第三十四話 広がる気配
黒猫亭の昼は、今日も静かだった。
だがその静けさは、もう以前のような“何もない時間”ではない。
人が来て、少し話して、帰っていく。
その繰り返しが、店の中に薄く積もっている。
「……悪くない流れだな」
朔夜は豆を計りながら、小さく呟いた。
しゃり、と音が鳴る。
その音はもう、店の基準になっていた。
「にゃ」
クロノはカウンターの上で丸くなったまま、片目だけを開ける。
外の気配を、少しだけ長く見ているようだった。
カラン。
鈴が鳴る。
朔夜は顔を上げる。
入ってきたのは、最初にこの店へ来た男――ガルドだった。
もう迷いはない。
扉をくぐる動きは、完全に“慣れた場所”のそれだった。
カウンターに座ると、ガルドは軽く息を吐く。
「だいぶ噂になってきてるな、この店」
朔夜は豆を挽きながら、視線だけ向ける。
「そうみたいですね」
短く答える。
ガルドは少し笑った。
「最初に来たときより、人の話題に上がるのが早い」
朔夜は湯を落とす。
香りが静かに広がる。
「そうなんですか」
変わらない調子。
だが、その言葉の奥に少しだけ“外の変化”が混ざる。
ガルドはカップを受け取り、一口飲む。
そして、わずかに目を細めた。
「……やっぱり落ち着くな、ここは」
朔夜は何も言わない。
だが、ガルドはそこで続けた。
「そういえば、お前」
カップを置く。
「外にも出るつもりはあるのか?」
朔夜は少しだけ手を止める。
そして、短く頷いた。
「そうですね。そろそろ市場とか、見て回りたいと思ってます」
ガルドは軽く腕を組む。
「なら、場所は知っておいた方がいいな」
少しだけ考えてから続ける。
「この辺なら、朝市は東通り。食材なら昼前のほうがいい」
朔夜は静かに聞いている。
「あと、変なもの掴まされないようにだけは気をつけろ」
ガルドは軽く笑った。
「この店みたいなのばっかりならいいんだがな」
朔夜はそこで、ほんの少しだけ目を細める。
「ここは普通の喫茶店です」
その言葉に、ガルドは短く笑った。
「それを言い切れるなら大したもんだ」
クロノが静かに尻尾を揺らす。まるで、
“店が外へ広がる準備を始めた”ことを確かめるように。
黒猫亭は、少しずつ
「街の中の点」になり始めていた。
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