第百三十六話 古い日誌と、秋の焼き菓子
一冊の古い日誌を見つけてから数日。
朔夜は変わらず黒猫亭の厨房に立ち、日々を丁寧に積み重ねていた。
日誌の言葉が頭の片隅に引っかかりつつも、目の前で美味そうに料理を食べてくれる常連たちの笑顔や、足元で喉を鳴らすクロノの温もりは、紛れもない現実だった。
「サクヤさん、こんにちは! 今日もいい匂いね」
「セレスさん、いらっしゃい。今日は琥珀芋を使った新しい焼き菓子を焼いてみたんだ」
◆
朔夜がカウンターに運んできたのは、こんがりと香ばしい焼き色がついた『琥珀芋のタルト』だった。
サクサクのパイ生地の中に、しっとりと練り上げた琥珀芋のペーストがぎっしりと詰まっている。
ほんのり効かせたラム酒の香りとバターの豊かな風味が、店内に優しく広がっていた。
「わあ……! 見た目もすごく上品で可愛いわね!」
「クロノも生地をのばすのを手伝ってくれたんだよな」
「みゃーお!」
誇らしげに胸を張るクロノの頭を、セレスは「ふふっ、えらいわねぇ」と愛おしそうに撫でた。
◆
さっそくタルトを一口食べたセレスは、うっとりと目を閉じた。
「……パイの香ばしさと、お芋の濃厚な甘みが絶妙ね。一口食べるだけで、なんだか心がホッとするわ」
「よかったです。秋も深まって肌寒くなってきましたから、温かい紅茶と一緒に味わってもらいたくて」
「サクヤさんの料理って、いつも食べた人の心を温めてくれるのよね。……まるで、ずっと昔からこの街にあったお店みたいに」
◆
セレスの何気ない一言に、朔夜はふと胸の奥が温かくなるのを感じた。
この店ごと異世界へやってきて、戸惑いながらも手探りで走り続けてきた日々。
けれど今、黒猫亭は確実にこの街の一部となり、人々の憩いの場として息づいている。
(前の店主がどんな選択をしたとしても……俺がここで紡いでいる毎日は、本物だ)
カウンター越しに笑顔を浮かべるセレスと、幸せそうに丸くなるクロノを見つめながら、朔夜は静かに心を定めた。
秋の深まりとともに、黒猫亭の絆はより一層、深くあたたかなものへと変わっていくのだった。




