第百七十八話 朝靄の仕込みと、手彫りの看板
翌朝。まだ空が白み始めたばかりの静かな時刻、朔夜はいつものように一番に厨房へ立ち、スープの鍋に火を点けた。
トントン、トントンと、野菜を刻む包丁の規則正しい音が心地よく響く。
ふと視線を感じて足元を見ると、目をこすりながらトコトコと歩いてきたクロノが、あくびを噛み殺しながら朔夜の足にすり寄ってきた。
「おはよう、クロノ。起こしちゃったかな?」
「みぁ〜……」
「もうすぐ仕込みが終わるから、クロノの朝ご飯も準備するね」
◆
スープがふつふつと煮立つ温かな香りが満ちる中、朔夜はカウンターの隅に置いてあった小さな木箱を取り出した。
中に入っているのは、最近少しずつ彫り進めていた木製の小さな手彫り看板だ。両親が昔使っていた銘木を譲り受け、店の入口に飾る新しい案内板を作っていたのだった。
「よし、あとはこの文字を削り出すだけだ」
ノミを使って丁寧に刻み込んでいく。
『黒猫亭――あらゆる世界の旅人に、温かな一皿を』
作業を見守るように、クロノがちょこんとカウンターに座り、真剣な目つきで朔夜の手元を追いかけている。
◆
「どうかな、クロノ? うまく彫れてると思う?」
「ふにゃ〜っ!」
クロノが自慢げに「完璧ニャ!」と太鼓判を押すように鼻を鳴らした。
「ありがとう。……今日からお店の入り口に飾ろうか。どんな世界の人が来ても、ここが安心できる場所だってひと目でわかるようにね」
仕込みの湯気が朝日を浴びてキラキラと輝く。
準備は整った。今日もまた、ドアベルのあたたかな音色とともに、新しい1日が始まろうとしていた。




