時和とその彼女の結末
秋が深まり、季節の匂いが日ごとに濃くなる。あちこちで食べ物の香りが湧き立ち、何かのスポーツを応援する声があちこちで聞こえ、歩きながら本を読む小学生が増えてきた。
それらの秋を通り過ぎ、俺は例の喫茶店に入った。奥には時和が座っている。
「おう、藤崎。悪いな、呼び出して。」
「寝てて気づかないところだったよ。」
「すまん。奢るからさ。」
「ならいいけど。で、なんだよ一体。」
「なんだと思う?」
「彼女のこと?」
時和は黙って下を向いた。
「彼女のことか……。」
俺は割高なサンドイッチと、炭酸を置いてないので割高なオレンジジュースを頼む。
「で、どうした。別れたか?」
「この写真を見てくれないか。」
彼は携帯電話で撮った、一枚の写真の写真を見せてきた。そこには外国人が映っている。
「なに?この人。」
「俺の彼女。」
「えっ?外国人じゃん。」
「うん。」
俺が以前時和に見せてもらった彼女とは全くの別人だった。
「あれ?今までの彼女と別れて新しい人と付き合い始めたの?」
写真の彼女は髪の毛は金色に染まり、化粧をして、おへそを出したパンクな服装の女性が中指を立てている。きているTシャツにはデコレーションされたドクロがあしらわれていた。
「同一人物だよ。でも、違うと思いたい。」
「事情を聞かせてくれ。」
運ばれてきたサンドウィッチとオレンジジュースを頂きながら、時和の話に耳を傾けた。
「実はな。それ、彼女の家にお呼ばれした時に見つけたものなんだ。机の上に手帳が置かれていて、その手帳には写真が一枚挟まってはみ出ていたのよ。」
「ほうほう。」
あ、このサンドウィッチ、すっげえ美味いな。なんだこれ。ええっ。すげえ。
「で、気になったんだけどさ、手帳ってプライベートなものじゃん?そんで、いけないとは思いつつも彼女がトイレに入った隙に我慢できなくて開いちゃったんだ。そしたらこの写真が。」
「なるほどね。」
オレンジジュースも、スーパーで売られている果汁百パーセントのやつより濃い味だった。
「聞いてるか?なんか、他人事みたいな顔してるけど。」
「してないしてない。」
残ったサンドウィッチをオレンジジュースで流し込み、ほんの少しだけ頭を動かした。
「彼女、姉妹はいないの?」
「一人っ子らしい。まあ、彼女の口から聞いたことだから、違うのかもしれないけど。」
「そうか。」
「そうなんだ。」
時和は未だにうなだれたままである。親しい友人の相談とはいえ、じれったいな。
「で、どうしたいの?別れるの?」
「それは……うーん。分かんない。」
ぐだぐだと考えていたって始まらないだろう。だったら、やることは一つだ。
「じゃあさ、確かめたら?」
「え?」
「今からここに呼べよ。彼女。」
「ええっ!今から?」
「うん。で、直接聞けよ。俺がついててやるから。」
「俺が彼女の写真を勝手に撮ったことがバレるよ。」
「お前のいいところは正直な……。」
「分かったよ。」
時和は携帯で彼女に電話をかけた。会話が特に弾まずに静かに時を過ごしていたので、マスターがニコニコとしていた。二十分程経って、喫茶店のドアがカランカランと開いた。入口には地味な格好をした、黒髪の優等生らしさが漂う女性が立っていた。
時和の彼女は自分が何故呼ばれたのか分からないために、訝しげな表情を浮かべている。時和の隣に座った後、お互いに初対面の挨拶を交わした。
「それで、何故私は呼ばれたのでしょう。」
小林がいつも掛けているものに形が似て丸みを帯びた眼鏡に、三つ編みを揺らしながら答える彼女の言葉には、その流暢さの中に確かに若干の発音のぎごちなさが聞きとれた。俺は時和の足を蹴り、彼の発言を促した。もじもじと、なかなか行動できない彼の姿には、大学デビューをする前の幼さが見てとれた。
「あ、あのさ。こいつ、藤崎。俺の友人なんだ。紹介したくて。」
「それは聞きました。さっき挨拶を交わしたじゃないの。」
「あ、あれ、そうだったっけ?」
「そうよ。」
時和の態度にじれったく思う。正直彼女がいない身にとっては、このやりとりが既にノロケに聞こえるので、さっさと解決したい。反面、時和の立場に立つと、なんとなく心中が穏やかでいられないのも納得いく。振り幅が大きすぎるのだ。真面目な娘が不真面目に堕ちる話はよく聞くが、逆はあまり聞かない。そう思うと、時和に親身になる気持ちが湧いてきた。
「実は時和は、あなたに謝らなければならないことがあるんだ。」
「え、何かしら。何かしたの?時君。」
「え、いや、あの、写真をね?」
「え?写真?もしかして、写真が欲しいの?私の。私ので良ければいくらでもどうぞ。」
「あ、あの、違くて。」
「写真、見ちゃったんだ。手帳に挟まっていたやつをこいつが。いつのものかは分からない。けど、そこにはあからさまに今の君とは違う君が映っていた。どういうことか、できれば聞きたい。と、彼は思っている。」
時和はじっと俯いている。彼女は何のことか分からずに一瞬固まったが、すぐになんのことか察して、ぽつりとこぼした。
「見ちゃったのね……。」
「あ、はい。そうです。」
時和はしどろもどろになりながら、彼女の言葉に反応する。しかし直視できないようだ。彼はポケットから携帯を出して、彼女に、彼女の写真の写真を見せた。
「ああこれね。不注意だったわ。」
彼女は眼鏡を外して、カバンにしまった。
「ということは認めるんですね。この写真に映った自分を。」
「認めるわ。」
彼女は三つ編みも解き、窮屈に縛られていた髪を、頭を振って労わった。
「どっちが本当の君なんだ。」
時和が、雰囲気の変わった彼女に戸惑いながらも尋ねる。
「別に、どっちも私よ。ただ、昔と考え方が変わったの。」
「こんな、百八十度にか?」
「私の中では、一度や二度の違いだけどね、時君。」
礼儀正しく揃えて座っていた足を崩して遠慮なく組む。髪を何度もとかして鏡を見る。そんな彼女に、時和は度肝を抜かれていた。俺はただ事の成り行きを見守ることしかできない。
「失望した?嫌になった?昔のことを知って。」
時和は黙って、脂が浮いた汗をかいている。俺と彼女とを見比べて顔を赤くしたり青くしたりしているが、言葉は出てこない。
「何か言ってくれないと分からないわ。あなたが落ち着くまで待とうと思うんだけど、その間手持無沙汰だから、あなたの鞄に入っている煙草をだしてもらえるかしら。大丈夫、没収なんてしないわ。」
「時和、隠れて吸ってたと思うんですけど、ばれてたんですか。」
「もちろん。時君と付き合うまで私も吸ってたもの。懐かしい匂いは微かでも鼻につくわ。」
時和は観念したのか、ラクダ絵の煙草とメタリックなライターを机に置いた。彼女はそれを取り上げて、慣れた手つきで火を点ける。右手の中指と薬指で煙草を挟み、懐かしげに吸い上げて、ゆっくりと吐き出した。
「美味しいわね、これ。」
彼女は煙草を咥えたまま、手帳から例の写真を取り出した。
「これが写真の現物よ。」
「見ても?」
「ええ。」
俺はそれを手に取って眺める。確かに、それは時和から見せてもらった写真と同じものだった。しかし、ファインダー越しじゃないせいか余計に卑猥に見える。
「日本に来てから全部改めたの。これからは真面目にならなきゃって。それは、大学の構内であなたを見かけてからそう思ったのよ。」
「藤崎、俺、どうしたら。」
時和がようやく口にした言葉はそれだった。すっかり震えて気弱になっている。染めた金髪が、今は徐々に黒くなっているかのように錯覚するほどだ。
彼女は横柄な態度を取っているものの煙草を持つ手が微かに震えている。余裕を持っているかのような言葉を選んでいるが、内心は彼女も怯えているのかもしれない。本当に時和のことが好きなのだろう。現に、彼女は別れるといった言葉を選んではいない。
俺も言葉をゆっくりと選びながら、次のように言った。
「なあ、時和。確かに清純だと思って付き合った女性が、昔はああだったと知って何となく裏切られた気がしたのかもしれない。でもさ、誰にだって変身願望はあると思うんだ。お前だってそうだろ?高校のとき、お前は馬鹿だけど、校則をばっちり守って髪も黒い男だったじゃないか。それを今はさ、金髪にして、煙草を始めてってしている訳じゃないか。彼女もさ、好きだった煙草をやめて本来の金髪を黒に染めてまでお前と一緒にいたんだぜ。変わろうとしてくれたんだぜ。俺は、お前にお似合いの人だと思うよ。」
時和はじっと、俺の言葉を吟味しているようだ。時和の彼女が畳みかける。
「大学デビューはお互い様よ。私だって、あなたのこと、最初は不真面目な人だって思って近づこうとしたんだもの。でも、本当は単位を一つも落とさないような、真面目な人だって知ってショックだったわ。でも、あなたが好きだからこそ、私は変わったのよ。写真のような女から、こんな女に。」
彼女は自分を指して言った。時和は彼女の言葉に聞き入っている。
「付き合い始めて日が浅いんだから、知らないことが多くて当然よ。もちろん、嫌だなって思うこともあるわ。あなたがスプラッタな映画に嫌な気持ちを抱いていることとかね。でもね、私、私のために色々としてくれたり、頑張ってくれる心遣いが嬉しいの。こういう純粋な心遣いって、写真のような格好をしている時には誰もしてくれなかったわ。だから、あなたはコーヒーが苦手だけど私は好きかもと考えて、ここに以前連れてきてくれたり、話を合わせるためにと苦手な映画をみたり。そういうところが嬉しいし。そして……好きなの。」
彼女は時和の手をとって言った。彼も彼女の手を握り返して言った。
「お、俺も好きだ!」
彼は一筋、涙をこぼして応えた。
お互いの真面目さと不真面目さを認め合った時和とその彼女は、お互いに抱き合った。時和は嗚咽を漏らしている。気がつけば俺たちは周囲の注目を集めていて、どこからともなく拍手が沸き起こり、喫茶店内を包みこんだ。
「ありがとな。藤咲。」
「いいよ。別に。気にするなって。」
「なんだかな。いつもお前を助けたいって思っているのに、いつも助けられてばっかりだよな。ごめんな。」
「だから、いいって。」
このまま喫茶店にいるのもなんだか気恥ずかしいので、会計をして外に出た。会計はまたも時和が持ってくれた。
外はもう夕方に差し掛かろうとしている。道路の街路樹は、絵の具をべったり塗ったような鮮やかさをもって我々を迎え、吹く風は独り身の寂しさを煽り立てた。
「寒いね。」
そう彼女が言うと、時和は羽織っていた上着を着せてあげた。
「ありがとう。でも、あなたも寒いでしょ?」
そう言って時和の腕にくっつき、笑い合っていた。
喫茶店の前で時和とその彼女と別れて、時和達を見送る。俺も反対方向の家へと向かおうとしたとき、彼女を待たせて時和が走ってきた。
「なんだ?忘れものか?」
「いや、言い忘れていたことがあって。」
「なんだよ。」
「この間お前にあげた映画のチケット、あれ、今度の日曜日だからな。」
「ああ、知ってるよ。それを言いに来たのか?メールで言えばいいのに。」
「いや、そうじゃない。……あのさ、お前もさ、もう幸せになっていいと思うんだよ。俺は。映画のチケット、二枚あるだろ?あれさ、上手く使えよ。俺にはこんな応援みたいなことしかできないけどさ。でも……頑張れよ!」
「うるせえ。……ありがとう。」
時和は彼女と去っていく。仲睦まじく歩いていく二人の姿は、俺にとって理想の恋人同士の姿だった。
俺は彼らに背を向けて家へと帰っていく。鮮やかな街路樹に挟まれて歩きながら、自分のことを想った。
……自分のことを考えるのは苦手だ。ましてや幸せなんて不確かなもの、特に考えるのは苦手だ。今まで自分は誰かに寄り添うように生きてきた。それが自分にとっての幸せだと思う。それが自分を支えてきたはずだ。しかしどうだろう。今は、いつのころからか培ってきた不安に埋もれてしまうほどにそれが自分を追いつめ始めている。自分が寄り添うだけではなく、寄り添われたい。
考えないようにしてきたことが、伝えないようにしてきたことが、後送りにしてきたことが、今になってつけを払わせようとしている。
酒でも煙草でもごまかすことのできない何かが自分の中から溢れだし、自分の服を濡らしている。それは、自分が社会に出るまでに解決しなければいけないことだ。下腹部の傷が熱くなり、自分の存在を訴える。まるで、そろそろ解決しろとでもいうように熱くうねる。押さえていた理性もたがが外れ、そして。
熱い恋心が噴き出した。誰か、自分の降り積もる不安の中から俺を連れ出してくれればいいのに。
身体が酷く冷たかった。なのに手は温かい。
未だに誰にも渡せていないチケットをポケットの中で握りしめた。




