兄弟子の鱗片
お待たせしました!
一拍遅れて悲鳴が響き渡る。
それは怪我を負った男のものでもあるし、その周囲を囲む女たちのものでもあった。
そうしている間にも男の頬の傷からは絶え間なく血液が流れだし、首を伝って服を汚していく。
下手人であるはずの兄弟子……アースレイはそんな状態の一行には一切目もくれずに、穏やかな笑顔を浮かべながら素早く鈴鹿の隣へと移動するとどさりと小脇に抱えていた何かを床に落とした。
「うっ……。」
うめき声とともに現れたのは件のフィリーという魔法使いの少女だった。
既に拘束は解除されているようだが思いの外アースレイの移動手段の負荷がかかったのか意識は無いようである。
「すまない。これが道に捨てられていて、もしかしたら必要になるかもしれないと思って持ってきたんだ。」
「え?あ、ありがとう……ございます?」
思わず反射的に答えた感謝の言葉に対してなのか照れ臭そうに頬を掻くアースレイ。
しかし、話題には上げていたものの差して重要視も何もしていなかった鈴鹿には意図がよくわからなかった。
そんな彼女に更にアースレイは小声で言葉を続ける。
「……君は、さっきの魔法の件と言いまだ十分にこの世界に馴染めているとは言えない状態だろうから、彼女を観察してそれを勉強していくといい。」
きっと貴族やら王族やらよりも余程いい教材になってくれることだろう。と、笑う兄弟子に鈴鹿は曖昧に笑って見せる。
(どうしてこう、温度差があるのだろうか、この神)
先程からというより紹介されてからずっと彼は鈴鹿のことをそれとなく気に掛けてくれている。
多分それは不出来な妹を気にする兄の心境とかそんな所なのだろうと鈴鹿は勝手に解釈している。
もしかしたら次なる師匠の犠牲となるであろう鈴鹿に過去の自分を重ねて同情してくれているのかもしれない。
……どういった背景があるにしろそれに助けられている鈴鹿にとっては尊敬や憧れと言った感情を持つことのできる稀有な神という印象が強いのだが、そんな彼に対してそれでも鈴鹿が疑問に思うところがある。
(何故、人を物の様に扱うの。)
鈴鹿の前では少なくともそんな素振りは見せないのだが、言葉の端々に人間にではなく物に向けるかのような発言が目立つときがある。意図してそう言っているのか、はたまた無意識になのかは定かではない。
気になるところではあるが師匠との関係性の様に聞くのを躊躇してしまう。
果たして、それはただの妹弟子である自分が入ってしまっていい領域なのだろうか、と。
そんなことを延々と考えていた鈴鹿の耳を良く馴染んだ低い声が打った。
「さて、それじゃあ始めようか。」
言って、アースレイはいつの間にか引き抜いていたらしい長剣を構えている。
横目で見るその顔にいつも向けてくれている笑顔は微塵もない。
心なし瞳は鋭く、まるで氷というよりは鉄の様な、余分を一切排したかのような冷徹な表情で先……キラキラ王子一行を見据えている。
そんな人の形をとった荒ぶる神を前に本能的な恐怖を感じているのか、怯んだ様子のキラキラ王子一行が声を上げた。
「な、何なんです!いったい。何故このようなっ」
「何故?それはこちらの台詞だ……俺の連れに、一体何の権利があって銃口を向けているのか、教えてくれないか?」
言うが早いか、次の瞬間には発砲した少女、スーメのすぐ傍まで迫ったアースレイは彼女の細い腕、正確にはその腕に装着された腕輪を見て僅かに眼を見開いた。
「君は……《水辺を歩く者》か。」
その感情の無い声に弾かれたようにスーメは腕輪を隠すように掴んだ。
周囲の彼女の仲間たちもその様子に殺気立つ。
「っつ……どう……して……。」
アースレイは答えない。
ただ、薄く、とても悪い笑顔で吐き捨てるように笑ってその腕輪へと手を伸ばす。
バキリと簡素な木材が割れるような音が響いた。
次いで、さっきの男の声とは比較にならないくらいの女の絶叫が響き渡る。
「が、ぎ、あぎゃあああああああっああああ゛っ」
そのまま絶叫した女、もといスーメはその場に崩れ落ちる。
が、それがまるで許されない事であるかのように床に倒れ込むたびにその体は痙攣し大きく仰け反る形になる。ドンッという鈍い打撃音が、彼女が床に身体を投げ出す度に彼女の手足と頭の方から断続的に響いているが、本人にそれを止める余裕もないのか徐々に音は大きくなっていく。
肝心の彼女はというと絶叫を上げながらその指先は中空を必死に掻いている、時折偶然にも顔にあたるそれは爪が伸びていたのか勢いを殺すことなく自身の顔面すら掻き毟り血塗れに変えていった。
余りの惨状に皆呆然として動けずにいる中で鈴鹿はなるべく冷静になるように努めてスーメを解析する。
彼女から取り出された文字たちが宙を舞って文章を形作っていく。
スーメ
本名 エスラ・イリオリム
アースレイ教を信仰するイリオリム家の三女。
アースレイ教の下部組織、暗殺集団《水辺を歩く者》の一員。
代々アースレイを祀ることで恩恵と加護を受けてきた。
それ故にまだ未熟ながらも運動能力が異常に高く……
ガシャンッという音とともに構築されていた文字が砕ける。
そのまま残っていた文字もまるでステンドガラスが割れるかのように次々と割れ、砕け散った。
最後には名前すら砕け、偽名と現在王子一行に所属しているという意味合いの一文のみが残る。
文字が足されなくなったのを見届けた鈴鹿がそれを消すころには、既に音は止んでいた。
音源だった少女は、その手足をだらりと垂らし目は中空を彷徨い焦点が合っていない。
唇は魚の様にパクパクと開閉し、音にすらならずに消えていく。
最早そこに意思はなく、ただ、人の形をした何か……生きた死体が転がっているだけだった。
そこでやっと事の重大さが伝わったのか、さっきまでの平静さをかなぐり捨てるかのように少女の元に彼女の仲間が殺到する。その中をものともせずにふらりとアースレイが鈴鹿のもとに戻ってきた。
すぐ傍より手前で止まったアースレイはおもむろにコートを開いて中にぶら下げていた薬瓶の内の一つを手に取る。
「……足りない。」
ぼそりとそう一言呟くと、彼は舌打ちを一つ零した。
鈴鹿の方からは残念ながらコート越しのため全く顔は見えないがかなり機嫌が悪い様だ。
そんな兄弟子の初めて聞く悪態に鈴鹿は思わずビクリと肩を揺らして動揺が隠し切れずにいたのだが、そんな様子を感じ取ってか、アースレイはコートから顔を上げるころには完全に元の普段の表情に戻っていた。
「待たせたな。それじゃ、少し手荒いけれど、行こうか。」
そう言って腕を引かれる。
次の瞬間にはさっきの魔法使いの少女ともども抱え上げられ……窓を突き抜けた。
ガシャアアアンっという音と、ガラスの破片とともに空へと飛びだす。
「え、ええええええええ!?」




