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『潰れかけ喫茶店ごと異世界転移したので、黒猫と静かに営業していたら最強の休憩所になっていました』  作者: CASCADE


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第六十二話 旅の余韻と新しい香り




からりと晴れた日の午後。

黒猫亭のカウンターには、いくつかの小さな木箱が並んでいた。

先ほど、なじみの商人であるレインが、

仕入れから戻ったその足で届けてくれたスパイスの数々だ。


「これ、次の旅先で手に入れたものなんだけど……

サクヤなら、何か面白い使い方を思いつくんじゃないかと思ってね」


そう言って置いていかれた木箱からは、

ほんのりと甘く、少しだけ刺激的な、

異世界ならではの不思議な香りが漂っている。


朔夜は木箱を一つずつ開け、指先で触れて匂いを確認していく。

日本のスパイスに例えるなら、シナモンやカルダモン、

それにほんの少しのクローブを混ぜ合わせたような、

どこか懐かしくも新しい香りだった。


「にゃあ」


カウンターの端で、クロノが不思議そうに鼻をひくひくさせている。

未知の香りに警戒しているというよりは、

「何を作っているのか」と興味津々の様子だった。





「クロノ、ちょっと匂いが強いかもしれないな」


朔夜はそう言いながら、

クロノから少し離れた場所で、新しいメニューの試作に入った。

用意したのは、これまでに研究を重ねてきた「焼き菓子」の生地。

そこに、レインから受け取ったスパイスを

ほんの微量だけ、すり潰して混ぜ込んでいく。


焼き上がりの香りを想像しながら、

分量を細かく調整していく時間は、朔夜にとっても心が躍る瞬間だった。


やがて、生地を型に流し込み、温めておいたオーブンへ。

数分もすると、店内に今までにない、

香ばしくも深く甘い香りが満ちていった。


「にゃお」


クロノが待ちきれないといった様子で、

カウンターの上から、調理場の様子がのぞける棚へと飛び移る。

金色の目を輝かせ、焼き上がりの瞬間をじっと待っていた。





チリン、とオーブンのタイマーが鳴る。

取り出したのは、綺麗なきつね色に焼き上がったパウンドケーキ。

熱が通ることで、スパイスの尖った香りが丸みを帯び、

小麦とバターの香りと見事に調和していた。


「……いい香りですね」


朔夜は、粗熱が取れるのを待ってから

ケーキを薄く切り分け、一口サイズにして口に運んだ。


しっとりとした生地の中に、

鼻に抜ける爽やかなスパイスの余韻。

これまでの定番だった優しい甘さの焼き菓子とは一味違う、

少し大人の、贅沢な味わいだった。


「にゃ」


足元から、抗議するような短い鳴き声が聞こえる。

見下ろすと、クロノが「自分だけずるい」とでも言いたげな顔で

朔夜のズボンの裾を、前足でちょんちょんと叩いていた。


「これはスパイスが入っているから、クロノは駄目ですよ」


朔夜は苦笑しながら、クロノ用にあらかじめ作っておいた、

スパイス抜きの丸い焼き菓子の端を少しだけ千切って差し出した。

クロノはそれを嬉しそうに咥えると、

自分のいつもの特等席へと戻り、美味しそうに食べ始めた。





カラン。

陽が少し傾き始めた頃、静かに鈴が鳴る。

入ってきたのは、仕入れの片付けを終えたばかりのレインだった。


「サクヤ、さっきのスパイスはどうだったかい?」


レインは鼻をひくひくとさせ、店内の香りに目を丸くした。


「……素晴らしいな。もう何かを作ったのかい?」

「ええ、ちょうど焼き上がったところです。

味見をしていただけますか?」


朔夜が、切り分けたスパイスのケーキと、

いつものブレンドコーヒーを差し出す。

レインは「喜んで」とフォークを手に取り、

ケーキを一口、口へと運んだ。


「お……!」


レインの顔が、驚きと喜びでパッと明るくなる。


「これはすごいね。スパイスの個性を殺さずに、

ケーキ全体の甘みを引き立てている。

ブレンドコーヒーの深みとも、完璧に調和しているよ」

「気に入っていただけて良かったです。

これなら、新しい定番メニューにできそうですね」


レインは何度も頷きながら、嬉しそうにコーヒーを流し込んだ。

自分が運んできたものが、朔夜の手によって

これほど素晴らしい「居心地の良さ」に変わる。

それは商人として、そしてこの店の常連として、

何よりも誇らしいことだった。


窓の外では、夕暮れの赤い光が街を静かに染めていく。

新しい香りに包まれた黒猫亭のカウンターで、

二人の穏やかな会話と、クロノの小さな寝息が

いつまでも優しく重なり合っていた。

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