑った。
「私、失敗しないので!」
「嘘つけ」
ユウトは即座に言った。
顔は少し緩んでいた。
安心したのだ。
マヤが助かると分かって。
セレスがいてくれて。
ようやく、少しだけ息ができた。
「病院に連れてった方が良くないか?」
ユウトがそう言うと、セレスの表情はすぐに曇った。
「まともに診られる場所がないのよ……」
「は?」
ユウトは思わず聞き返した。
「こんな大都市に?」
「ここは、シオリちゃんが来た5年の間に急激に発展した街なのよ」
セレスは静かに言った。
「さすがに医療だけは、技術を持ち込んだだけじゃ簡単には育たないわ」
「……」
セレスの言葉に、ユウトは何も言えなかった。
空を飛ぶ車。
高いビル。
パソコン。
発展した街並み。
それなのに。
人が倒れた時に頼れる場所がない。
その歪さが、急に怖くなった。
「それにしても……」
セレスは、ベッドで眠るマヤを見つめた。
「ここまで彼女を追い込むなんて……」
呆れたような。
怒っているような。
そんな声だった。
「何があったんだ?」
ユウトが尋ねる。
セレスは静かに答えた。
「今の職場環境が原因よ」
「えっ……」
ユウトの顔が青ざめる。
頭の中に、すぐに浮かんだ。
ハンバーガー。
包み紙。
商品開発室。
マヤが異動したきっかけ。
「俺のせいだ……」
ユウトは呟いた。
「俺が、ハンバーガーなんて作ったから……」
「違うわ」
セレスは即座に否定した。
「ユウトのせいじゃない」
「でも……」
「違う」
セレスは、はっきりと言った。
「原因は、職場でのパワハラよ」
「……パワハラ」
ユウトは、その言葉を繰り返す。
聞き慣れた言葉。
元の世界でも、よく聞いた言葉。
だが。
まさか、この世界で。
こんな近くで。
目の前の人間が倒れるほどの形で、見ることになるとは思わなかった。




