第百十四話 朝霧の市場と小さな相談
九月の朝は、薄い霧をまとったひんやりとした空気で始まった。
店先の掃除を終えた朔夜は、買い出し用の籠を腕に掛けた。
足元では、お出かけ用の小さなマントを羽織ったクロノが、
「いつでも行けるよ」とばかりに尻尾をピンと立てて見上げている。
「よし、クロノ。今日の仕込みの前に、市場を覗いてみようか。
九月になったし、果物や野菜の顔ぶれも変わってきてるかもしれないぞ」
「にゃん!」
◆
朝霧が晴れ始めた市場には、活気ある商人たちの声が響いていた。
木箱には、夏の終わりの名残を残す柑橘類と並んで、
深みのある紫色をした葡萄に似た果実や、ずっしりと重そうな根菜類が並び始めている。
「サクヤさん、クロノちゃん、おはよう!」
果物屋のおばちゃんが、籠を覗き込みながら満面の笑みで手を振ってくれた。
「おはようございます! すっかり秋の果物が増えてきましたね」
「そうなのよ。南の丘から『紫雫葡萄』が届き始めたの。
そのまま食べても甘いし、少し煮詰めてタルトにしても美味しいよ」
◆
「紫雫葡萄……すごく綺麗で瑞々しいですね。ひと房いただけますか?」
「まいどあり! クロノちゃんには、甘い香りの小粒をおまけしとくね」
おばちゃんから手渡された籠を受け取り、
クロノは満足そうに「ふにゃ〜」と喉を鳴らした。
市場の通りを歩きながら、朔夜はふと隣のクロノを見下ろした。
「蜜香茶の焼き菓子も好評だけど、
この葡萄を使った秋のタルトやコンポートも、メニューに加えたら喜ばれそうだな」
◆
「にゃふ」とクロノが相槌を打つように短く鳴く。
澄んだ秋空の下、二人は新しい季節の香りをカゴいっぱいに詰め込んで、
黒猫亭へと続く石畳の道をのんびりと歩き出した。
九月の光に包まれた街で、
またひとつ、心弾む新しい仕込みの時間が始まろうとしていた。




