第114話:シュウイチ
「準備ええか?」
「あ……あぁ……」
ユウトとシュウイチは、グラスを持ち上げた。
「ほな……」
「かんぱーい!」
「かんぱーい!」
恐る恐る、ユウトはグラスに口をつける。
口に含んだ瞬間、舌の上でピリッと炭酸が弾けた。
次に来たのは、レモンの爽やかな酸味。
そして、口から喉へ移動する時に感じる、独特の苦味。
ゴクッ。
飲み込んだあと、鼻からレモンの香りが抜ける。
舌と上顎の間に、ほのかな苦味が残った。
少し苦い。
けど……
嫌な苦味ではなかった。
それどころか――
「うまい!!」
初めての酒。
よく、美味しくないと聞く。
けれど、そんなことはなかった。
「おっ、いける口やん!」
シュウイチが嬉しそうに笑う。
「これも食べてみ!」
差し出されたのは、お通しだった。
大根とネギと鶏肉の煮物。
ユウトは箸で一口分を取り、口へ運ぶ。
だしの染みた大根。
柔らかく煮えた鶏肉。
くたっとしたネギの甘み。
酒のあとに食べると、妙に落ち着く味だった。
「うまっ!!」
「せやろ!」
シュウイチは得意げに笑う。
「残りもん煮込んだだけやのに、うまいねん!」
「それを言うなよ!!」
目の前で、親父が笑いながら突っ込む。
よく見ると、ネギと鶏肉には、一度串が刺さっていたような跡があった。
「褒めてんねん」
「それ、褒めてるのか?」
「親父の涙ぐましい企業努力っちゅうやつや」
「へぇー。みんな頑張ってんだな」
「こいつのアドバイスのおかげだけどな!」
親父が笑顔でシュウイチを指さした。
「前のバイト先で、店長がやってたん思い出しただけや」
シュウイチが、少し照れたように笑う。
「お前、すごいな!!」
「経験に無駄なもんなんて、あらへん」
シュウイチはレモンサワーを一口飲み、軽く笑った。
「どんなしょうもない仕事の経験でも、いつか役に立つんやで」
「名言っぽいな、それ!」
「やめろや!」
シュウイチは照れたように顔をしかめる。
「前々から考えてたみたいになるやん」
「ハハハっ!」
ユウトと親父が、照れ笑いするシュウイチを見て笑った。
その空気が、妙に心地よかった。
肩の力が、少しだけ抜けていく。
「まぁ、ゆっくりして行きな!」
そう言って、親父は他の客の注文を取りに行った。
「ところで、優斗……」
急に、シュウイチが真顔になった。
「……え?」
その変化に、ユウトは気づく。
さっきまで笑っていた顔が、急に引き締まっていた。
「お前、こっち側の人間やろ」
「……なんのことだ?」
「隠さんでええ」
シュウイチは、じっとユウトを見る。
「俺の目は誤魔化されへんで」
「隠すって……何をだ?」
ユウトは少し身構えた。
パソコンのことか?
それとも……
ハンバーガーのことか?
もしかして……
スキルのことか?
「優斗……お前……」
シュウイチは、さらに声を低くする。
ユウトは、思わず息を呑んだ。
そして――
「五つ子のヒロインで誰が好きやった?」
「……」
ユウトは固まった。
元の世界で流行っていた、五つ子の恋愛アニメ。
その話題を、なぜ今、その顔で聞く。
「……せーので言うで」
「いや、待て。なんで急に――」
「せーの!」
「次女!」
「長女!」
二人の声が、同時に重なった。
「……」
「……」
一瞬、沈黙。
そして。
「プッ」
「ハハハハハハ!」
シュウイチが腹を抱えて笑い出した。
「やっぱりな!」
「アニメかよ!」
ユウトも思わず声を上げる。
「お前、急に真面目な顔しやがって!」
「いや、これは大事やろ!」
シュウイチは笑いながら言った。
「お前、引っ張ってくれる子がタイプなんやな」
「そういうお前はツンデレ好きかよ!」
突然始まる、好きなヒロインでの性格診断。
アニメ好き同士の会話。
ただ、それだけなのに。
ユウトは、少しだけ胸が軽くなるのを感じた。
元の世界の話。
くだらない話。
誰かと、何も考えずに笑う時間。
それが、こんなに楽だったとは思わなかった。
「ったく、急に真面目な顔しやがって」
「仕事の話か何かだと思っただろ」
「そんなんするわけないやん」
シュウイチは、あっさりと言った。
「俺、プライベートと仕事はきっちり分けるタイプやねん」
「そうなのか?」
「仕事にプライベート持ち込むやつは社会人失格とか言うやろ?」
「まあ、言うな」
「なら当然、プライベートに仕事持ち出すのも社会人失格や」
「……」
ユウトは、少しだけ目を丸くした。
「確かに! そうだよな!」
「せやろ?」
シュウイチは満足そうに頷く。
「遊ぶ時は遊ぶ」
「飲む時は飲む」
「仕事する時は仕事する」
「そこ混ぜたら、全部しんどなるからな」
「なるほど……」
ユウトは素直に感心した。
この男は、軽い。
明るい。
距離が近い。
けれど、何も考えていないわけではない。
「せやから」
シュウイチは、にやりと笑った。
「仕事の時は容赦せえへんからな!」
「おう!」
それからしばらく。
二人は、好きなアニメの話で盛り上がった。
というか、ほとんどずっとアニメの話をしていた。
「なぁ、神回の時って、SNSで同じ気持ちのやつ探すの俺だけ?」
「わかるわ!」
「けど、俺はすぐ呟くタイプやったわ」
「じゃあ俺、お前のアカウント見たことあるかもな!」
「恥ずいわ!」
シュウイチは慌てたように手を振る。
「絶対教えへんからな!」
「教えろよ!」
「死んでも教えへん!」
「くそ! 説得力が強すぎる!」
「ハハハ!」
再び、二人は笑い合った。
「にしても、優斗」
シュウイチがグラスを置きながら言う。
「お前、酒強いな」
「え?」
「そうなのか?」
「そうやろ。俺はもうベロベロやで」
「嘘つけ!」
ユウトは思わず突っ込んだ。
「ジュースだろ、こんなの」
「出た!」
シュウイチが指を差して笑う。
「おっさん臭いぞ、それ!」
「まじか!」
そう言って笑った瞬間、ユウトの視界が少しだけ揺れた。
ほんの少し。
気のせいだと思えるくらいの揺れ。
けれど、頬は熱い。
身体の奥も、ふわふわしていた。
「今日はもう、お開きにしよか?」
「そうするか!」
ユウトは頷いた。
「今日はありがとな!」
「ええって」
シュウイチは親父に向かって手を上げる。
「親父ぃ、お会計と水頼むわ」
「あいよー」
「まだ飲むのかよ?」
「最後の水は別腹や」
「水に別腹とかあるのか?」
「ある」
シュウイチは真顔で言った。
「お前も飲んでみ?」
そう言われて、ユウトは水を受け取った。
そして、口をつける。
ゴクッ。
ゴクッ。
ゴクッ。
喉を鳴らして飲む。
酒で程よく火照った身体から、熱がスーッと引いていく。
全身に水分が染み渡る。
たった一杯の水なのに、身体中の細胞が喜んでいるようだった。
「うめええええっ!」
「だろ?」
シュウイチはニッと笑い、自分の水も飲み干した。
支払いを済ませ、ユウトとシュウイチは店を出た。
「んじゃ、気ぃつけて帰れよ!」
「お前もな!」
ユウトは軽く手を振る。
夜風が、酒で火照った頬を撫でた。
ひんやりして、気持ちいい。
(ふぅ……)
(楽しかったな!)
そう思いながら、ユウトは軽い足取りで歩き出す。
少しだけ足元がふわつく。
けれど、不快ではなかった。
むしろ、胸の中まで軽くなったような気がした。
その後ろ姿を、シュウイチがじっと見つめていた。
「あいつ……」
少しだけ首をかしげる。
「……帰る方向、あっちでええんか?」




