第六十八話 守られた品質と青い閃き
レインが満足そうな笑顔で店を去った後、
黒猫亭の厨房で、朔夜はもらった果実を手に佇んでいた。
艶やかな赤と、切り口からのぞく神秘的な青。
この貴重な幻の果実を新鮮なうちにどう扱うか考えながら、
朔夜はそれを厨房の冷蔵庫へと仕舞い込む。
その時、ふと頭の隅である記憶が蘇った。
(そういえば……あいつが言っていたな)
この世界に転移してくる直前、
あの神様のような存在が告げた言葉。
『君には、“店を守る権限”を与える』
気にしたこともなかったが、よく考えてみれば
現代から店ごと持ってきた珈琲豆やココアの粉は、
毎日あれだけ消費しているはずなのに、
棚の袋を開ければ、いつも新品同様に満たされている。
劣化しないどころか、数さえも減らないのだ。
◆
(なるほど……。建物や防犯だけじゃない。
店を守るってことは、元からある物の品質も数量も
完璧に守られているわけか)
だからこそ、朔夜はこの店で安心して珈琲を淹れ続けられる。
だが、この『守る権限』には明確なルールがあった。
異世界に来てから市場などで購入した食材は、
冷蔵庫に入れておけば「鮮度」こそ永遠に保たれるものの、
現代の食材とは違って、使ってしまえば確実に数は減るのだ。
つまり、今回レインが持ってきてくれた果実は、
この店において【数に限りがある本物の限定品】ということになる。
店で「期間限定メニュー」として出すにしても、
この有限な果実一つから、できるだけ沢山作れるものは何だろうか。
朔夜は腕を組み、カウンターの隅で
じっとこちらを見上げているクロノと視線を合わせた。
◆
「クロノ、何がいいと思う?」
「にゃあ」
まず最初に頭に浮かんだのは、細かく刻んで煮詰める
ジャム(コンフィチュール)だった。
現実的に日持ちさせるなら、煮沸消毒したガラス瓶に入れ、
きっちり密閉して空気を減らすのが鉄則だ。
(そういえば、この世界にそこまで精密に
密閉できるようなガラスの瓶ってあったっけな……)
これまでの市場の様子を思い浮かべる。
素朴なガラス器や陶器の壺はあったが、現代のような
気密性の高いゴムパッキン付きの瓶などは見かけなかった。
今手元にある店用の空き瓶は「減らない現代の備品」だが、
もし今後、この世界の食材を本格的に加工して保存するなら、
容器の調達も考えなくてはならないだろう。
◆
次にジュースも頭をよぎったが、すぐに首を振る。
絞って液体の飲み物にしてしまっては、
せっかくの瑞々しい果肉がもったいない。
では、スライスして敷き詰めるタルトやパイはどうか。
しかし、それも少し考えて思い直す。
うちの店にはガルドのような衛兵や男性客も多い。
バターたっぷりのどっしりしたタルトは、
彼らにとっては少々重すぎるかもしれない。
「……なら、ベースはあっさりしたものにするか」
つるんとのど越しの良い、甘さ控えめのプリン。
そこへ、あのルリリンゴで作った鮮やかな青いソースを添える。
ベースのプリンは店の卵や牛乳で作れるし、
ソースも数日分を小分けにして出すだけなら、
今ある店の容器で十分に事足りる。
◆
食べたい人が、貴重な青いソースを自分でかけるスタイルなら、
果実を無駄なく大勢に楽しんでもらえる。
それなら甘さの調節も自分でできるし、
なにより真っ白なプリンの上に
透明感のある青いソースがとろりとかかる光景は、
見た目にも絶対に美しいはずだ。
「よし。あれこれ考えてても始まらないし、
とりあえずまずは一度、作ってみるか」
「にゃお」
方針が決まると、朔夜はさっそくエプロンの紐を締め直し、
冷蔵庫からルリリンゴを取り出した。
トントンと小気味よい音を立てて果実を刻み、
小さな手鍋に入れて弱火にかける。
火が通るにつれて、厨房には上質で濃厚な甘い香りが広がり、
鍋の中は神秘的な瑠璃色へと染まっていく。
特等席で見つめるクロノの鼻が、
その良い香りに惹かれてぴくぴくと動いていた。




