第三話 休ませる者
「……別の世界って、本気で言ってます?」
朔夜は警戒したまま男を見る。
冗談にしては状況が意味不明すぎた。
けれど頬を抓っても痛い。
夢とは思えないほど感覚がはっきりしている。
「本気だ」
男は静かに頷いた。
「君の店は、既に世界の狭間へ移動している」
「さらっと怖いこと言いますね……」
朔夜は思わず頭を押さえる。
店ごと異世界。
普通なら混乱して叫んでもおかしくない。
けれど不思議と、そこまで恐怖はなかった。
クロノが落ち着いているからかもしれない。
黒猫は男から視線を外さず、静かに座っている。
「……なんで俺なんです?」
その問いに、男は少しだけ目を伏せた。
「この世界には、戦える者は多い」
「強い剣士も、優れた魔法使いもいる」
「だが皆、疲弊している」
静かな声だった。
どこか、長い年月を諦め続けてきたような声。
「傷付いた者が安心して眠れる場所が少なすぎるのだ」
朔夜は黙って話を聞く。
「争いは人の心を削る」
「魔力の消耗も、呪いも、長い旅も」
「少しずつ、人を壊していく」
白い空間に、男の声だけが響く。
「だから必要だった」
「戦う場所ではなく、“休める場所”が」
その言葉を聞いた瞬間。
朔夜の胸の奥が、少しだけ熱くなった。
誰かが安心して息を吐ける場所。
それは、黒猫亭を続けたかった理由と同じだったから。
「……でも、俺にそんな大層なことは」
「売上がなくとも、君は店を閉めなかった」
「疲れた客へ、温かいコーヒーを出し続けていた」
男は静かに朔夜を見る。
「だから私は、君を選んだ」
朔夜は言葉を失う。
そんな風に考えたことはなかった。
ただ、自分にできることを続けていただけだ。
その時だった。
クロノが、ふらりと男の近くへ歩いていく。
「……クロノ?」
男は少し驚いたように目を細めた。
そして、どこか優しく笑う。
「なるほど」
「君は、この猫にも選ばれているらしい」
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