第十九話 残る温度
エルフが出て行ったあと、扉の鈴はしばらく揺れていた。
その余韻だけが、店の静けさに小さく波紋を残す。
やがてそれも消えて、黒猫亭はいつもの音に戻った。
カップを洗う水音。
木の床がきしむ微かな響き。
そして、コーヒーの香り。
「……変な客だったな」
朔夜は拭いたカップを棚に戻しながら呟く。
悪い感じではない。
ただ、長く留まるタイプではないのが分かる空気だった。
「にゃ」
クロノは窓際で丸くなったまま、特に反応はない。
ただ、尻尾だけが一度だけ揺れた。
朔夜はカウンターに視線を落とす。
そこに、まだわずかに“熱”が残っている気がした。
誰かが座っていた場所。
誰かが飲んでいたカップ。
ほんの数分の出来事なのに、確かにそこに“存在”があった。
(店って、こういうものなのか)
来て、座って、飲んで、出ていく。
それだけの繰り返し。
なのに、何かが少しずつ積もっていく。
朔夜は手を止める。
視線の先には、静かな店内。
ガルド。
少女。
そして、さっきのエルフ。
まだ数えるほどしかない客たちなのに、この場所はもう“空白”ではなかった。
「……悪くない、か」
ぽつりと、誰に向けるでもなく言う。
クロノが小さくあくびをした。
その仕草が、店の時間をさらにゆっくりと引き延ばす。
外の世界は動いている。
だが黒猫亭の中だけは、まだ静かに“積み始めたばかりの時間”の中にあった。
そしてその静けさは、これから来る誰かのために、わずかに形を変え続けていく。
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