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『潰れかけ喫茶店ごと異世界転移したので、黒猫と静かに営業していたら最強の休憩所になっていました』  作者: CASCADE


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第六十四話 揺れる影と小さな灯火




静かな夜が、黒猫亭を深く包み込んでいた。

すでに営業時間は終わり、外の通りからは人影が消えている。

朔夜はカウンターの中で、今日使った食器を

一枚ずつ丁寧に洗い、柔らかい布で拭き上げていた。


ふと、手元が暗くなったような気がして、朔夜は手を止める。


「……おや」


カウンターの上のランプは、いつも通り静かに灯っている。

だが、その光が作る「影」が、不自然に波打つように

ゆらゆらと揺れていた。


「にゃ」


いつの間にか、クロノがカウンターの真ん中に立ち、

じっと壁の影を見つめていた。

その金色の瞳が、夜の闇の中でいつも以上に

妖しく、そして深く輝いている。





次の瞬間、壁に伸びるクロノの影が、

まるで強い意志を持つかのように、ゆっくりと壁から剥がれ落ちた。


漆黒の影は、音もなく床へと滑り降りる。

それは丸みを帯びた、小さな黒猫の形をしていた。

クロノが一度、静かに前足を上げると、

影の猫もまた、全く同じ動きで前足を上げる。


「クロノ、また影を動かしているのか」


朔夜は特に驚く風でもなく、

呆れたような、けれどどこか優しい声をかけた。

異世界に来て間もない頃にも、

一度だけこの不思議な力を見たことがあった。

クロノの影は、ただの光の遮りではない。

彼の意志に寄り添い、時に別の形へと変化する

不思議な「もう一つの体」のようなものだった。


影の猫は、床の上をすうっと滑り、

カウンターの席へと滑り上がる。

そして、今日ガルドが座っていた椅子の下へと潜り込むと、

隙間に落ちていた小さな何かを包み込むようにして、

カウンターの上まで這い上がってきた。





影の猫が、カウンターの上で静かに形を溶かす。

影が消えた後に残されたのは、

小さな、鈍い銀色に光るボタンのような金属の留め具だった。

ガルドの鎧か、あるいはマントの装飾が

いつの間にか外れて落ちていたらしい。


「ガルドさんの落とし物か。気づかなかったな」


影の猫は、役目を終えたとばかりにクロノの足元へと戻り、

静かに元の「普通の影」へと溶けて重なった。


「にゃあ」


クロノは、どうだとばかりに喉を鳴らし、

朔夜を見上げて尻尾をぴんと立てた。


「お手伝いのつもりか? ありがとな」


朔夜がクロノの小さな頭を優しく撫でると、

クロノは嬉しそうに目を細めた。

この店を、そしてここに集まる人々を静かに見守る、

賢くて、少しだけ特別な相棒。





朔夜は、クロノが教えてくれた金属の留め具を手に取り、

明日ガルドが来たときに渡せるよう、カウンターの隅に置いた。


この店が、なぜ異世界に転移したのか。

そして、クロノが持つこの「影を操る力」が、

この世界とどう繋がっているのか。

その答えは、まだ誰も知らない。


けれど、クロノがその力を、店や誰かを脅かすために

使わないことだけは、朔夜にはよく分かっていた。


「そろそろ、寝るか」

「にゃ」


ランプの火を吹き消すと、店内は一瞬にして

深い闇に包まれた。

けれど、クロノの金色の瞳だけは、

暗闇の中でいつまでも、道標のように温かく輝き続けていた。

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