第9話 旧知の騎士
満月亭での夜から数日、いつも通り依頼を探しにギルドを訪れた僕たちは、掲示板の前で思いがけない声に呼び止められた。
朝のギルドは、いつにも増して騒がしかった。討伐依頼の羊皮紙を巡って冒険者たちが声を張り上げ、受付には長い列ができている。その喧騒の中、やけに凛とした声が耳に届いた。
「――オスカー殿。お久しぶりです」
振り返ると、そこに立っていたのは、黒髪に鋭い目つきをした、飾り気のない佇まいの青年だった。腰に佩いた剣も、纏う空気も、どこか折り目正しい印象を漂わせている。
「――アルフレッド? おい、久しぶりだな!」
オスカーさんの顔が、驚きと喜びで一気に緩んだ。大股で歩み寄り、青年の肩を遠慮なく叩く。
「相変わらず堅苦しい喋り方しやがって。『殿』はやめろって、何度言ったら分かるんだ」
「これは失礼を。……ですが、オスカー殿に対してだけは、この呼び方を崩すわけにはいきません」
生真面目な返答に、オスカーさんは苦笑を浮かべた。
「知り合い、ですか?」
僕が尋ねると、オスカーさんは頷きながら、青年へと視線を戻した。
「ああ。こいつはアルフレッド。……まあ、ちょっとした因縁の相手だな」
「因縁というのは正確ではありません。命の恩人です」
きっぱりと言い切るアルフレッドさんに、オスカーさんは気まずそうに頭を掻いた。
「大した話じゃねえだろ、あんなもん」
「大した話です。あの時、オスカー殿が来てくださらなければ、私はとうに命を落としていました」
「おいおい、新人の前でそういう話をするなよ」
慌てて話を遮ろうとするオスカーさんに、アルフレッドさんは律儀にも「失礼しました」と一礼する。それでも、その目には確かな敬意が滲んでいた。
「詳しい話を聞いても、いいですか?」
僕が尋ねると、オスカーさんは渋々といった様子で語り始めた。
「一年くらい前だ。こいつが冒険者になったばかりの頃だな。俺が別の依頼でたまたま同じダンジョンに潜っててな」
「たまたま、ではありません」
すかさずアルフレッドさんが言葉を挟む。
「私が受けた依頼は、十階層付近での討伐でした。当時の私の実力では、本来まだ早すぎる依頼だったのです。無理を押して受けてしまい、群れに囲まれて身動きが取れなくなった。……あの時、たまたま近くを通りかかった他の冒険者たちは、皆見て見ぬふりをして先を急ぎました。誰も、危険を冒してまで助けようとはしなかった」
「……それで?」
「別の依頼でたまたま同じ階層を通りかかっていたオスカー殿だけが、引き返してくださったのです。大剣一本で、群がるモンスターの群れに単身斬り込んで」
その光景を思い浮かべ、僕は思わず息を呑んだ。今のオスカーさんの姿と、その時の姿が重なる。
「あの時の啖呵、今でも覚えています。『見捨てて先に行くのは、俺の性分に合わねえ』――そう言って、血だらけの手を差し出してくれました」
「……その節はお世話になりました、で終わる話だろうが」
ばつが悪そうに視線を逸らすオスカーさんの様子に、僕は思わず頬を緩めた。誰かを助けて恩に着せない、その不器用な優しさは、僕がこの数週間で見てきたオスカーさんそのものだった。
「――で、そっちの少年は?」
アルフレッドさんの視線が、僕へと向けられる。
「ヴェルディです。最近《新緑の剣》に加入しました」
「私はアルフレッドと申します。《盾の盟約》というクランに、新人として加入しております」
徹底して崩れない丁寧な物言いに、思わず笑いがこみ上げる。
「そんなにかしこまらなくても、大丈夫ですよ」
「いえ、礼儀は礼儀です。……ヴェルディ殿、とお呼びしても?」
「あ、はい。……なんだか、こそばゆいですけど」
生真面目すぎるやり取りに、隣で聞いていたニーナが小さく吹き出した。
「相変わらず、堅っ苦しいわね、あんた」
「ニーナ殿も、お変わりなく」
「その『殿』、やめてってオスカーも言ってるでしょうが」
「以前、お礼にと拠点まで伺わせていただいた際にも、同じことを言われました」
「でしょうね。一年経っても直らないんだから、もう諦めたわよ、あたし」
呆れたように肩をすくめたニーナは、続けて僕の方にもじろりと視線を向けた。
「あんたも、なにこそばゆがってんのよ。呼び方くらいで照れてどうすんの」
「い、いや、だって『殿』付けで呼ばれるの、初めてで……」
「初心者かっての」
からかうような笑みに、僕は肩をすくめるしかなかった。アルフレッドさんは律儀に「善処します」とだけ返した。おそらく直る気配はなさそうだった。
「アルフレッド、今日はギルドに何の用だ?」
オスカーさんが話を戻すと、アルフレッドさんは表情を引き締めた。
「クランの依頼で、ダンジョンの浅層調査に参りました。最近、討伐依頼の消化が芳しくなく、私が先陣を切って回すことになったのです」
「相変わらず真面目にやってんだな」
「当然のことです。騎士たる者、与えられた務めを疎かにはできません」
淀みのない答えに、オスカーさんは苦笑しながらも、どこか誇らしげな顔をしていた。
「アルフレッドさんのクランって、どんなところなんですか?」
僕が尋ねると、アルフレッドさんは一瞬考え込むように視線を上げた。
「《盾の盟約》と申します。規模は決して大きくありませんが、規律と誠実さを重んじる、良いクランです。……もっとも、私はまだ加入したばかりの新人で、日々研鑽の身ですが」
「同じですね、僕も」
思わず口にすると、アルフレッドさんはわずかに目を細めた。
「そのようですね。……お互い、恥じぬ冒険者を目指しましょう」
差し出された手を、僕は迷わず握り返した。骨ばった、けれど確かな力のこもった握手だった。
「なあ、今度またゆっくり飲もうぜ。こいつ――ヴェルディの成長っぷりを、酒の肴に聞かせてやるよ」
「それは楽しみです。……ヴェルディ殿の武運を、心より祈っております」
丁寧に一礼すると、アルフレッドさんはギルドの奥へと歩き去っていった。その背中を見送りながら、僕はふと、不思議な感慨を覚えた。
「なんか、律儀を絵に描いたような人でしたね」
ニーナが呆れたように呟く。
「一年前に会った時からああだったわよ、あいつ。オスカーに対してだけは、輪をかけて律儀になるけど」
「そりゃ、命の恩人だからな。……あいつなりの筋の通し方なんだろうよ」
オスカーさんの声には、からかいの色はなかった。ただ静かな、確かな敬意だけがあった。
「いつか、あいつと同じ依頼で組める日が来るといいけどな」
その呟きに、僕は小さく頷いた。この広い世界のどこかで、また誰かと縁が繋がっていく――そんな予感が、胸の奥にそっと灯った気がした。
掲示板に向き直り、僕たちは今日の依頼を選ぶ。三階層での小型モンスター討伐、いつも通りの手慣れた仕事だった。それでも、道中の足取りはどこか軽かった。
「アルフレッドさんの話、聞いてて思ったんですけど」
剣を鞘に収めながら、僕はふと口を開いた。
「オスカーさんって、案外いろんな人に恩を売ってるんですね」
「売ってねえよ、恩なんざ。……ただ、目の前で誰かが死にかけてんのを見過ごせなかっただけだ」
ぶっきらぼうに返すオスカーさんの横で、ニーナが小さく笑う。
「そういうとこ、ほんと変わんないわよね、あんた」
依頼を終えて拠点に戻ると、夕食の支度をしていたセレスティアさんが、興味津々といった様子で顔を覗かせた。
「今日、アルフレッド君に会ったんですって? オスカー、珍しく懐かしそうな顔してたって、バルトから聞いたわよ」
「耳が早いですね、セレスティアさん」
「クランマスターですもの、これくらい当然よ」
いたずらっぽく笑うセレスティアさんに、オスカーさんは観念したように肩をすくめた。
「……元気そうだったよ、あいつも。相変わらず堅っ苦しかったけどな」
「そう。良かったわね」
穏やかに微笑むセレスティアさんの表情には、けれどどこか、ただの世間話以上の色が滲んでいるように見えた。まるで、遠くの糸が静かに手繰り寄せられていくのを見守るような――そんな眼差しだった。
「セレスティアさん?」
「ううん、何でもないわ。……ただ、いい縁は大事にしなさいって言いたかっただけ」
その一言だけを残し、セレスティアさんは厨房へと戻っていった。




