第六十六話 商人の手土産と黒猫の特権
ガルドが去った後、黒猫亭のカウンターには
静かな時間が戻っていた。
クロノはガルドからもらった干し肉を
嬉しそうに小さく噛みしめ、
満足そうに毛づくろいを始めている。
カラン。
お昼前、穏やかに鈴が鳴った。
入ってきたのは、肩に大きな鞄をかけたレインだった。
「やあ、サクヤ。今日もいい天気だね」
「いらっしゃいませ、レインさん。
今日はお仕事の合間ですか?」
「ああ、ちょっとそこの市場で
面白い果物を仕入れてね。その帰りに寄らせてもらったよ」
レインはカウンターの席に腰を下ろし、
ふと、その上で上機嫌に尻尾を揺らしている
クロノの姿に目を留めた。
◆
「おや、クロノ。なんだか今日は
いつも以上に機嫌が良さそうだね」
レインが不思議そうに尋ねると、
朔夜は磨いていたグラスを棚に戻しながら答えた。
「今朝、ガルドさんの落とし物を見つけてあげて、
そのご褒美に干し肉をもらったんですよ」
「へえ、それはすごいな! 本当にお利口な猫だ」
レインは感心したように目を細め、
それから自分の鞄の中に手を入れ、
小さな紙包みをそっと取り出した。
「実はね、さっき市場で干し魚の良さそうなやつを
手に入れたんだ。塩気のない、自然な作りのやつをね。
……なぁサクヤ、クロノに少しオヤツをやってもいいのかい?」
レインは少し遠慮がちに、朔夜の顔を覗き込む。
よその飼い猫に勝手に食べ物を与えるのは
良くない、という商人らしい気遣いからだった。
◆
朔夜はレインが持っている紙包みをちらりと見て、
それから少し呆れたようにクロノを見た。
クロノは「オヤツ」という言葉に反応したのか、
すでにレインの前に座り直し、
金色の目をこれ以上ないほど輝かせている。
「まあ、猫が食べられるものならいいですよ。
あまり与えすぎると、太りそうですが」
「はは、ありがとう。じゃあ、ほんの少しだけね」
レインは嬉しそうに笑い、紙包みから
小さくちぎった干し魚をカウンターに置いた。
「はい、どうぞ。お利口なクロノ」
「にゃあ!」
クロノは短く嬉しそうな声を上げると、
さっそく差し出された干し魚を咥え、
実においしそうに食べ始めた。
◆
「気に入ってくれたみたいで良かったよ」
レインはその姿を満足そうに眺めてから、
「いつものブレンドをお願いできるかい?」と注文した。
「かしこまりました」
朔夜は手際よく珈琲を淹れ始める。
香ばしい薫りがカウンターを包み込む中、
レインは贅沢なオヤツタイムを満喫する黒猫を
優しく見守っていた。
「ガルドにレインさんか……。
このままだと、こいつがこの店で一番の
美食家になってしまいそうですね」
朔夜が静かに珈琲を差し出すと、
レインは「それもこの店の特権さ」と
嬉しそうにカップを手に取った。
お昼前の光が差し込む黒猫亭で、
二人の穏やかな笑い声と、
クロノが喉を鳴らす幸せそうな音が、
静かに溶け合っていた。




