第十八話 昼を少し過ぎて
黒猫亭の昼は、静かに過ぎていく。
ガルドと少女が来た朝の余韻は、もうほとんど薄れていた。
それでも、カップを洗う手の感覚だけが、少しだけ違っている。
誰かが来た店。
その事実だけが、まだ残っていた。
「……悪くないな」
朔夜は小さく呟く。
いつもの作業。
いつもの音。
けれど、同じには戻っていない。
「にゃ」
クロノが窓際で丸くなる。
光の位置が、少しだけ傾き始めていた。
昼を少し過ぎた頃だった。
カラン。
扉のベルが鳴る。
「……今度は誰だ?」
朔夜は顔を上げる。
入ってきたのは、明らかに“この街の人間ではない雰囲気”だった。
背が高い。
白銀に近い髪。
尖った耳。
そして、静かすぎる歩き方。
エルフだった。
少女でもなく、冒険者でもない。
ただ、空気の質が違う存在。
「……人族の店か」
低く、確かめるような声。
朔夜は一瞬だけ間を置いてから答える。
「喫茶店です」
それ以上でも、それ以下でもない。
エルフは店内を一度だけ見渡し、カウンターへ歩く。
座る動作は静かだった。
「香りが変わっているな」
ぽつりと呟く。
朔夜は豆を挽く手を止めない。
「コーヒーでいいですか?」
「……それでいい」
短いやり取り。
だが、その間にも空気が少しだけ張り詰めている。
湯を落とす。
香りが広がる。
エルフはそれを見て、わずかに目を細めた。
「……悪くない」
その一言だけで、カップに視線を落とす。
一口。
ほんの少しだけ、肩が緩む。
だが、それ以上は何も言わない。
カップを置くと、すぐに立ち上がった。
「邪魔したな」
そう言って、すぐに出ていく。
カラン。
扉が閉まる。
静けさが戻る。
朔夜はカップを見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……なんなんだ、今の」
クロノが一度だけ尻尾を揺らす。
まるで、“もう一段階ある”とだけ言うように。
黒猫亭の時間は、昼を少し過ぎたまま静かに流れていく。
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