第八十六話 夕暮れの風と薬師の休息
強い日差しが少しずつ傾き、
空が淡い茜色に染まり始めた頃。
ドアベルが静かに鳴り、一人の女性が姿を見せた。
「こんばんは、サクヤさん。
今日も本当に厳しい暑さだったわね……」
入ってきたのは、薬師のセレスさんだった。
夏の薬草採取や調合で忙しかったのか、
少し疲れた様子でカウンターの席へと腰を下ろす。
「いらっしゃいませ、セレスさん。お疲れ様です。
今日はちょうど、涼んでいただける新作がありますよ」
◆
朔夜が運んできたのは、ひんやりと冷えたアイスティーと、
鮮やかなオレンジ色が美しい『特製フルーツジェラート』。
「まあ……とても涼しげで綺麗な色ね」
「サマーベルの酸味と、ハニードロップという濃厚な果実を
合わせて作ったジェラートです。
お疲れの身体に、果物の自然な甘みと酸味が効くと思いますよ」
セレスさんは静かにスプーンを取り、
ひとくち口へと運んだ。
◆
「……っ、美味しいわ……!」
セレスさんの瞳がぱっと明るくなり、
身体からすっと余分な熱が抜けていくようにふうっと息を吐いた。
「サマーベルの爽やかな香りとビタミンが、
ハニードロップの糖分でまろやかに引き立っているわね。
冷たさも滑らかで、疲れた身体にすうっと染み込んでいくようだわ」
薬師らしい視点で素材の組み合わせに感心しながら、
セレスさんは幸せそうにスプーンを進めた。
「サクヤさんは本当に、食材の良さを引き出すのが上手ね。
生き返るような心地よさだわ」
◆
「そう言っていただけて嬉しいです。
クロノも一緒に市場へ行って選んできた果物なんですよ」
朔夜が微笑みながら言うと、
カウンターの端で丸くなっていたクロノが
「えへん」とばかりに金色の瞳を輝かせて喉を鳴らした。
「ふふ、クロノちゃんもお手伝いしたのね。ありがとう」
セレスさんに優しく撫でられて、
クロノは満足そうに目を細めた。
開け放たれた窓から、少し涼しくなった夕方の風が吹き抜ける。
八月の暑い一日を労うように、黒猫亭の夜が優しく始まろうとしていた。




