第百二話 晩夏の風と北の香り茶
八月も下旬に入り、厳しい日差しの中にも、
朝夕の風にほんの少しだけ秋の気配が混ざるようになってきた。
日中の暑さはまだ残るものの、
空の高さや風の匂いに季節の移ろいを感じる。
「少しずつ過ごしやすい時間も増えてきたな、クロノ」
厨房で仕込みをしながら朔夜が声をかけると、
カウンターでくつろいでいたクロノが「にゃふ」と小さくあくびをした。
◆
カランコロン、と涼やかなドアベルが鳴り、
麻の小袋を大事そうに抱えたレインが入ってきた。
「サクヤ、クロノ、こんにちは。前に話していた素材、手に入ったよ」
「レインさん、いらっしゃい! それは……?」
レインがカウンターの上にことりと置いた小袋の紐を解くと、
中からふわりと、どこか香ばしく甘い、独特の豊かな香りが漂い出た。
「北の山脈沿いで乾燥させて作られる『蜜香茶』の茶葉だよ。
少し涼しくなり始めた山の空気でじっくり干されていて、
淹れると花と蜜のような甘い香りが立つんだ」
◆
「わあ……! すごくいい香りですね」
朔夜が感嘆の声を上げながら茶葉を手のひらに取ると、
隣でクロノも金色の瞳をまん丸にして、
首を伸ばしてくんくんと匂いを確かめている。
(どこか故郷の焙じ茶や紅茶を思わせる、深みのある良い香りだ……)
朔夜は心の中で故郷の懐かしい香りを重ねつつ、レインに向き直った。
「これなら、そのまま淹れても美味しいですし、
ミルクと合わせて煮出したり、焼き菓子の香り付けに使っても面白そうです」
「だろ? サクヤなら美味しく使ってくれると思って、
街に戻るついでに真っ先に持ってきたんだ」
◆
「ありがとうございます、レインさん。
さっそくこの茶葉を使って、新しいお茶やお菓子の試作をしてみますね!」
「ああ、楽しみにしてるよ。完成したらまた寄らせてもらうね」
レインを見送り、厨房に戻った朔夜は
上質な茶葉を前にワクワクと道具を揃え始めた。
足元ではクロノが「どんなお茶になるのかな」とばかりに
しっぽをピーンと立てて見上げている。
晩夏の黒猫亭に、ひと足早い秋の豊かな香りと
新しい試作の時間が静かに始まろうとしていた。




