第百八十一話 羅針盤のささやきと、両親の遺した手記
「空間の揺らぎ……ですか」
ギルドの見習い少年を見送り、朔夜はカウンターの片隅にある真鍮の羅針盤をじっと見つめた。
針は静かに北を指しているが、時折、微かに青い光を帯びて震えている。
「心配いらんぜ、サクヤ。なにがあっても俺たちがついてるんだ!」
「ありがとうございます、ガルドさん。でも……不思議と嫌な感じはしないんです」
朔夜は首を振ると、厨房の奥の棚から一冊の古びた革表紙のノートを取り出した。
亡き両親が遺した、店の仕込みノート兼日記だ。
◆
「クロノ、ちょっとこれ見てくれるか?」
「みぁ〜?」
クロノがトコトコと寄ってきて、朔夜の膝に前足を乗せてノートを覗き込む。
朔夜が最後の数ページをめくると、そこには父の筆跡で、未完成の魔法陣と羅針盤のスケッチが描かれていた。
『――次元の交差点たる黒猫亭は、ただ世界を繋ぐだけでは終わらない。
すべての扉が完全に開いたとき、この羅針盤は「潮の満ち引き」を安定させる絶対の「楔」となる。
その時必要なのは強い力ではなく、この店を訪れるすべての者の“想い”と“あたたかな食卓”だ――』
「両親の……言葉……」
朔夜の呟きに、クロノが「みぁ〜ん」と深く頷くように鳴き、朔夜の手に鼻先を押し当てた。
◆
「そうか……父さんと母さんは、最初から分かってたんだ。世界が広がれば広がるほど、繋がりが大きくなるほど、店を満たす“温かさ”が世界を繋ぎ止める柱になるって」
ガルドも腕を組み、感心したように頷いた。
「なるほどな……! つまり、この揺らぎを完璧に抑え込んで、すべての異世界とこの街を未来永劫しっかり結びつけるには、もっとでけぇ『温かさ』が必要ってことか!」
「はい。だから僕たちは、今まで以上に美味しい料理を作って、みんなを迎えないといけませんね」
「ふにゃ〜っ!」
クロノが気合十分といった様子で胸を張る。
両親の想いが詰まった真の役割、そして黒猫亭が目指すべき最後の答えが、はっきりと見え始めていた。
大団円に向けた物語のギアが、静かに、そして確実に上がり始める。




