大学祭
大学祭の一日目、我が大学は朝から大盛況であった。道行く人は、他に行くところないのかと何度インタビューしようか迷ったし、メイクをばっちりに仕上げた女性には、その一所懸命な努力のお披露目をここでするのかと戸惑った。これも、マンモス級に人が多い大学のなせる業か。
昨年、一昨年と俺は客としてしか参加をしていなかったために、物を売る側というのは非常に新鮮だ。
「いらっしゃいませ……。」
くぐもった低い声が出店に満ちて、ドラキュラに変装した時和が接客をする。クッキーを受け取った客は怖々受け取り、時々わっと大きな声を出し、客を脅かして楽しんでいる。
最上さんは俺のコスプレメイクを手伝ってくれた、知らない女性が手伝って、店の奥で懸命にクッキーを焼いている。バニラエッセンスの甘い香りを体中に纏い、男性を接客するその姿は、コスプレの通りサキュバスであった。
小林は今は店内にいない。彼は芸術学部が主催している、絵画展の受付のために席を外している。しばらくしたら、知らない女性と交代するらしい。
「いらっしゃいませ……。」
「キャー!」
やけに聞きなれた甲高い声がしたので、振り向くと誰かに背中に抱きつかれた。俺は目の辺りにも特殊メイクをしているので、通常よりも視界が悪く、
「お手を触れないでください!お手を触れないでください!」
と繰り返すことしかできなかった。
「あ、ご、ごめんなさい。血みどろ男爵様。」
振り向くと、結衣ちゃんがおどおどした様子で佇んでいた。髪にはいつもの緑の妖精と、学校指定の鞄に血みどろ男爵のキーホルダーがぶら下がっていた。
「もー駄目じゃない。お店の人に迷惑かけちゃ。」
「ごめんね。千穂ちゃん。」
「謝るのは私じゃないでしょ。」
「そうだった。」
再度頭を下げた結衣ちゃんに頭を上げるように言うと、その声で千穂には俺の正体がばれた。
「え、もしかして、お兄ちゃん?」
「あ、うん。」
「うっそー!全然違うじゃない。どうしたの、これ!」
「小林と、その友人にやってもらった。」
そう俺がいうと、何故か結衣ちゃんの鼻が高そうに両手を腰に当てた。
「いや、結衣ちゃん自身がやったんじゃないでしょうに。」
「そうだった。」
クラスの友人と両親にもお土産にと目一杯買っていき、二人は人ごみに消えていった。
「おう、藤……いや、男爵。休憩入っていいよ。休憩ついでに宣伝してきて。」
と、時和から首にプラカードをぶら下げられた俺は、時和の学部の友人と入れ替わりに学校を回ってみることにした。
この寒空の下で水着姿を晒して、笑顔を振りまいている女性達。その水面下で熾烈な争いが行われているミスコンを通り過ぎ、外の出店を回った。通り過ぎる店のほとんどがソースの香りを発している。丁度お腹が空いている俺には暴力的な香りで、ふらふらと店に並びそうだったが、屈するわけにはいかなかった。特殊メイクが落ちるので、口の周りが汚れそうなものを食べることが禁止されているからだ。残念だが仕方がない。俺はタピオカを太いストローを経由して胃に入れることで妥協した。
外を回っても食べられるものがないので、校舎内を見て回る。校舎内は展示作品しかないので、これなら男爵でも楽しめるだろう。
各教室ごとに一つの部活が占拠していて、文化系を中心に展示をしている。文芸部やイラスト部、スキューバダイビング部の展示を次々に眺めた後、小林のいる芸術学部の絵画展にやってきた。ここはただの教室ではなくて芸術学部が所有している、展示専用の部屋なため、あちこち入り組んでアーティスティックな構造になっている。
「来たよ。」
「あ!ありがとう、藤咲。はいこれ。」
小林は眼鏡を拭いていた手を止めてアンケート用紙と、ボールペンを手渡してきた。
「アンケートにご協力ください。」
「はい。」
「それと、ちょっとここで待ってて。」
「え?なんで?」
「いいから。」
小林は部屋の奥に引っ込んだかと思うと、すぐに俺のもとに戻ってきた。
「君に見せたいものがあるんだ。ついてきて。」
小林の後をついていく。両脇には俺には到底解することの出来ないような、斬新な作品が俺の横を通り過ぎていく。
「今年、君と勝負をしたよね。」
「ああ、そうだったな。えっと、確か……。」
「二回、だね。」
「あ、そうそう。写真で一回、海の絵で一回。」
「そう。僕は一勝もできずに、一敗一分け。芸術学部で頑張っているのにあれから悔しくてね。君の感性をどうにか乗り越えたくて、僕は今日まで頑張ったんだ。」
立ち止った小林の前には、何かに暗幕がかかったものが置いてあった。振り返った小林の顔には緊張感と、深いクマが刻まれている。
「じゃあ、いくね。」
小林が暗幕をバサッと取ると、イーゼルに立てかけられた一枚の肖像画が目に入った。白いキャンバスには美麗な森の、花に腰かけている妖精がいた。
結衣ちゃんだった。
それはモナリザに負けるとも劣らない美しさで、その妖精は可愛らしさも備えており、どの角度から見ても自分に笑いかけていた。ミスコンに出ていた女とは到底比べ物にならない。俺の胸の奥から何か熱いものが溢れだし、目から一筋だけ涙がこぼれた。
「嬉しいよ、僕は。君のその反応が見れただけで十分だ。ああ、泣かないでくれよ。メイクが崩れるじゃないか。」
小林もハンカチを取り出し、眼鏡を押し上げて目頭を拭った。
その後も他の作品を見て回り、アンケートの一番気にいった作品を書く欄に小林の作品を挙げた後、その場を後にした。
大学祭の熱気は昼を過ぎると更に熱くなる。外に出来た特設ステージには有志のバンドがギャンギャンとギターを掻き鳴らし、一部の女性の黄色い声が飛び交う。先ほどまで静かな空間で過ごした俺には耐えられないほどの音量だった。
「あのーすいませーん。写真いいですか?」
振り返ると、髪を茶色に染めた二人の女性がそこにいた。たしか、ミスコンに出ていた女性達だ。
「あ、もちろんいいですよ。」
快諾し、片方の女性に抱きつかれて携帯で写真を撮る。もう片方の女性と変わって今度は俺が抱きつく。普段は絶対ないシチュエーションを堪能できるのも大学祭の魔力か。それとも、血みどろ男爵のなせる業か。
二人と手を振って別れ、自分たちが出店している店へ戻るとそこは修羅場だった。
SNSでの宣伝が功を奏したのかは分からないが、店の前に長蛇の列が並んでいる。辺りには店の奥から漂う甘い香りが、列に並ぶ人たちを虜にしていた。
「おい、男爵!遅えよ!早く手伝え!」
「大盛況だな!」
「おう。これで俺も単位がもらえるってもんよ!」
レジは、時和の友人でレジのバイトをしている男がやっている。俺はその横で注文をとって商品を手渡しする仕事に就いた。
ちらりと店の奥を見ると、俺が休憩に入る前よりオーブントースターが五台増えて、七台が稼働している。男女混交四人がひっきりなしにクッキーを焼いていた。その重労働に比べると楽なものだな、俺の仕事は。
注文を聞いて、メモに書き、手渡しする。手渡しするときに手を握るとお客が喜ぶので、積極的に手を握る。楽しい。
その後は休憩もなくひっきりなしに働いて、気づけば空に月が浮かんでいた。お客さんが途絶えたのは、夕日が完全に沈んだ頃だった。店から辛うじて見える特設ステージには、お笑い芸人がネタをやっている。
「今日はこれくらいにしておこうか。」
「そうしよう。もう疲れたよ。」
店にいた人が口々にお疲れさまとねぎらい合う。店の奥にいる最上さんは魂が抜けたようにぐったりと座り込み、時和は頭を抱えてお金の計算をし、小林が明日のために広報活動をネット上で行っている。
「疲れたけど、明日の仕込みをしないと。」
「いいよ、最上さん。俺たちでやっとくから。今日は帰りなよ。」
「駄目よ。藤咲君。誰が焼くのよ。」
「……そうだね。じゃあ、焼くのは頼む。俺たちトマトを切ってくるよ。」
「お願い。材料が揃うまで私ここで休んでるわ。」
「了解。」
俺と小林と時和以外のお手伝いをしてくれる人を帰し、三人で屋上へ向かう。本来は大学の調理室を使わないといけないのだが、何せこの時間帯は混むのだ。事前に調べた結果、経済学部の屋上には水も電気も引いてあり、こっそりそこで作業をした方がいいと分かった。
「最上さん、一人残してきたけど大丈夫かな?」
「多分大丈夫じゃね?まだ人いるし。」
「そうか。」
見晴らしのいい屋上からは、外のライトアップされた屋台群と、スキューバダイビング用の屋外プールや特設ステージを眺めることができた。




