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第3話 二人目が消えた理由

 ノートを一冊、用意した。


 罫線の入った、普通の大学ノートだ。

 表紙に油性ペンで書く。


 観測記録


 大げさだとは思う。

 だが、これくらいしないと追いつかない。


 この世界は、勝手に整う。


 矛盾を残さないように。

 なかったことにするように。


 だから、俺が固定する。


 名前を。顔を。位置を。

 観測した事実を。


「……よし」


 ページを開く。


 一行目に書く。


 浅井。窓側前列。短髪。声低め。


 ペンを止める。


 昨日まで、そこにいたはずの名前。

 だがもう、実在しない。


 クラス名簿を見ても、最初から存在しないことになっている。


 それでも、俺の記録には残す。

 残して、維持する。


 できるかどうかは、分からないが。


「お兄ちゃん?」


 声がする。


 背中に、柔らかい重み。

 振り返らなくても分かる。


「……なんだ」


「なにしてるの?」


 ヨミが覗き込んでくる。

 肩越しに、ノートを見ている。


 近い。

 呼吸が、首筋にかかる。


「記録だ」


「きろく?」


「ああ。誰がどこにいるか」


「ふーん」


 ヨミは少しだけ首をかしげた。


「いらなくない?」


「いる」


「どうして?」


「消えるからだ」


 言うと、ヨミは一瞬だけ黙った。

 それから、くすっと笑う。


「消えてないよ」


「見えなくなってるだけだろ」


「同じだよ」


「違う」


 言い切る。


「俺が見てる限りは、違う」


 ヨミは、少しだけ考えるような顔をした。

 だがすぐに、興味を失ったようにノートから視線を外す。


「お兄ちゃん、むずかしいことしてるね」


「やらないと終わる」


「終わらないよ」


「終わる」


 ページをめくる。

 新しい欄を作る。


 今、存在している人間。

 それを全部、書く。


 書いて、見て、呼ぶ。

 維持する。


「……次」


 視線を教室に向ける。


 中央列の後ろ。

 女子が一人、机に頬杖をついている。


 名前を思い出す。

 思い出せる。

 まだ。


「佐藤」


 声に出す。


 女子がこちらを見る。


「……なに?」


「そこにいろ」


「は?」


 怪訝な顔。

 当然だ。


 だがいい。

 反応した。


 観測は成立している。


 ノートに書く。


 佐藤。後列中央。長髪。頬杖。


 ペン先が紙に触れる音が、妙に大きく聞こえる。


「お兄ちゃん」


 ヨミが呼ぶ。


「なんだ」


「その人、なに?」


「クラスメイトだ」


「へえ」


 ヨミはそちらを見る。

 だがやはり、焦点が合っていない。


 通り過ぎる視線。


「やっぱりぼんやりしてる」


 予想通りだ。


 ヨミは他人を観測しない。

 だから、俺がやる。


「佐藤」


 もう一度呼ぶ。


「……なに?」


「名前は?」


「は?」


「名前」


「……佐藤だけど」


「下は」


「美咲」


 書く。


 佐藤美咲。


 名前を固定する。

 存在を固定する。


 俺が観測している限り。


 ここにいる。


「お兄ちゃん」


 ヨミの声が、少し低くなる。


「こっち見て」


「今は無理だ」


「どうして?」


「見てるからだ」


「誰を?」


「他を」


「どうして?」


 ヨミの手が伸びる。

 頬に触れる。

 顔を引き戻そうとする。


「ヨミ」


「なに?」


「触るな」


「どうして?」


「集中が切れる」


「切れていいよ」


「よくない」


 視線を維持する。

 佐藤を見る。

 逸らさない。

 観測を続ける。


「お兄ちゃん」


 ヨミの声が近い。

 耳元だ。


「ねえ」


「……なんだ」


「その人、いらないよ」


 心臓が強く鳴る。


「いる」


「どうして?」


「存在してるからだ」


「してないよ」


「してる」


 言い切る。


 だが。


 佐藤の輪郭が、わずかに揺れる。

 さっきよりも、薄い。


 嫌な予感がする。


「……やめろ」


「なにを?」


「見るな」


「見てないよ」


「見てる」


「見てない」


 ヨミは笑う。


「ただね」


 一拍。


「お兄ちゃんが見てないから、弱くなってるだけ」


 違う。

 見てる。


 見てるはずだ。


 だが。


 視線が、引っ張られる。

 ヨミの方へ。


 近すぎる。

 強すぎる。


 観測の圧が違う。


「お兄ちゃん」


「……なんだ」


「ちゃんと見て」


 視線が合う。

 逸らせない。


 ヨミの顔だけが、鮮明になる。

 周囲が、ぼやける。

 世界が狭まる。


「……くそ」


 無理やり、視線を戻す。

 佐藤を見る。


 だが。


 遅い。


 輪郭が、崩れる。


「佐藤!」


 叫ぶ。


 反応はない。


 席を見る。

 机がある。

 椅子がある。


 だが。


 そこにいたはずの人間は、いない。


 最初から、いなかったみたいに。


「……三人目」


 ヨミが呟く。


「やめろ……」


「どうして?」


「今、いた」


「いなかったよ」


 ヨミは言う。


「最初から」


 世界が、それを肯定している。


 名簿も、記録も、全部。


 俺のノートだけが、異物だ。


 ページを見る。


 佐藤美咲。


 書いてある。


 だが。


 その文字が、揺れる。

 薄くなる。


「……やめろ」


 ペンでなぞる。

 強く。

 何度も。


 消させないように。


 だが。


 インクが、かすれる。

 線が、途切れる。


 名前が、読めなくなる。


「お兄ちゃん」


 ヨミが優しく言う。


「無理だよ」


「……黙れ」


「どうして?」


「維持する」


「できないよ」


 ヨミは微笑む。

 やさしく。

 確信を持って。


「お兄ちゃんが見てても」


 一拍。


「いらないものは、消える」


 息が止まる。


 つまり。


 観測だけでは足りない。


 必要かどうかが入っている。


 基準がある。

 ヨミの中に。


「……なんでだ」


「なにが?」


「誰を消すか」


「消してないよ」


「同じだ」


「違うよ」


 ヨミは首をかしげる。


「はっきりしてないものが、はっきりするだけ」


 その言葉が、妙に正しい気がしてしまう。


「お兄ちゃん」


「……なんだ」


「ねえ」


 ヨミが近づく。

 距離が、またゼロになる。


「ちゃんと見て」


 逃げられない。


「ヨミを」


 視界が埋まる。

 他が消える。

 観測が収束する。


「それでいいよ」


 やさしい声。


「それが正しいから」


 違う。

 だが。


 否定する根拠が、弱い。


 さっき証明された。


 俺の観測は、上書きされる。


「……まだだ」


「なにが?」


「まだ負けてない」


 ヨミは少しだけ驚いた顔をする。

 それから。


 くすっと笑う。


「うん」


「やってみて」


 軽い。

 あまりにも軽く、世界の話をする。


「どっちが強いか」


 ヨミは言う。


「もっとはっきりするよ」


 チャイムが鳴る。


 教室が動き出す。

 何も起きていないみたいに。


 だが俺だけが知っている。


 これは偶然じゃない。


 実験でもない。


 証明された。


 この世界は。


 観測だけでは、守れない。

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