第5話 依頼選び
基礎稽古の合間、オスカーさんから告げられたのは、思いがけない一言だった。
「そろそろ、まともな依頼に挑んでみるか」
木剣を握る手が、思わず止まる。
「今日からしばらく、稽古は休みだ。その代わり、ギルドに顔出すぞ」
クランの拠点を出て向かった先は、フェルンハイムの中心部にそびえる、ひときわ大きな石造りの建物だった。
重厚な両開きの扉を押し開けた瞬間、僕を襲ったのは、これまで感じたことのない熱気と喧騒だった。
高い天井に反響する怒号のような笑い声。壁一面に貼り出された、無数の依頼書。武具を鳴らしながら行き交う屈強な冒険者たち。掲示板の前では、数人の男たちが依頼書を取り合うようにして肩をぶつけ合っている。
「ここが、冒険者ギルド……」
思わず立ち尽くす僕の背中を、ニーナが軽く叩いた。
「口開けたまま突っ立ってると、カモだと思われるよ」
「あ、す、すみません」
慌てて口を閉じると、ニーナがくすりと笑う。
掲示板の前に立つと、セレスティアさんが振り返って笑いかけてきた。
「さて、と。今日はちゃんとした依頼を受けてみましょうか」
セレスティアさんの言葉に、オスカーさんが頷く。
「今までのは、いわば足慣らしだ。今日からは、ちゃんとパーティで動く依頼を受けてもらう」
掲示板には、無数の依頼書が貼り出されていた。討伐、採取、護衛、納品――目移りするほどの種類に、僕はしばし言葉を失う。
「これ、全部僕にも受けられるんですか?」
「まさか。ランクに見合わない依頼は無理よ。この辺りが、今のあんたに手が届く範囲」
ニーナが指差したのは、比較的低い位置に貼られた一角だった。それでも、街の外の森に出て素材を集めるものから、ダンジョンのやや深い階層でのモンスター討伐まで、選択肢は決して少なくない。
ふと視線を巡らせると、掲示板の反対側で、派手な装備に身を包んだ一団が依頼書を物色しているのが目に入った。揃いの外套には、燃えるような獅子の紋章。
「あれは……?」
「気にしなくていいわよ。中堅どころのクランってだけ」
セレスティアさんが、さらりと言葉を流す。それ以上気にする様子もなく、彼女はまた掲示板へと視線を戻した。
あれこれと悩んだ末、僕らが選んだのは、街から少し離れた森での、薬草採取と道中の小型モンスター討伐を兼ねた依頼だった。
「初めての遠征、って感じの依頼にしてみたわ。ダンジョンの外に出るのも、いい経験になるでしょうし」
「森、ですか」
オスカーさんが後を引き取るように、依頼書を軽く指で弾いた。
「森だぜ。ダンジョンとはまた違う、生きた自然相手の依頼だからな。案外、これはこれで奥が深いのさ」
依頼書を手に取り、満足げに頷く。
「明後日出発だ。今日は装備の準備と、体力を温存しておけ」
「はい!」
思わず声を張ると、ニーナが横から肩を小突いてくる。
「あんまり気合入れすぎると、初日で息切れするよ」
「そのときはニーナさんが助けてくれるんですよね?」
「――は、当たり前でしょ」
ふいと顔を逸らしながらも、ニーナの口元は緩んでいた。
装備の準備、と言われても、何をどう揃えればいいのか見当もつかない。戸惑う僕の肩を、ニーナがぽんと叩いた。
「ついてきなさい。武具屋、あたしが案内したげる」
ギルドを出た足で、そのまま武具屋へと向かうことになった。道すがら、ニーナが小さな革袋を押し付けてくる。ずしりとした感触とともに、中で硬貨が擦れ合う音が鳴った。
「これで足りるんですか?」
「銀貨三枚。……笑っちゃうくらい少ないでしょ。うちのクラン、金欠なのよ」
悪びれもせず言い切るニーナに、僕は苦笑いを返すしかなかった。拠点の壁に飾られていた、色褪せた表彰状を思い出す。今のこの懐事情も、あの栄光の名残と地続きなのだろう。
武具屋の店先には、鈍く輝く鎧や、目の飛び出るような値札のついた魔法武器が並んでいた。もちろん、僕たちに縁のある品ではない。ニーナに手を引かれるようにして向かったのは、隅に追いやられた安物の棚だった。
「これなんてどう? 手頃だし、悪くないと思うけど」
差し出されたのは、装飾の一切ない、無骨な片手剣。柄には使い込まれた擦り傷が残っている。中古品らしい。
「……新品じゃ、ないんですね」
「贅沢言わない。あんたが今持ってるやつより、多少マシってだけで御の字よ」
値札を見て、思わず息を呑んだ。銀貨二枚と少し。これだけで、貴重な軍資金の大半が消えてしまう。
「安くていい剣、ってわけにはいかないんですね」
「そりゃそうでしょ。安くて強い剣があったら、みんなそれ使ってるっての」
にべもない答えに、なんだか笑いが込み上げてくる。それでも、握ってみた剣の重心は、悪くなかった。少なくとも、今まで借りていたものよりずっと手に馴染む。
残った銀貨で、丈夫な布の腰袋と、傷薬を数個買い足す。財布の中身は、あっという間に空になった。
「装備なんて、そんなもんよ。強くなればなるほど、金もかかるようになるんだから」
肩をすくめるニーナの横顔には、諦めというより、どこか誇らしげな響きがあった。貧しさを恥じるでもなく、ただ当たり前の現実として受け止めている――そのクランの空気に、僕もいつの間にか馴染み始めていた。
武具屋を出ると、日はすっかり高く昇っていた。街の喧騒の中を歩きながら、僕は胸の内で静かに高鳴る鼓動を感じていた。
初めての、パーティでの遠征。
牙兎に膝をついた日から、まだそう遠くない。それでも今の僕は、あの頃とは違う場所に立っている気がした。
二日後――そこに何が待っているのかは、まだ分からない。それでも、不思議と怖さより、確かな高揚感の方が勝っていた。




