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『潰れかけ喫茶店ごと異世界転移したので、黒猫と静かに営業していたら最強の休憩所になっていました』  作者: CASCADE


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第六十三話 夕暮れの寄り道




新しくメニューに加わったスパイスケーキは、

常連たちの間で、早くも静かな評判を呼び始めていた。

夕刻、少し涼しくなった風が、

黒猫亭の窓から入り込み、白いカーテンを優しく揺らす。


カラン。

扉の鈴が、ゆっくりと鳴った。

入ってきたのは、衛兵の任務を終えたばかりのガルドだった。

いつもの無骨な鎧の上から、

今日は珍しく、薄手のマントを羽織っている。


「いらっしゃいませ。今日はお仕事帰りですか?」

「おう。街の外を少し回ってきてな。

身体の芯が、どうにも妙に冷えちまってる」


ガルドは大きな体を揺らしながらカウンターに座り、

軽く自分の肩を叩いた。


「サクヤ、あいつが言ってた

『新しい香りの菓子』ってのはまだあるか?」

「ええ、スパイスケーキですね。ございますよ」

「じゃあ、それと……いつものやつを頼む」





朔夜は静かに頷き、仕込みを始めた。

夕暮れの店内に、コーヒー豆を挽く規則正しい音が

心地よく響き渡る。

そして、先ほど焼き上がったばかりの

スパイスケーキを丁寧に切り分け、皿へと乗せた。


コト、とガルドの前に置かれた、

深い琥珀色のコーヒーと、きつね色のケーキ。


「いただきます、だな」


ガルドは大きな手で小さなフォークを器用に持ち、

まずはスパイスケーキを一口、口に運んだ。


「……ほう」


噛みしめた瞬間、ガルドの目がわずかに見開かれた。

ただ甘いだけではない。

ほんのりとしたスパイスの熱が、

喉の奥からじんわりと、冷えていた体に染み渡っていく。


「こいつは、ただの菓子じゃねえな。

じんわりと熱が巡るような……不思議な感覚だ」

「仕入れたスパイスが、身体を温める効果のある

ものだったようです。冬場や、冷えた夕方にはぴったりかと」


朔夜が平然と説明する傍らで、

ガルドは熱いコーヒーを一口すする。

コーヒーのコクと、スパイスの爽やかな余韻が

口の中で完璧に混ざり合い、

ガルドの大きな肩が、すとんと下りた。





「にゃあ」


いつの間にか、クロノがカウンターの上を歩いてきて、

ガルドの腕のすぐそばに、ちょこんと座り込んだ。

金色の目を細め、静かにガルドを見つめている。


「なんだ、お前も美味そうだと思うか?

だが、これはお前には刺激が強すぎるな」


ガルドがいたずらっぽく笑うと、

クロノは「知っている」とでも言うように、

一度だけ小さく鼻を鳴らした。

そして、ガルドのマントの裾を、

前足で優しく、ふみふみと踏み始める。


「……おいおい、生地が傷むぞ」


口ではそう言いながらも、

ガルドの表情は、完全に緩みきっていた。

クロノの小さな体温が、マントを通して

ガルドの手元をじわじわと温めていく。


外の通りでは、家路を急ぐ人々の足音が

少しずつ遠ざかり始めていた。

黒猫亭の窓から差し込む夕日は、

店内を濃いオレンジ色に染め上げている。





「ふう、生き返ったな」


ケーキの最後の一切れを口に放り込み、

コーヒーを最後の一滴まで飲み干したガルドが、

深く、満足そうに息を吐き出した。


「やっぱり、ここに来ると、

一日の終わりの格好がつくな」

「ただの喫茶店ですが、そう言っていただけると光栄です」


朔夜が空いた皿を下げながら言うと、

ガルドは嬉しそうに口元を緩め、代金を置いた。


「またな、クロノ。お前も風邪をひくなよ」

「にゃ」


クロノはガルドを見送るように、

一度だけ尻尾をパタパタと振った。

カラン、と鈴の音が鳴り、扉が閉まる。


夕闇がゆっくりと街を包み込んでいく中、

黒猫亭のカウンターには、

まだ、温かいスパイスの香りが優しく残っていた。

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