第百八十四話 恵みの仕込みと、言葉なき深呼吸
感謝祭を明日に控え、黒猫亭の厨房は熱気と甘やかな香りに満ちていた。
王都から届いた極上の熟成肉、森の清流で育った鮮やかな根菜、そしてアルテ経由で天空都市から送られてきた輝く結晶塩。各地の恵みが厨房の調理台狭しと並べられている。
「よし……下ごしらえは順調だな。クロノ、ハーブの準備はどうだ?」
「みぁ〜っ!」
クロノはすばしっこくキャビネットの上へ飛び乗ると、天日干しにした乾燥ハーブの束を器用にチョンと引き寄せた。
「助かるよ。このハーブと結晶塩が、それぞれの食材の味をひとつにまとめてくれるはずだ」
◆
特大の銅鍋に牛骨と香味野菜を放ち、じっくりと時間をかけてスープを引いていく。
アクを丁寧にすくい取り、透き通る黄金色の琥珀スープが完成すると、朔夜は切り分けた熟成肉とゴロゴロとした根菜を投入した。
ふつふつと心地よい音を立てて煮煮立つ鍋からは、思わず笑みがこぼれてしまうほど豊かな湯気が立ち上る。
作業の合間、朔夜はふと手を止め、窓の外を見上げた。
夕闇が迫る街並みの向こう、空の境目がかすかに揺らぎ、異世界の優しい光が交差しているのが見える。
(明日、本当にすべての世界がひとつに結ばれるんだ……)
◆
小さな緊張を感じ取ったのか、足元から「すりっ」とあたたかい感触が伝わってきた。
見下ろすと、クロノが丸い瞳で朔夜を見上げ、そっと前足を靴の上に重ねていた。
「クロノ……」
「ふにゃ〜ん」
『大丈夫ニャ、サクヤ。僕がずっと一緒にいるニャ』——言葉にはならずとも、その短い鳴き声とあたたかな体温がしっかりと伝わってくる。
「……ふふ、そうだな。僕たちなら、絶対最高の宴にできるよね」
朔夜はしゃがみ込み、相棒の小さな体をぎゅっと優しく抱きしめた。
クロノも満足そうに喉を「ゴロゴロ」と鳴らし、朔夜の首元に鼻先をすり寄せる。
◆
カウンターの片隅で、真鍮の羅針盤がまるで生きているかのように、穏やかで強い黄金色の輝きを放ち始めていた。
準備はすべて整った。
世界中の「あたたかさ」と「笑顔」を集める、黒猫亭史上最大の感謝祭が、いよいよ明日幕を開ける。




