第8話 満月亭の夜
「――というわけで、今夜は外で食べましょう!」
夕食前、リビングに集まった一同を前に、セレスティアさんが高らかに宣言した。
「外で、ってセレスティア……うちにそんな余裕あんの?」
すかさず口を挟んだのはロズリーンさんだった。帳簿を片手に、いつもの妖しい笑みではなく、どこか渋い顔をしている。
「大丈夫よ、ちゃんと計算したもの。この一週間で三件も依頼をこなしたんだから、これくらいのご褒美は必要でしょう?」
「まあ……採掘の稼ぎがそこそこ良かったのは認めるけど」
ロズリーンさんは帳面をぺらりとめくり、渋々といった様子で数字を指でなぞる。
「一人当たり銀貨一枚まで。それ以上は絶対に許さないから」
「ケチねえ」
「経理として当然でしょ。うちの懐事情、あんたが一番よく知ってるはずよ」
軽くやり合う二人に、僕は思わず苦笑した。この駆け引きも、もうすっかり見慣れた光景になっている。
「歓迎会……そういえば、まだでしたね」
思えば、加入初日からずっと怒涛の日々だった。牙兎に膝をつき、稽古に明け暮れ、森で泥だらけになり、坑道で生き埋めになりかけた。振り返る暇もなかった数日間だった。
「行くわよ、行くわよ! 久しぶりの外食!」
真っ先に浮かれ出したのはニーナだった。バルトさんも「たまにはオレの飯以外もいいだろうよ」と豪快に笑い、クレアさんは静かに微笑んでいる。オスカーさんだけは、少し面倒くさそうに頭を掻いていたけれど、それでも足取りは軽かった。
街の一角、ギルドから少し外れた路地に、その店はあった。 木製の看板に彫られているのは、丸い月と、剣を掲げる人影。
「満月亭……ここですか」
「ここの料理、絶品なのよ。値段も庶民的だし」
セレスティアさんに続いて扉をくぐると、賑やかな喧騒と、香ばしい匂いが一気に押し寄せてきた。 店内は満席に近く、冒険者らしき客たちがあちこちで杯を打ち鳴らしている。壁には使い古された武具や、討伐記念とおぼしき魔物の牙が飾られ、雑多ながらも活気に満ちた空気が漂っていた。
「――お、こりゃ珍しい面子だな! 《新緑の剣》のご一行様じゃないか!」
カウンターの奥から響いた野太い声。振り返ると、がっしりとした体格の女性が、腕を組んでこちらを睨むように――いや、笑いながら立っていた。
「久しぶりだな、マーゴ」
オスカーさんが片手を上げる。
「久しぶりじゃないわよ、この薄情者! 半年も顔見せないで何やってんの!」
「稽古と依頼で忙しかったんだよ。……そっちこそ、相変わらず声がでけえな」
「あんたに言われたかないっての!」
からからと笑い合う二人の様子に、僕は思わず目を丸くした。
「オスカーさんの、知り合いですか?」
「腐れ縁ってやつよ。あたしも昔は冒険者やっててね、こいつとは何度も同じ依頼で組んだ仲」
マーゴさんはそう言って、豪快にカウンターを叩いた。
「――で、そっちの坊やが噂の新人? へえ、思ったよりひょろっこいじゃない」
「は、初めまして。ヴェルディです」
「ティナ! お客さんだよ、案内しな!」
奥から駆けてきたのは、活発そうな少女だった。マーゴさんの姪だというティナは、僕の前に立つなり、ずいっと顔を近づけてくる。
「わっ、本当だ! 噂通り可愛い顔してるじゃん! あんたが新人くん?」
「か、可愛いって……」
戸惑う僕をよそに、ティナはニーナの方へも目を向け、あっと声を上げた。
「あれ、もしかしてニーナちゃん? ……久しぶり過ぎて一瞬分かんなかった! あんたが加入した時のお祝い以来じゃない?」
「うっ……そ、そうだっけ」
気まずそうに視線を泳がせるニーナ。
「そうだっけ、じゃないわよ。半年前でしょ。あんたも全然顔出してくれないんだから」
「し、仕方ないでしょ。うちのクラン、そんなに頻繁に外食できるほど懐に余裕ないんだから」
正直な物言いに、ティナは一瞬きょとんとしてから、けらけらと笑い出した。
「相変わらず貧乏くじクランだね、あんたのとこ」
「うるさい、余計なお世話よ」
むすっと頬を膨らませるニーナに、僕は思わず親近感を覚えた。加入したばかりで右も左も分からなかった僕と、半年前に同じ場所で祝われたニーナ。時期は違っても、同じ景色を見てきたのだと思うと、なんだか不思議な気分だった。
運ばれてきたのは、香ばしく焼き上げられた鶏肉の丸焼きと、山盛りの温野菜、そして湯気を立てるパンの数々だった。バルトさんの料理とはまた違う、外食ならではの華やかさに、僕は思わず息を呑んだ。 皮はぱりっと香ばしく、頬張ると肉汁が溢れ出す。付け合わせの根菜は甘く煮込まれ、じんわりとした温かさが身体の芯まで染み渡っていった。
「乾杯! ヴェルディくんの、改めての歓迎に!」
セレスティアさんの音頭で、木製のジョッキが軽やかにぶつかり合う。
「ようこそ、《新緑の剣》へ」
「これから、よろしくね」
口々に祝福の言葉をかけられ、胸の奥が温かくじんわりと満ちていく。
「――にしても、こうして見ると悪くない出費だったわね」
ロズリーンさんがワインを傾けながら、満更でもなさそうに呟く。
「あら、さっきまで渋ってたのに」
セレスティアさんがからかうように笑うと、ロズリーンさんはつんと澄まして肩をすくめた。
「経理として、投資対効果を見極めただけよ。……みんなの顔、見てみなさいよ。あの陰気だった頃には、こんな笑顔、なかったじゃない」
その一言に、テーブルが一瞬だけ静かになる。けれど誰も、それ以上は何も言わなかった。ただ、それぞれの胸に、同じ温もりが静かに広がっているのが分かった。
賑やかな喧騒、香ばしい匂い、笑い合う声。かつて祖母と二人、静かな食卓を囲んでいた日々からは、想像もできなかった夜だった。
「――にしても、あんたよく生きてたわね。坑道の崩落なんて、洒落になんないでしょ」
料理を頬張りながら、マーゴさんがオスカーさんに水を向ける。
「まあな。だが、坊主とニーナがよくやった。俺が思ってた以上に、肝が据わってやがる」
「へえ。オスカーがそんなふうに新人を褒めるなんて、明日は槍でも降るんじゃないの」
「うるせえ」
ぶっきらぼうに返しながらも、オスカーさんの口元は緩んでいた。その様子に、テーブル全体がどっと沸く。
「マーゴさんは、オスカーさんとはどれくらいの付き合いなんですか?」
僕が尋ねると、マーゴさんは懐かしそうに目を細めた。
「かれこれ十年近いかしらね。あたしがまだ現役だった頃、何度も同じ討伐に駆り出されたのよ。こいつ、昔はもっと生意気で、口も態度もデカくてね」
「今も十分デカいですけどね」
クレアさんが柔らかく口を挟むと、テーブルにどっと笑いが広がった。
「クレアちゃんまで、容赦ねえな……」
オスカーさんが苦い顔で肩を落とす。その隙をつくように、クレアさんは僕の皿に温野菜を取り分けてくれた。
「ヴェルディくん、野菜もちゃんと食べなさいね。お肉ばっかりだと傷の治りも遅くなるから」
「あ、はい。ありがとうございます」
甲斐甲斐しく世話を焼くクレアさんの様子に、マーゴさんが目を丸くする。
「あんた、相変わらず面倒見がいいわね。母性の塊じゃない」
「あら、褒めてくれてるの? ありがとう」
穏やかに微笑むクレアさんに、マーゴさんは苦笑いを返すしかなかった。
夜が更けるまで、笑い声は絶えなかった。 料理を平らげ、満腹になった腹をさすりながら、僕はふと、この光景を目に焼き付けておきたいと思った。
牙兎に膝をついたあの日から、まだそう遠くない。 けれど今は、こんなにも賑やかで、温かい場所に、自分の居場所がある。
「また来なよ、新人くん」
帰り際、ティナが軽く手を振ってくる。
「はい。……また、来ます」
満月に照らされた夜道を、七人でぞろぞろと連れ立って歩く。ニーナとバルトさんが今日の食事の感想を大声で言い合い、クレアさんがそれを窘め、ロズリーンさんは呆れたように笑っている。ありふれた、けれど何にも代えがたい帰り道だった。
強くなることだけが、この世界での生き方じゃない。誰かと笑い合い、支え合いながら積み重ねていく日々もまた、僕がずっと欲しかったものだったのだと、今更ながらに思い知る。
「――さて。明日からは、また稽古に戻るぞ」
前を歩くオスカーさんの声に、僕は「はい!」と、迷いのない声で応えた。




