第六十五話 慌ただしい朝の落とし物
開店して間もない、午前中の爽やかな光が
黒猫亭の店内に満ちていた。
朔夜が入り口のガラス戸を綺麗に拭き終え、
カウンターの中で朝の珈琲を一口すする。
その傍らでは、クロノが気持ちよさそうに
朝の日差しを浴びて、前足を毛づくろいしていた。
カランカラン!
いつもより少し勢いよく、扉の鈴が鳴る。
「サクヤ! すまねえ、ちょっと聞きたいんだが!」
入ってきたのは、いつもと違って
少し慌てた様子を見せるガルドだった。
これから任務なのか、しっかりと鎧を着込んでいるが、
昨日羽織っていたマントは手に持ったままだ。
「いらっしゃいませ、ガルドさん。どうしたんですか?」
「いやな、昨日ここに寄った後、
マントの重要な留め具がなくなってるのに気づいてな。
仕事に行く前に、駄目元で探しに来たんだ」
ガルドは眉をひそめ、自分が座っていた
カウンターの椅子の周りをキョロキョロと見回す。
◆
朔夜は小さく息を吐き、カウンターの隅から
昨夜クロノが見つけた鈍い銀色の留め具をすっと差し出した。
「これですか?」
「お、おお! それだ! あったのか!」
ガルドの顔が、一瞬でパッと明るくなった。
大きな手で大切そうに留め具を受け取り、
何度も何度も確かめるように眺めている。
「助かったぜ、これがないとマントが固定できなくて
今日の任務で困るところだったんだ。
よく見つけてくれたな、サクヤ」
「俺が見つけたわけじゃないですよ」
朔夜が視線を向けると、カウンターの上で
クロノがぴんと尻尾を立てて、
「ふふん」と胸を張るように喉を鳴らした。
「にゃあ」
◆
「……まさか、クロノが見つけたのか?」
ガルドが目を丸くすると、朔夜は淡々と頷いた。
「ええ。昨夜、店を閉めた後に
椅子の隙間に落ちていたのを、こいつが教えてくれたんです」
「そうだったのか……!」
ガルドは身をかがめ、カウンターの上のクロノと
視線を合わせると、相好を崩した。
「ありがとな、クロノ。お前は本当に賢い猫だ」
無骨な手で、クロノの首のあたりを
いつもより優しく、念入りに撫でてやる。
クロノは気持ちよさそうに目を細め、
ゴロゴロと嬉しそうに音を響かせていた。
「これ、少ないが手柄の褒美だ」
ガルドは懐から、街の市場で買ったという
干し肉の小袋を取り出し、カウンターへ置いた。
そして急いでマントに留め具を取り付けると、
すっきりとした笑顔で立ち上がる。
◆
「よし、これで完璧だ。恩に着るぜ!」
ガルドはマントを翻し、
今度はいつもの力強い足取りで店を出て行った。
カラン、と小気味よく鈴が鳴り、
再び黒猫亭に穏やかな朝の静けさが戻る。
朔夜は、ガルドが置いていった干し肉の袋を見つめ、
それから相棒の黒猫を見た。
「よかったな、クロノ。お手柄だ」
「にゃお」
クロノは誇らしげに鳴き、
さっそく袋の匂いをくんくんと嗅ぎ始める。
慌ただしい朝のご褒美を前にした黒猫を眺めながら、
朔夜はまた、静かに自分の珈琲に口をつけた。




