第百十五話 紫雫葡萄と宝石のタルト
市場から戻った朔夜は、さっそく厨房でエプロンを締め直した。
籠の中から取り出した『紫雫葡萄』は、
朝露をまとってまるで磨かれた紫水晶のように艶やかに輝いている。
調理台の端にちょこんと座ったクロノが、
落ちてこないか見守るようにじっと視線を注いでいた。
「よし、まずはこの紫雫葡萄の瑞々しさを活かして、
秋の焼きタルトを作ってみよう」
朔夜が声をかけると、クロノは「にゃん」と短く返事をして、
しっぽでトントンと台を叩いた。
◆
しっかりと冷やしておいたタルト生地を型に敷き込み、
フォークで底に空気穴を開けていく。
その上に、香ばしいアーモンドクリームをたっぷりと絞り出した。
洗って水気を切った紫雫葡萄をひと粒ずつ並べていくと、
白いクリームの上に鮮やかな濃紫が映えて、
まるで宝石箱のような美しさになった。
「あとはこれをオーブンでじっくり焼き上げるだけだな」
天板をオーブンへと滑り込ませ、
じわりと熱が通るのを待つ。
◆
しばらくすると、バターとアーモンドの芳ばしい香りに混ざって、
葡萄の果汁がふつふつと煮詰まる甘酸っぱい香りが厨房を満たし始めた。
チーン、と軽快な音が響いて扉を開けると、
黄金色に焼き上がったタルト生地の中で、
熱でとろりと果汁を溢れさせた紫雫葡萄が湯気を立てていた。
「おお……! すごくいい焼き色だな」
朔夜が感嘆の声を上げると、クロノも身を乗り出して、
鼻をひくひくさせながら金色の瞳を丸く輝かせた。
◆
「仕上げに、表面に薄くハニードロップのシロップを塗って……よし、完成だ」
艶やかに輝くタルトを前に、朔夜は満足そうに微笑んだ。
「蜜香茶のすっきりした甘みにも、絶対に合うはずだな。
クロノ、冷めたら少しだけ果汁のところを味見してみようか」
朔夜が言うと、クロノは待ちきれない様子で
「ふにゃ〜ん」と甘えた声を響かせた。
九月の心地よい風が吹き抜ける黒猫亭に、
秋の深まりを告げる新しい甘い香りが、優しく満ちていた。




