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『潰れかけ喫茶店ごと異世界転移したので、黒猫と静かに営業していたら最強の休憩所になっていました』  作者: CASCADE


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第六十話 雨音と温もり




朝から降り続く雨が、黒猫亭の窓を静かに叩いていた。

外の通りを行き交う人々の足取りは早く、皆一様に

首をすくめて、雨から逃げるように走り去っていく。


こんな雨の日は、客足が途絶える。

朔夜は静かな店内で、いつもより多めに

焼き菓子の仕込みをすることにした。

オーブンから漂う甘い小麦の香りが、

少しひんやりとした店内の空気を暖めている。


「にゃ」


クロノはカウンターの隅に置かれた、

乾いたタオルの上で、丸くなって眠っていた。

時旧、窓を叩く雨の音が強くなると、

耳だけをピクピクと動かしている。





カラン。

お昼を過ぎた頃、静かに鈴が鳴った。

入ってきたのは、フードを目深に被った一人の女性だった。


「いらっしゃいませ」


声をかけると、女性は濡れたフードをそっと外した。

肩まである薄茶色の髪が、雨に濡れて少し束になっている。

初めて見る顔だった。

女性は寒そうに体を小さく震わせながら、

店内を頼りなげに見回し、一番奥の席へ腰を下ろした。


朔夜はすぐに、乾いた温かい布巾を差し出した。


「よろしければ、髪や服を拭くのにお使いください」

「あ……ありがとう、ございます」


受け取った女性の手は、白く、冷え切っていた。

少し震える手で、じっと差し出された布巾を握りしめている。


「ご注文は、いかがいたしますか?」

「えっと……あまり、苦くないもので、

体を温められるものはありますか……?」


朔夜は、彼女の濡れた肩と、少しこわばった表情を見た。

雨の冷たさに打たれ、体だけでなく心まで

冷え切ってしまっているようだった。


「温かいココアはいかがですか?

甘さを調整できますが」

「……じゃあ、少し甘めで、お願いします」


「かしこまりました。少々お待ちください」





朔夜はすぐに湯を沸かし、

手鍋にミルクと良質なココアパウダーを合わせた。

丁寧に混ぜ合わせ、優しく泡立てていく。

いつもより少し多めに入れた砂糖が、

ココアの深い香りと混ざり合い、店内にまろやかに広がった。


その甘い匂いに、眠っていたクロノがゆっくりと目を覚ました。

タオルの上から降りると、音もなく床を歩き、

女性が座る奥の席へと近付いていく。


「わ……」


女性が、足元に近寄ってきた黒い影に気付いて

小さく声を上げた。

クロノは女性を見上げるでもなく、

ただその足元で、そっと寄り添うように丸くなった。


「ねこ、さん……」


冷えていた彼女の足元に、クロノの確かな体温が伝わっていく。

女性は、そっと手を伸ばした。

指先が漆黒の毛並みに触れる。

クロノは嫌がることもなく、静かに目を細めて

その冷たい指先を温めるように、じっとしていた。


「お待たせいたしました。甘いココアです」


テーブルに置かれたカップから、

真っ白な湯気が立ち上っている。


「いただきます……」





女性は両手でカップを持ち、ふーふーと息を吹きかけながら、

ゆっくりとココアを一口含んだ。


喉を通る、濃厚な甘さと温かさ。

じんわりと、強張っていた胃のあたりから

熱がじわじわと体全体へ染み渡っていく。


「あたたかい……」


女性の口から、張り詰めていたため息が零れ落ちた。

それと同時に、彼女の強張っていた肩の力が

すとんと抜けていく。


「雨宿りのつもりで入ったんですけど……

こんなに甘くて温かい飲みもの、初めて飲みました」


女性は少しだけ、はにかむように笑った。

朔夜は「ありがとうございます」と静かに微笑み、

それ以上は何も聞かず、カウンターへと戻った。


ただ、窓の外を眺めながら、

静かにココアを飲む彼女の時間だけが流れていく。

足元では、クロノが静かに寄り添い続けていた。


やがて、ココアを飲み終えた彼女が立ち上がる頃には、

外の雨はすっかり小降りになっていた。

店を出ていく彼女の表情は、入ってきた時よりも

ずっと柔らかく、温かそうだった。


「ごちそうさまでした。また、来ます」

「お待ちしております」


カラン、と鈴が鳴り、扉が閉まる。

クロノは満足そうに一度だけ「にゃ」と鳴き、

再びカウンターの上のタオルのへと戻っていった。


雨の日の黒猫亭には、

まだ、優しいココアの香りが残っていた。

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