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大きなイチョウの樹の下で2  作者: おきついたち


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2/3

2.イチョウとシかク

子供クラブに出勤して。

ロッカー室でエプロンを着けながら宵は胸元の刺繍をチラリ。

昨日は白黒2匹の猫模様だったけれど。

今日は白黒ハチワレの1匹でウィブレを着てる刺繍なんて。

スキなよーに振舞う2人に、何もツッコめない宵はただ祈る。

(よお解らんけど…刺繍のまま大人しぃにしとってやぁ…)

そんな感じで少しドキドキしていたけれど。

クラブに子供達が集まり始めると、刺繍のことはもう意識の外。


昨日1日で子供達は宵のことを「怒らなくて・優しくて」

そして「何してもエエヒト」のラベルを付けたらしく。

甘えると言うより。

体当たりでワガママをぶつけてくる。

読み聞かせの途中なのに、トイレに引っ張られ。

汚した床を掃除しようと屈めば、馬乗りにされて。

泣いてる子を慰めてると、何処からか丸めた紙屑がぶつけられて。

何んだかスキとキライの感情を同時に浴びてるカンジで焦ってしまう。

(ふわあ~みんな元気過ぎや~オレずっと振り回されとぉワ~。

どない対応すンのが正解なんやろ…)

昨日「テキトーに誤魔化してイイ」と言われたけれど。

余裕が無くて誤魔化す方法すら思いつかない。


やっと昼休みに入れた宵は給湯室のイスに座ってついタメ息。

バイトなのでスタッフ室に机は無くて。

ロッカー室と給湯室だけ自由に使える。

少し肌寒さを感じていたので先にロッカー室でジャケットを着て。

そのポケットには今朝追加で買ったココアスティックがあるし。

借り物のジャケットで定常の温もりを思い出して浸る。


給湯室に入ると。

正規職員の人達は入替りで休憩が終っていて、宵1人だけ。

そっとシャツの胸元を引っ張って小さく声を掛けてみる。

「しーちゃんくーちゃん、

今ならココア淹れられるで?飲む?」

その言葉でシュルっと刺繍がほどけ、白と黒の糸がふゆんと浮んで。

クッキー型みたいにヒトの輪郭を作って喋り出す。

「あの粉はダメ」

「あの粉は私達の」

「判っとるよぉ、スティック取り上げたりせぇへんよ。

今朝コンビニで新しいの買うたんや」

「…」

「試しに淹れてみよか。

もし気に入らへんかったら飲まんでもエエし」

目の前には糸2本浮かんでるだけでも。

宵には昨日の女の子2人に思えて優しく話していると。

背後から突然声を掛けられ、宵は跳び上がってしまう。

「中江さん、だーいじょーぶう?」

「うわっ」

「そんなビックリせんでも。

隅っこでブツブツ独り言しとったら心配してまうやん。

朝からずっとターゲットにされてましたもんねえ。疲れたでしょ」

その声は職員の中でも大ベテランで頼りになる石橋さん。

「お、おつかれさまです」

もちろんシャツの刺繍は元通りになってはいるけど。

ちょっと冷や汗を浮かべながら宵は応える。

「ターゲットて…」

「そこのティーバッグのお茶は自由に飲んでエエんよ。

はいどおぞ。味薄いし2個使って」

「ありがとございます…」

すっかり香りが抜けた安っぽいティーバッグを受け取り、

石橋さんと並んで宵もポットのお湯をカップに注ぐ。

まだ白湯状態なのに、もう石橋さんはカップに口を付けながら

イスに座って話し出す。

宵にと言うより、新人には必ずする説明みたいにスラスラと。


「ここに来とる子ぉらはちょおっと寂しい子ぉやねん。

他のとこは、保護者さんが入園希望出して抽選すンやけど。

保護者から何ンも要望が無うて、最終的に集められるンがここ。

全員がそおとは言わんけど。

子育てとか教育に無関心な環境に居る子ぉが多いンよ」

「え、それて…ネグレクトとか…ですか?」

さっきの冷や汗とは違う、冷たい緊張感が宵の背中を流れる。

「いややわぁもー。

そおなったら犯罪やんか通報義務やで、そこまでや無いよぉ。

私ら職員にとって、保護者の過干渉や過保護もメンドイけど。

その正反対なカンジ。

もおちょい子供を大切にしたったらエエのにて思うレベルやな」

さすがにカップのお茶は薄かったみたいで。

石橋さんはティーバッグをお湯の中で振りながら淡々と話す。

「その深さをなあ3段階に分けるとしたら。

中江さんにまとわりついたり、ちょっかい出す子ぉは深さ1段目。

中江さんが、自分にいちいち反応してくれるやろ。

それが珍しいて嬉しいねん。

せやから中江さんをターゲットにしてなあ。

応えを返して貰うて、子供は「自分が在る」て実感しとるンや。

いつもの生活やと大人は自分に無関心やし。

自分をアピールするとウルサイ!て否定されてまうやろ。

家ではじっとして自分を「無」にしとる反動みたいなモンや」


カップの中はもう緑茶色になっているけど。

宵の頭の中には今日1日自分に向けられた子供達の顔が浮かんで。

お茶を飲むことも出来ず固まってしまう。

(オレ…あの子達が安心出来るよおな応えしとったやろか…)

そう自分の至らなさを思ってキモチが沈む。


「もおちょいしたら子供のアピールが攻撃的になるで」

「こうげき?」

「手ぇツネったり爪立てたりすんねん。

せんせーがわるいー!て泣き喚いたりもすんなあ。

でもビビらんで良えからね、それが深さ2段目や。

大人が怖ぁて信じられへん子ぉらあな。

これでもかーこんなんしても怒らんのかーてイジワルして試しとる。

けど2段階目はまだギリ大丈夫。

時間掛けてゆっくり付き合うとったらな。

怒鳴ったり叩いたりせん大人も居るて気付くんや。

そしたら大人を見る目ぇが少おしは変わってくる。

まあ、この短い時間で信頼関係作るンは難しいけどなあ」


不意に宵は定常のひとこと「大変だな」を思い出す。

言葉や理屈が通るとか通らないとかだけじゃなくて。

子供には子供なりの表現や意味が有るとは、解って無かったかも。

そんな子供の行動や想いを読み取ろうとして無かったかも。

(オレ料簡狭いなあ…)

自分の未熟さが恥ずかしくてまたまた凹むけれど。

そんな宵の落ち込みはスルーして。

石橋さんの声のトーンは急にシビアになって、おまけにタメ息も追加。

「これが深さ3段階目になるなとねえ、もおねえ。

何処に居っても何しとっても反応薄うて、自分が無い状態や。

鏡が無いと自分の顔て分からんやん?それと同んなじ。

自分を意識して映してくれる大人が周りに居らん子ぉな。

せやから空っぽで感情も無いみたいになっとる。

まあそおいう子ぉはそもそもずうっと欠席しとるけどねえ」

石橋さん自身も暗いキモチになってしまったらしく。

ちょっとの沈黙のあと気分を変えようと、ふっと立ち上がり

もう一度棚をごそごそ探り出す。

「おやつで残ったチョコレートが有るはずなンや。

ええと、あった!あらちょお潰れとるワ。

まあ味は変わらへんもんね、はいどおぞって。

お坊さんてチョコとか食べるぅ?」

でも宵の頭にはチョコよりも他の単語が引っかかっていて。

それがそのまま言葉で出てしまう。

「あの、欠席しとお子にヨシダトワちゃんて居りますか?」


ファミリーパックの個包装された小さい四角のチョコ。

それを2個渡そうと腕を伸ばし掛けた石橋さんの顔が青ざめる。

「え…ちょお、その名前…。

いやっ止めてやっ!何ん?何んで今その名前言うん?

もお5年も前の話やのにっ」

石橋さんの温和な丸顔が引き攣って悲鳴にも似た声になるから。

宵までびくっと硬直してしまう。

(え?その子の話て…そんなオオゴトなん…?)

そんな不穏な空気なのに。

全く周りを気にもしないで唐突に白黒糸がシュルンと伸びて。

しー&くー姿になるとチョコを1個ずつ摘まんで飛び跳ねる。

「あった!」

「これで辿れるね、行こっ」

「え?」

突然の状況変更にもちろん宵は大慌て。

目の前の石橋さんにどう説明すればイイのか、もお真っ青。

でもそんな心配をする必要は無くて。

いつの間にか宵が立ってる場所は給湯室じゃなくなっていた。




(ここ…流れの外やろか?)

さっきまで居た学校と校庭を、水面越しに見下ろすこのカンジ。

(母さんと一緒に、佐藤さんの家やご家族を見た時と同んなじや)

ただあの時と違うのは。

隣に居るのは優美ではなくて、しー&くー。

2人とも宵のことを忘れたみたいに、ご機嫌でスキップ。

2人の手にふんわり浮かぶのは石橋さんから受け取った小さなチョコ。

そしてトトン♪と進む足元にはココアパウダーの道。

何んとなく辺りは甘いチョコの香りが漂っている。

「しーちゃんくーちゃんっ。

何処行くん?ちょお待ってっ。

あの、ここでオレ母さんに会えるん?」

置いて行かれても困るし。

慌てて宵が追い掛けると、思い出し顔でやっと2人は振り返る。

「あれえ?せんせー?」

「びっくり!ニンゲンなのに、ここに来ることが出来るの?」

「や、別に…来たぁて来たワケちゃうけど」

「これもイチョウの力?」

「すごいね、でもちょっと怖いね」

「うん」

「私達はこのまま水溜りから戻れるし」

「もうイチョウには関わらないほーがイイよね」

いつも生意気そうな2人が顔を曇らせてジリジリ後退り。

それは、ここに宵が居るのは想定外と言うこと。

つまりここで優美と会わせるつもりは無かったと言うこと。

思わず宵は腕を伸ばして、しーちゃんの手を掴んでしまう。

「やあだっ!放してっ」

「お願いや、オレどおしても母さんに訊きたいことあって」

「しーちゃんっ早くっ」

くーちゃんの大きな声。

しーちゃんの小さな手は、宵の手の中で糸に変って引っ掛かって。

ぽとんと落ちた小さなチョコはコロコロ転がって。

小さな黒い穴に吸い込まれて行くのを見て、くーちゃんが叫ぶ。

「あった!あの水溜りっ」

しゅわっと白黒2本の糸はその黒い穴に飛び込んで。

宵も細い糸に指を絡まれたまま一緒に穴に吸い込まれて行った。




暗闇で何も見えないけど、身体はゆっくりと沈んで行く感覚。

たぷんどぷんと濁った重みを含む泥水の中みたいで。

何処まで沈むのか、落ちた先はどうなっているのか。

宵はただ定常のジャケットをぎゅうっと握りしめ、

身体を強張らせるしか出来ない。


遠くから話声が漏れ聞こえ、闇しかない中で宵が耳を澄ますと。

それは聞き覚えのある石橋さんの声も混ざったスタッフのお喋り。


「見つかった時4歳やのに2歳くらいの身体やってんて」

「辛うじて心臓は動いとったらしーけど」

「胃の中は空っぽで餓死寸前」

「内臓とか脳組織のダメージひどぉて結局5日後に亡くなって」

「発見された時、話すことも泣くことも出来んかったって」

「自分の名前も解ってへんてなあ」

「母親は懲役10年やっけ?」

「全然足りんワ、10年で子供1人の人生チャラに出来るワケ無いで」



ふと宵は気付く。

(今沈んで行っとおこの水溜りて。

ヨシダトワちゃんの命なんや、きっと。

そんでヨシダトワちゃんは育児放棄された子ぉなんや。

普通なら流れの中で、命は育って老いて亡くなってくけど。

流れから外れて水溜りンなって、もお流れに戻ることも出来ンで。

水溜りン中の命が尽きるんを待つだけになっとったんや…)


だったら。

沈み切った水溜りの底に在るのはヨシダトワちゃんのはず。

(しーちゃんくーちゃんは、母さんがしとったみたいに。

ヒトを動かしたり入れ替えたり出来るんかな?

そしたらヨシダトワちゃんを流れに戻すことかて出来るんかも)

いつの間にか宵は、優美に会う目的を忘れて。

それよりも。

名前を知るだけで他は何も知らない小さな命が救われる可能性を思って。

どきんどきんと心臓が飛び出しそうな緊張のまま。

水溜りの底に沈み切る時を待っていた。



そして唐突に暗闇がほのかに薄くなる。



そこはカーテンが閉め切られた薄暗いアパートの一室。

しかも所謂汚部屋。

ゴミ袋が山のように詰まれ、袋に入っていないゴミもたくさん。

部屋中饐えた臭いが充満してて、気分が悪くなりそう。

スニーカーの裏には、汚れがこびり付いてゴワゴワしたラグの感触。

(あれ?

臭いとか床の感触とか…また流れの中に戻ったん?)

前に流れの外に居た時は、怖いくらいの無音で凍った空気だったのに。

この場所はとてもリアル。

(しーちゃんとくーちゃんは?)

暗さとゴミの多さで、部屋の広さや造りが判らない。

その場から動けない宵が視線だけ巡らして見ると。

足元にあの小さなチョコの包装紙が何枚か落ちていて。

それを目で追って行くと、壁際に何かが在った。

どくんと心臓が警告する。

見ナイ方ガイイ、気付カナイ方ガイイ。

でもこの緊張感は事実を確認しないと消えないモノだから。

ごくりと唾を飲み込んで、宵は焦点をそれに合わせるしかない。

「っつ…」

頭から冷水をかぶったみたいに宵は恐怖で凍ってしまう。

それは横たわった小さな子供の身体。

元は何色か判らないほど汚れた大人物のTシャツを着ていて。

でもそれすら白ぽく見えるほど、肌はドス黒くてボサボサの髪。

髪に覆われて顔が見えないし、そもそも身体の向きもよく判らない。

それくらい痩せ細って小枝みたいな四肢は脱力して。

まるで地獄絵図の餓鬼のよう。

僧侶という仕事柄、色んなご遺体と対面することはあったけれど。

こんな酷い姿は見たことが無くて。

動揺し過ぎた宵は何も考えられず、ただ涙だけがぶわっと溢れた。



「よかった、間に合ったね」

いつの間にか宵の後ろにしー&くーが立っていた。


そして更にその後ろにある部屋のドアがゆっくりと開いて。

外の明かりと1人分の影が暗い部屋に入って来た。


それは若い女性で露出の多い服と派手なメイク。

でもどんなメイクでも隠せないほど、不機嫌に歪んだ顔。

ヒールを履いたままズカズカ部屋に入って来る。

宵もしー&くーも見えてはいないよう。

「ああっもおサイテーっ!

まだ生きとるん?早よぉ死んでよ!さっさと消えてもおてよっ。

アンタなんかそもそも生まれてへんよーなモンなんやからっ」

ヒステリックな声を吐き捨てながらヒールの先で子供を蹴飛ばすと。

揺れた小枝みたいな身体の方向とは逆に頭だけが少し動く。

(生きとる…?)

反射的に女性を止めようと宵が腕を伸ばすと。

すかっと突き抜けてしまう。

宵には部屋も女性も見えているのに。

何かがズレてるみたいで、流れの中に居ても互いの実体は重ならない。

でも遊火のしー&くーなら。

流れを越えて干渉出来るかも、そう思って宵が振り返ると。


2人はにたぁと怖いくらいの笑みを浮かべて女性の両肩に乗っかって。

女性の顔を覗き込む。

「こんにちはハハオヤ」

「あなたの望みを叶えに来たの」

「ひっ!」

「この顔判る?ちょっと前のヨシダトワだよー」

「今は骸骨みたいで全然違う顔だけど」

しー&くーが女性に触れた途端、それぞれの空間が重なったようで。

女性の瞳に、少女の姿が映る。

「ハハオヤが、空っぽなヨシダトワを作ったせいで。

それが流れから外れた水溜りになっちゃって。私達は大迷惑なの」

「水溜りが出来ないようにしたいの」

「ハハオヤだって、ヨシダトワ要らないんだよね」

「だからね特別に戻してあげる」

「さっきハハオヤが言ってた通り、生まれないようにしてね」

少女姿の2人が糸のように女性の全身にまとわりつくと。

女性は恐怖と怒りが混ざった醜い形相で喚く。

「な、ななななンよっ!何ンこれっ!?幽霊?

アンタもお死んどるん?化けて出て来たん?

止してえよっ!恨みごと言いたいンはこっちやねんからっ!

あんたが生まれたせいでオトコもシゴトも無うなるし!

役所でごちゃごちゃ怒られて結局金1円も貰えんしっ。

もお人生ドン底やっ」

タバコと酒で焼けたヒドイ怒鳴り声なのに。

しー&くーは全然恐れるカンジもなく、さらさらと事を進める。

「もお何んでもイイじゃない。すぐ終わるよ」

「はいどうぞ。

こうしたら、生まれないよーに出来るでしょ」

しゅるんと2人の腕が伸びて。

ゴミ袋の間に横たわっている小枝のような小さい身体を持ち上げて。

ぎゃあぎゃあ喚き続けてる女性の下腹部に押し付けると。

ヨシダトワはそのままくっ付いて、戻って行って。

女性の身体は妊婦の形になった。

「いやあああああ!」

金切り声をあげて女性は汚れた床に座り込んでしまうけど。


やり直しはソコからが始まり。


白黒糸がまたしゅるりとキッチンへ伸びると。

放置されて錆びた包丁を運んで来て女性の手に置いて。

そのまま糸がグルグル巻き付き、その手に包丁を固定して。

しー&くーは女性の肩をゆさゆさ振って促し始める。

「ほらほら。狙って刺してヨシダトワを止めないと」

「そうそう。生まれてきちゃうよ、それは困るンでしょ」

「なに言うとおンやっ!

腹切ったら私まで死んでまうやんかっ」

女性は涙と汗でぐしゃぐしゃの形相でもがき怒鳴り続けるけど。

白と黒の糸に操られてる手はじわりと下腹部へ近付いて。

ぷっと刃先が服に食い込みジワリと濡れた色が広がって行く。

服が黒色なので血の色は見えないけれど。

苦痛と恐怖で染まった金切り声が響き渡る。


しー&くーの腕は糸状でも、顔はヨシダトワのまま。

その同じ顔を見合わせて不思議そうに首を傾げる。

「流れの「生」って、オヤから分かれて流れ始めるんだよね?」

「うん、そのはず。

オヤじゃなくても、先に流れの中に在る何かからね」

「じゃあ、この方法しか無いよねえ」

「そう。ハハオヤが自分から分かれないよーに止めなくちゃ」

「でもこのハハオヤ五月蠅いよ~。

ハハオヤのオヤとか、もっと先で止めるのも有りかな?」

「そうしたらハハオヤが生まれてこないじゃない。

ヨシダトワが戻る先はハハオヤしか無いもん」

「そっか、無くしたいのは「ヨシダトワの水溜り」だもんね」

しー&くーはこくんを頷き合って、もう一度女性を覗き込む。

「やっぱりコレしかないみたい」



部屋の様子は全部見えて聞こえているのに。

宵だけガラス戸の向こう側に居るように、声も手も届かない。

「待ってっ待ってっ!しーちゃんくーちゃんっ。

まだ生きとるンやろ?これから生まれてくる子供なンやろ?

きっと何んかなんかっ!やりようがあるはずやからっ。

生かせてあげてやっ」

自分の声なのに、水中のように音にはならない言葉。

それでもしー&くーは思い出したように、遠い視線を宵に向けて。

ふふっと大人びた笑みを浮かべて唇を動かすと。

その声だけが宵の耳元にやって来た。

「せんせ、あのね。

流れの中は死か生かじゃないの。死か苦だけ」

「これ以上もおイイじゃない」

「そうそう。せんせーもお寺で唱えてたでしょ?一切皆苦って」

「ねぇ」


ちがう。そーゆー意味とちゃう。


そう言い返したかったけれど。

宵はしゃがみ込んで頭を抱え、歯を食いしばってガタガタ震えるだけ。

見てられなくて目を固く瞑っているのに、瞼の裏には映ってしまう。

包丁が括られた手が何度も勢いよく振り降ろされて。

ぶしゅっと鈍い音と共に血飛沫が跳ね上がる。

生臭い匂いは部屋のゴミなのか、温かい体液なのか。

意味を成さないまま続く悲鳴は、女性のものかヨシダトワなのか。

「ヨシダトワはね、生まれても生きて無い状態だったでしょ。

そーゆーのは空っぽで浮き易くて。

時々流れからぴちょんてこぼれて水溜りになるの。

水溜りはね、その中の水が干乾びるまでソコに在るから」

「ねー私達気付かないで、ヨシダトワの水溜りに落ちちゃって」

「びっくりしたよねー。

水溜りの底は流れとつながってるから。

私達まで流れの中に引っ張り込まれちゃって」

「もー抜け出せないかと思ったけど。

チョコの香りを辿れたから良かったよねー」

「チョコだけ食べてたんだよね」

「ハハオヤがチョコだけ置いて行ったんだよ。

腐らないし、これ食べると生き延びるんだって」

「ハハオヤってヘンだよねー。

自分が生んだくせに、生まれたのはヨシダトワのせいにするし。

死ねばいいって言ってて、生きるためにチョコ置くの」

「ね、ニンゲンて解らないね」

「そろそろ行こ。水溜りももうすぐ無くなるよ」

「せんせーの上着のおかげで私達汚れずに済んだよ」

「上着真っ赤っか」

女性に絡まっていた白黒糸はほわりと解けて宙に泳いで行く。


血みどろの悲鳴も唸り声に変り、その声も途切れ途切れで小さくなって。

とうとうしぃんと静まり返る。



何も見えなくなった闇の中。


しゃがみ込んだ宵の嗚咽だけが小さく零れていると。

ぼんやりと細い指が浮かんで宵のジャケットを引っ張った。

「えらい強いカンジする思おたら、あの男の服なんか」

その声と言葉に、涙でぐしょぐしょな宵は振り返る。

「かあさん…?」

「あんたはもぉ~言うか、中江のニンゲンはいっつもそおや。

何ンも出来んくせに巻き込まれて、そんで苦しい思いだけして。

ほんまメンドーやなあ」

ジャケットを掴む指が暗闇に浮かんでるだけで、優美の姿は見えない。

「母さん、そこ居るん?

オレまたここで…どおしよおもない人間の業を見て。

そんで、やっぱり何んも出来んで…。

あの子は命ある子ぉやったのに。無かったことに成って貰うた…」


必死で思いを絞り出す宵に、いつもの調子で優美の呆れかえった声。

「2回もそーゆーのん見たンやから、そろそろ解りぃや。

もぉな、あれこれ気にせんと静かに流れン中で暮らしとったらエエねん。

フツーに時間が過ぎて行くだけで済むンに。

ココへ来てまうから、替えられた流れを知って貰うて重荷になるンや。

とにかくもぉココへは来んとき。帰り方も知らんくせに。

ほら行くで、こっちや」

「待ってやオレ母さんと話したいことがよおけあって」

「知らんワそんなん」

細い指が宵にデコピンする。

「ココ来てもなあ、もお優美は居らんねん」

「え?」

姿は見えないのに。

暗闇にメンドクサそーな顔でタメ息付く優美が、宵には見える気がする。

「あんた、白と黒がくっついたり離れたりしたン見たやろ。

そもそも遊火は個体ちゃうねん。個でも全でも何ンにでも成れる。

その代わり一度解けたら同ンなじ形には成れん。

ほらアレや、ラーメンのスープに浮かぶ油の丸。

箸でちょい突いたらくっつくし、ぐるぐる混ぜたら小さぁに分かれるし。

優美の姿保つ力は使い切ったンで、もお小さい丸しか無いんや。

こんくらいのな」

そんな声と細い指だけは近くに感じるから。

宵は何んとか会話を続けたい。

「で、でも。こおやって話出来るし。母さんは母さんやろ?」

「わざわざ話したっとンや!メンドイのにっシンドイのになあ。

苦労して散らばった小っこいのんを掻き集めたンやで。

そおでもして誘導せんと、あんたココで迷子や。

それで中江の流れが止まったりしたら、イチョウがヘソ曲げるワ」

「イチョウのへそ…」

「何ンいきなり生意気にツッコミしとるんやぁ~」

細い指がむにゅっと宵の頬を摘まみ上げるから。

宵の目尻には涙が溜まったままだけれど、ぷぷっと笑ってしまう。

(姿は見えンでも。母さんがそこに居る)

冷え切って強張っていた宵の身体にほんわり体温が戻って。

ぼんやりした細い指に、宵はそっと触れてみた。

「子供ん時からオレよお迷子なったもんな」

「ほんまやで、全然成長せんワ」

「今オレ現実の方でも迷子みたいで、ずうっとシンドイねん。

これって寿命なんやろか?」

とりあえず一番知りたかったコトを言葉にしてみる。



少しずつバラけた優美のカケラが集まって来ているようで、

暗闇の指が手首までになったし。

白髪のボブや細い顎の輪郭もゆっくり追加されて行く。

「暁からは何ンも聞いてへんの?」

「うん。あ、いやえっと、ひとつだけ…。

オレ小さい頃一度心臓止まったて、そんで…。

母さんが、心臓止まる前のオレを持って来たとか…」

「はぁん肝心なコトすっ飛ばして話繕おとるな~。

確かにそーゆーコトも有ったけどなぁ。

それ以前の中江の縁のコトを話さんとなぁ。

まぁ暁は親子3人て思いたいンで。

関係崩れるよーなコトよお言わんかったんやろ。

ほんま根性無しのヘタレや。

まーとりあえず着いてき。イチョウ見付けんと出られへん」

優美の細い指がしっかりと宵の手を握って歩き出す。

体温は無くても、その骨っぽい手は宵に昔を思い出させてくれる。

「私が踏ンだトコ歩くんやで。

ちゃうトコ歩いたら、他の遊火がちょっかい出して来るからな」

「う、うん」

いちおう足元には川岸のような細かい砂利っとした感触。

けれど相変わらず何処にも明かりが無いような漆黒の闇。

目の前に居るはずの優美の脚は見えないけれど。

足跡みたいに、ぽわりとした光が落ちて消えてを繰り返すから。

宵は見落とさないように必死で光の上に足を置いて行くだけ。

そんな宵を振り返ることなく、優美はすぅっと進んで行く。


「寺の大イチョウは不思議なイキモンや。

何んでか私ら遊火をニンゲンの世に通してくれてな。

まあ覗くにはオモロイけど、造りが合わんからずうっとは居れんのに。

イチョウの頼み事受けたったら、私はあの形で長いこと居れたンや。

その頼み事いうンが、中江の流れを絶やさんコトやった。

中江の者ンが寿命迎えたら、私が過去の中江を持って来て繋げてな。

不思議なモンでなあ。

元は同んなじやのに、生きとお内にそれぞれ別のニンゲンに成るんや。

戦火の中で寺を守った勇ましぃのも居れば。

暁みたいなヘタレも居って。

まあおかげで私は退屈せんかったけどな」

見失わないよう宵は足元から目を離せないけれど。

何んとなく、話し続ける優美から機嫌の良さを感じてて。

優美が足を止めて振り向いて、表情を見せてくれたらイイのにと思う。

「暁は特に変りモンや。

私と夫婦に成って子供持ってママゴトしたいて言いよった。

ほんまアホや。

家族作ったら、遊火を引き留められるて思うたンか。

大アホやぁ、どないしたって流れの中と外は別モンやのになあっ」

何か他の感情を隠すように、優美はちょっと大きな声。

そして宵を振り返ったその表情は複雑で。

呆れてるような怒ってるような哀しむようで寂し気で。

でも宵が視線を上げた時には、もうその表情は闇にボヤケていたけれど。



そこで優美進むのを止めて、ヒンヤリした声に変る。

「あたりまえやけど。

遊火は赤ん坊生んで、新しい流れを増やすなんて出来ん。

次の中江はその辺のハハオヤん中に一旦入れるンや。

そんでそれまでの中江が亡くなる時に、持って来る。

話テキトーに辻褄合わせてな。

それやのに暁は優美の赤ん坊が欲しい言うからなあ。

しぁナイんで、あんたがさっき通って来たような「水溜り」を使うた。

その水溜りは水難事故で脳死になった子ぉでな。

その子が水溜りになるトコで置き換えて、その流れを宵のンにしたンや。

けど病院のその子の心臓が止まって実体無くなれば、水溜りも無うなるし。

水溜まりの底は流れと繋がっとおからな。

流れン中に、あんたの身体を置く場所も無くなるンや。

もお20年以上経っとおし。

そろそろその子の水溜まりも干乾びる頃ちゃうか。

それはまあ、あんたの寿命とも言えるやろな」

「脳死の子ぉに置き換わって…オレ生きてたん…」

身体中の力が抜けて宵はその場に膝を付いてしまう。

今自分が生きているコトそのものが誤りな気がして、顔が上げられない。

そんな宵を見下ろしながら。

まあ予想通りの反応やなと優美はタメ息。

「ええやん別に。

さっき見たやろ?水溜り言うンは、自分いう意識が無いンやから。

あんたが流れを継いだからて、誰も気ぃ付かへんし何ンも変らん」

「せやけどっその子の家族とか…。

どんな想いで動けへんその子ぉを看守っとるンか…。

オレが生きとるせいで、その子は…」

「あほやな~順番逆や。

その子はもお流れへんから、あんたを流れに乗せることが出来たンや。

あんたが流れたから、その子が止まったワケちゃうワ。

まあ…あんたはゴチャゴチャ悩むやろて予想しとったけどな。

ほんまニンゲンは色んな感情があって面倒臭いワ。

私らぁには全然解らン。

もお動かへんのに、死んでへんて病院の装置につなぐし。

まだ動けんのに、死んで欲しいて放置するし。

流れン中に居る限り、誰も誰の命も知ることは出来ンのや。

死ぬまで生きるしかナイやろ、ほら立ちぃや」

ガックリ膝を付いたまま固まっている宵の頭を、細い指がつつき。

ええ加減にせえと言うようにその声はメンドクサそう。

「まぁ気休めかも知れんけど。

もーちょいイチョウの周りをちゃんと掃除しぃ。

あそこには流れに戻りたいモンが集まり易い場所や。

ようけ溜まるとその辺を澱まして、身体に良ぉナイ」


ぼんやりと宵は思い出す。

落葉の季節でなくても、いつも優美はイチョウの周りを掃除していた。

そのお陰で自分は健康で過ごせていたのかも。

だとしても。溜まったよどみのせいだとしても。

もう全部知ってしまった。

自分は正しい生まれ方をしていなくて。

自分は他の命と置き換わって生きていて。

それこそ自分の方が無かったはずの存在なのに。

今更イチョウを探して戻るなんて、それこそ正しくない気がする。


もう宵は呆然とした表情で動けない。

それで優美の声は更にイライラ。

「そおなるて判っとったから、言わんで済ますつもりやったのに。

せやけど。

あの強い存在が、あんたと一緒に居ることなったからな。

それで全部話したったンやで。

あんたは自分の為には生きられんでも。

あんたンこと待っとるヤツを思い出しぃ。

どおなん?あそこへ帰りたいンちゃうの?」


声に含まれた優美のイラつきが、最後の一言だけ無くなって。

近くの暗闇の中にほんわりと明るさが滲む。

それはイチョウの葉の黄金色で。

それを見上げてる定常の姿も見える。

ちょっと渋いその表情は(落葉の掃除が大変だ)とか思ってそう。

宵と定常の日常がすぐそこに見えて。

「さだつね…」

何もかも後回しに、宵はその明かりに思い切り腕を伸ばした。




「今日はオレの上着着て行ったのか。

ミョーにサイズが大きく見えるな?また痩せたんじゃな…」

いつもの心配し過ぎで少し怒ったみたいな定常の声が止まる。

山門を抜けた宵が一直線に走って来たかと思うと。

体当たりの勢いで定常に抱き着いて来たから。

「ちょ、なんだ?どうした?」

そのまま宵は崩れ落ちそうなので、定常がしっかり抱き留めると。

定常の体温と力強さが、宵の張りつめていた感情を溶かしてくれて。

わあわあ子供みたいに宵は泣き出してしまう。

「オレが代わりに生きてンなら…

あの子達が無かったコトになるンやったら…せめて…

名前呼んで、こおやって抱きしめてあげれば…よかった…っ」


抱きしめてくれる定常のぬくもりが、余計に後悔を湧き立てて。

宵の涙の流れは止まらない。


自分を抱きしめてくれる温かい腕が在って。

自分の名前を呼ぶ優しい声が在って。

自分を見てくれる穏やかな眼差しが在って。

小さな命は、ヨシダトワに成って生きて行くはずだったのに。

存在を否定されてヨシダトワにも成れなかった小さな命は。

流れを遡って「無かった」ことになって。

誰にも知られないまま。

自分が生きていたことも解ってないままで。

ただもう宵の記憶の中に残っているだけ。


そしてそんな風に、誰かを生きて無いことにしてしまったのは。

自分も同じ。

置き換わって生きている自分も、それと同じ罪を犯してる。

そのなのに一度生を得てしまうと手放せ無い。

大切で愛おしい相手なんてもっと手放したくない。

どうしようも出来ない感情のままに宵は泣いていた。




(はあ?今何んて言った?

誰を抱きしめるって?あの子ってどの子だよっ)

定常はそう問い質したいトコだけれど。

腕の中の宵は余程のコトがあったようで。

いつもは我慢強くて、派手にキモチを出さないし。

恥ずかしがり屋で、外で抱き着いたり絶対しないのに。

こんな全身全感情を預けて大泣きするなんて。

定常としては。

頼られている嬉しさと、安心させてやりたい想いの方が大きくて。

とりあえず今はただ抱きしめる。

「まあいい、思う存分泣けば良い。

泣き止むまで。いや泣き止んでもオレは一緒に居るからな」

高ぶった感情で汗ばむ宵の額に定常は頬を寄せて。

じっと愛おしい人を温め続けた。

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