第7話 落盤
森での遠征から数日。 すっかり見慣れた冒険者ギルドの掲示板の前で、オスカーさんが一枚の依頼書を指で弾いた。
「今日はこれだ。ダンジョン三〜五階層付近での魔石採掘。坑道の壁に埋まってる原石を掘り出して、規定量を納品する」
「採掘、ですか。討伐とはまた違いますね」
「ああ。だが油断すんな。掘ってる最中は無防備になる。護衛と採掘、両方こなすのが今日の課題だ」
依頼書には、見慣れない道具の絵が描かれていた。鶴嘴と、小さな鑿。
「あたしが掘るの得意なんだから、ヴェルディは周りの警戒に集中してていいわよ」
ニーナが腰に手を当て、得意げに胸を張る。
「ニーナさん、採掘の経験もあるんですね」
「そりゃそうよ。冒険者の仕事、戦闘だけじゃないもの。……まあ、あたしも最初は原石を粉々に砕いて、丸一日オスカーに説教されたクチだけどね」
「おい、余計なこと言うな」
オスカーさんが苦い顔で口を挟み、ニーナがけらけらと笑う。慣れた様子で鶴嘴を担ぐその姿は、これまでの剣を振るう姿とはまた違う、頼もしさがあった。
ダンジョンに足を踏み入れ、見慣れた通路を進んでいく。一階層、二階層――かつて死ぬ思いで潜った道のりが、今ではずいぶんと呼吸を乱さずに歩けるようになっていた。
三階層への下り階段を抜け、さらに五階層へと近づくにつれ、壁の様相が変わっていく。ごつごつとした岩肌に、うっすらと青白い鉱脈が走っていた。
「あれが魔石の原石よ。掘る時は、こう――鉱脈に沿って、丁寧に」
ニーナが鑿を鉱脈に当て、コンコンと小気味いい音を響かせる。慎重な手つきで、少しずつ石が削り出されていった。
「思ったより繊細な作業なんですね」
「力任せに掘ると、魔石そのものが砕けちゃうの。せっかくの高値がパアになるってわけ」
僕も鶴嘴を手に、壁の一角に向き合う。オスカーさんの教えてくれた「力を抜く」感覚は、こんな場面でも意外と活きた。
順調に採掘が進み、麻袋の中身が少しずつ重くなっていく。オスカーさんは少し離れた通路の分岐点で、周囲を警戒しながら腕を組んでいた。
――ゴゴゴッ。
不意に、地の底から重い震動が響いた。
「――なんだ!?」
天井の岩肌が、パラパラと崩れ落ちてくる。
「離れろ!」
オスカーさんの怒号が飛んだ瞬間、頭上で轟音が炸裂した。視界が土煙に呑まれる。 とっさに身を伏せ、両腕で頭を庇う。ドッ、ドッと、岩塊が次々と地面に叩きつけられる音が鼓膜を殴った。
耳鳴りがする。土の匂いが喉の奥まで入り込み、咳が止まらない。 腕に、背中に、細かな石の礫が容赦なく降り注ぐ。逃げ場のない狭い坑道の中、ただ丸くなって耐えるしかなかった。 心臓が痛いくらいに跳ねている。頭の中を占めるのは、恐怖よりも、ただ「終わってくれ」という一心の祈りだった。
――どれくらいの時間が経っただろう。 ようやく音が止み、土煙がゆっくりと晴れていく。
「……ニーナさん!」
「げほっ、げほっ……こ、ここよ」
すぐ近くで咳き込む声。無事な姿を確認できて、全身から力が抜けた。けれど、安堵は一瞬だった。
「オスカーさん、どこですか!」
返事はない。土煙の向こうを透かし見ると、僕たちがいた場所と分岐点の間に、天井から崩れ落ちた岩の山が、道を完全に塞いでいた。
「……嘘でしょ」
ニーナの声が、微かに震える。
「オスカーさん! 聞こえますか!」
叫ぶと、岩の向こうから、くぐもった声が返ってきた。
「――無事だ! そっちも無事か!」
「はい、二人とも無事です! でも、道が塞がれて……!」
「落ち着け。俺の方も、こっちの道は生きてる。……いいか、そのまま奥へ進め。この階層には、迂回して合流できる別ルートがある」
「で、でも」
「大声出すな、揺れがまた来るかもしれねえ。……信じろ。お前らなら、大丈夫だ」
低いその声には、迷いがなかった。僕とニーナは顔を見合わせ、小さく頷き合う。
「……行きましょう、ヴェルディ」
「はい」
麻袋を担ぎ直し、崩落した坑道の奥へと足を進める。灯りは心もとなく、足元は瓦礫だらけだった。それでも、ニーナの横顔に、恐怖よりも強い意志の光が灯っているのが分かった。
「こういう時さ」
不意に、ニーナが口を開いた。
「格好つけてる場合じゃないってこと、よく分かるわよね」
「……そうですね」
「怖くない、なんて言わない。だけど、隣に誰かいるだけで、全然違う」
その言葉に、胸の奥が静かに熱くなる。同じ思いを、僕もずっと抱えていた。
薄暗い脇道を進んでいくうちに、行く手の闇の奥から、耳障りな唸り声が響いた。
「――嘘でしょ、こんな時に」
松明の灯りに浮かび上がったのは、粗末な骨の武器を握った、犬に似た顔つきの小柄な人型――コボルトだ。落盤の音に驚いて縄張りから飛び出してきたのか、二匹が牙を剥いてこちらを睨んでいた。
「怯むな! ここ乗り切らなきゃ、合流できない!」
ニーナが鶴嘴を放り出し、腰の細剣を抜く。僕も麻袋を背に庇いながら、震える手で剣を構えた。
「一匹はあたしが引きつける! ヴェルディはもう一匹、絶対に袋の方に近づけさせないで!」
「はい!」
指示と同時に、ニーナの細剣が閃く。一匹の意識を完全に引きつけたその隙に、僕はもう一匹の前へと躍り出た。
薄い灯りの中、視界はほとんど利かない。それでも、オスカーさんに叩き込まれた「軌道」だけは、身体が覚えていた。 最短の踏み込み。脇を締め、切っ先を喉元へ。 ガッ、と手応えが返る。コボルトが短い悲鳴を上げて崩れ落ちた。
「――そっちも!」
振り返ると、ニーナの細剣がもう一匹の頸を薙ぎ払うところだった。
静寂が戻る。荒い呼吸だけが、狭い坑道に反響していた。
「……や、やりましたね」
「当たり前でしょ。この程度で音を上げてたら、先が思いやられるっての」
強気な言葉とは裏腹に、ニーナの声は少し掠れていた。それでも、剣を鞘に収めるその手には、確かな落ち着きが戻り始めていた。
瓦礫の隙間を縫うように進むと、やがて微かな光が差し込む横道が見えた。 別の通路――オスカーさんの言っていた迂回路だ。
「あった! こっちです!」
駆け出した先、崩落現場の反対側から、見覚えのある巨躯が姿を現した。
「――おう。二人とも、無事だな」
土埃にまみれながらも、オスカーさんはいつもの不敵な笑みを浮かべていた。駆け寄った僕とニーナを、大きな両腕がまとめて抱き寄せる。痛いくらいの力だった。
「怖かったろ。……だが、よく自分の足で歩いてきた」
その一言だけで、張り詰めていた緊張が、ゆっくりと解けていく。
「オスカーさんの方は、大丈夫だったんですか」
「見ての通りだ。崩れた瞬間に飛び退いて、あとは瓦礫の隙間を通っただけさ。……正直、お前らの方が心配だった。声が聞こえた時は、心臓が縮む思いだったぜ」
普段は見せない、少し弱った笑み。それだけで、彼がどれほどこちらを案じていたのかが伝わってきた。
「魔石は?」
「あ……! そういえば、麻袋、ちゃんと持ってきてます」
慌てて掲げた麻袋の中には、崩落の混乱の中でも守り抜いた原石が、青白い光を放っていた。
「馬鹿野郎。そんなもん放り出してでも、まず自分の身を守れ」
呆れたような声。けれど、その口元は、隠しきれない笑みで緩んでいた。
地上への帰路、崩落があった場所をギルドへ報告することも忘れずに済ませた。
「よくある事故だ。この階層は掘り進めが多いから、たまに壁が緩む。……お前らが無事だったのは、運が良かっただけじゃねえ」
夕暮れの街道を歩きながら、オスカーさんがぽつりと呟く。
「日頃の備えと、その場での判断。それが命を分ける。今日、二人ともそれをちゃんとやった」
素っ気ない、けれど確かな評価。隣を歩くニーナと目が合うと、どちらからともなく小さく笑い合った。
拠点の扉を開けた瞬間、真っ先に飛び出してきたのはセレスティアさんだった。
「――良かった、無事なのね!」
普段のおっとりとした様子はどこにもない。土煙にまみれた僕とニーナの顔を、両手で確かめるように包み込む。
「セレスティアさん……?」
「今日、なんだか急に胸騒ぎがして……。理由は分からないの、いつもそう。でも、いてもたってもいられなくて」
震える声に、僕は胸を突かれた。彼女の直感スキルが、何かを感じ取っていたのかもしれない。根拠も説明もつかない、けれど確かな何か。
「ご心配おかけしました。……ちゃんと、帰ってきましたから」
「うん。うん、そうね……」
安堵の息を吐き、セレスティアさんはようやくいつもの柔らかな笑みを取り戻した。
「詳しい話は、お風呂に入ってからゆっくり聞かせてもらうわ。三人とも、埃だらけじゃない」
その一言で、張り詰めていた空気が緩む。オスカーさんが「へいへい」と苦笑しながら頭を掻いていた。
湯浴みを終え、夕食の席についた頃には、今日の出来事はすっかり笑い話になっていた。ニーナが身振り手振りで崩落の瞬間を再現し、バルトさんが大げさに驚いてみせる。恐怖だったはずの記憶が、この拠点の温かさの中で少しずつ形を変えていくのを、僕は不思議な気持ちで眺めていた。
崩れた坑道の暗闇の中で交わした、あの短いやり取りが、今もまだ胸の奥に温かく残っている。 剣を握る力だけが、成長の証じゃない。とっさの判断、仲間を信じる強さ、そして帰りを待っていてくれる誰かの存在――そのすべてが、確かに僕の中に積み上がっていた。
一人じゃない。 その事実だけが、今日という日を、確かな強さに変えてくれた気がした。




