第三十三話 噂の輪郭
黒猫亭の昼は、少しずつ“静かではない静けさ”になっていた。
人が来る前の時間。
その間に、店の空気はほんのわずかに変わる。
「……少しずつ、変な場所になってきてるな」
朔夜は豆を計りながら、小さく呟いた。
悪い意味ではない。
ただ、“ただの喫茶店”という言葉が少しだけズレ始めている感覚。
「にゃ」
クロノはカウンターの上で丸くなったまま、外の気配を見ていた。
いつもより少しだけ長く。
カラン。
鈴が鳴る。
朔夜は顔を上げる。
入ってきたのは、昨日の女性だった。
だが、今日は一人ではない。
女性の後ろに、別の客が少し距離を空けて入ってくる。
若い男。
どこか落ち着かない様子で、店内を見回している。
「ここ……例の店か?」
男が小さく呟く。
女性は軽く肩をすくめる。
「私は落ち着くって聞いて来ただけ」
朔夜は一拍だけ置く。
状況を理解しながら、いつも通り言う。
「喫茶店です」
それだけ。
二人は少しだけ顔を見合わせる。
女性が先にカウンターへ座る。
男は少し迷ったあと、少し離れた席に座った。
朔夜は豆を挽く。
しゃり、と音が鳴る。
その音に、男がわずかに反応する。
「……これ、聞いてたやつと同じか?」
女性が小さく頷く。
「多分それ」
朔夜は何も言わない。
ただ湯を落とす。
香りが広がる。
二人とも、それを静かに見ている。
一口飲んだ女性が、小さく息を吐いた。
「やっぱり、ここいいよね」
男は少し遅れて一口飲む。
そのあと、短く言った。
「……変な噂、少し分かる気がする」
朔夜の手がわずかに止まる。
だが、すぐに拭き作業へ戻る。
会話はそれ以上広がらない。
それでも、同じ空間に“複数の認識”が混ざり始めていた。
クロノが静かに尻尾を揺らす。
それは、
“店の外側で何かが繋がり始めた”ことを感じ取った動きだった。
黒猫亭はまだ小さい。
だが、ただの点ではなくなりつつあった。
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