第四十三話 黒猫のいる場所
黒猫亭の昼は、今日も静かに流れていた。
だがその静けさは、もう単純な無音ではない。
人が来て、飲み物が出て、言葉が少しだけ残る。
それが積み重なっている。
「……少しずつ、店っぽくなってきたな」
朔夜は豆を量りながら、小さく呟いた。
以前の“何もない喫茶店”とは違う感触。
そこにはもう、来る理由が生まれている。
「にゃ」
クロノはカウンターの上で丸くなっている。
だが今日は、わずかに目を開ける時間が長い。
カラン。
鈴が鳴る。
朔夜は顔を上げる。
入ってきたのは、商人の男と、もう一人見知らぬ客だった。
二人連れ。
だが目的は同じ場所。
男は軽く手を上げる。
「ここだって聞いたから連れてきた」
連れの方は、店内をゆっくり見回している。
「……本当にあるんだな」
朔夜は短く頷く。
「いらっしゃいませ」
それだけ。
二人はカウンターに座る。
先に商人の男が口を開く。
「噂、聞いたぞ。“黒い猫がいる喫茶店”ってな」
朔夜の手が一瞬だけ止まる。
だが、すぐに動く。
「います」
短い返事。
連れの男が小さく笑う。
「それ、ただの店の飾りじゃないのか?」
その瞬間だった。
クロノがゆっくりと体を起こす。
音もなくカウンターの端へ移動する。
二人の視線の先に座る。
ただ、それだけ。
何も鳴かない。
何も動かない。
だが、その“静止”が妙に強い存在感を持っている。
商人の男が小さく息を吐く。
「……なるほどな」
それは納得でもあり、確認でもあった。
連れの男も視線を外さないまま呟く。
「見られてる感じがするな、ここ」
朔夜は豆を挽く。
しゃり、と音が鳴る。
「気のせいだと思います」
短く言う。
だが、その言葉に誰も反論しない。
クロノは数秒だけ二人を見たあと、何事もなかったように元の場所へ戻る。
その動きは、まるで“確認が終わった”と言っているようだった。
商人の男が小さく笑う。
「この猫、客を選んでるんじゃないか?」
朔夜は何も答えない。
ただカップを置く。
その横にいつも通りの皿。
二人はそれぞれ飲み、少しだけ間を置く。
言葉は多くない。
だが空気は少し変わっていた。
帰り際、連れの男がぽつりと言う。
「ここ、“黒猫のいる店”って呼ばれてる理由、分かった気がする」
朔夜は軽く会釈するだけだった。
クロノはもう目を閉じている。
だが、その存在は確かに“店の一部”ではなく“店の意味”に近づいていた。
黒猫亭という場所は、少しずつ説明できない形へ寄っていく。
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