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『潰れかけ喫茶店ごと異世界転移したので、黒猫と静かに営業していたら最強の休憩所になっていました』  作者: CASCADE


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第五十二話 薬師の疑問

昼下がりの黒猫亭は静かだった。

窓から入り込む風が、コーヒーと焼き菓子の香り

をゆっくり運んでいく。

朔夜はカウンターの中で、新しく焼いた菓子を見 ていた。

少しだけ配合を変えたものだ。

甘さは控えめ。

香りは以前より残る。

「……これなら悪くないか」

小さく呟く。

カウンターの端では、クロノが丸くなっていた。

眠っているようにも見える。

だが耳だけは時折動いていた。

 ◆

 カラン。

 鈴が鳴る。

 入ってきたのは見慣れない女性だった。

 二十代後半ほどだろうか。

 落ち着いた雰囲気で、腰には小さな革袋を下げ

ている。

 薬草の香りが微かに漂った。

 朔夜は会釈する。

「いらっしゃいませ」

 女性は店内を見回した。

「ここが黒猫亭?」

「そうですが」

「なるほど」

 何かを確かめるような視線だった。

 やがてカウンター席へ座る。

「ご注文は?」

 女性は少し考えた。

「おすすめをお願いできる?」

 朔夜は一瞬だけ相手を見る。

 疲れているようには見えない。

 だが肩に力が入っている。

「苦いものは平気ですか?」

「嫌いじゃないわ」

「ではコーヒーを」

 女性は頷いた。

 豆を挽く音が店内に響く。

 その時だった。

 クロノがゆっくり立ち上がる。

 そして女性の足元へ歩いていった。

「……珍しい」

 女性が小さく呟く。

 クロノは椅子の近くへ座り込んだ。

 それだけだった。

 だが離れようとはしない。

「懐いてるのかしら」

「どうでしょう」

 朔夜は湯を注ぎながら答えた。

「気分だと思います」

 女性は少しだけ笑った。

 やがてコーヒーが置かれる。

 その横には焼き菓子も添えられていた。

「こちらは?」

「最近出し始めたものです」

「美味しそうね」

 女性はまずコーヒーを口にした。

 ゆっくり味を確かめる。

 それから焼き菓子を一口。

 数秒後、少し驚いたような顔をした。

「……不思議」

 朔夜は黙って続きを待つ。

「味の話じゃないの」

 女性は苦笑する。

「なんだか肩の力が抜ける感じがするわ」

 クロノが尻尾を一度だけ揺らした。

 朔夜は静かにカップを拭く。

「気のせいでは?」

「薬師にその言い方する?」

 朔夜の手が少し止まる。

 入ってきた時に感じた薬草の香り。

 あれは気のせいではなかったらしい。

「薬師なんですか」

「ええ」

 女性は頷く。

「セレスっていうの」

 そう言って再びコーヒーを飲んだ。

「薬はたくさん見てきたし、人の体調もそれなりに分かるつもり」

 セレスはカップの中を見つめる。

「でもこれは薬じゃない」

「違いますね」

「なのに少し楽になる」

 朔夜は何も答えなかった。

 黒猫亭の加護。

 飲み物や食べ物に宿る小さな力。

 だが説明するつもりはない。

 セレスも追及はしなかった。

 代わりに視線を落とす。

 そこにはクロノがいた。

 いつの間にか足元で丸くなっている。

「それと……」

 セレスは目を細めた。

「この子」

「クロノです」

「クロノね」

 クロノは片目だけ開ける。

「私が入ってきた時から気になってたの」

 セレスはゆっくり言った。

「どうしてかしら。この子を見てると安心するのよね」

「ただの猫ですよ」

 朔夜は即答した。

 セレスは苦笑する。

「そういうことにしておくわ」

 だが納得している顔ではなかった。

 薬師らしい観察する目。

 何かを見逃さない目。

 クロノはそんな視線を気にする様子もなく、小さく鳴いた。

「にゃ」

 その声にセレスの表情が少し緩む。

「……また来るわ」

 空になったカップを見ながら言った。

「次は薬師としてじゃなくて、お客として」

「お待ちしています」

 短いやり取り。

 やがて扉が開き、セレスは店を後にした。

 外へ出る直前、もう一度だけ振り返る。

 視線の先にはクロノ。

 黒猫は静かに尻尾を揺らしていた。

 セレスは小さく笑う。

「やっぱり、ただの猫には見えないんだけどね」

 扉が閉まる。

 黒猫亭には再び静かな時間が戻っていた。

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