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【来訪者は超能力者】


 アキトに初めて会ったのは、今から約一ヶ月ほど前だ。


 そのころはちょうど四月になり、浪人生活も二年目に入ったときだった。学力が 足りなかったのではない。最初から大学なんて入る気がなかったのだ。

 どうせ大学に入っても、僕には居場所なんて無いに決まっている。中学や高校のときと同じように、独りぼっちで毎日虚しさと一緒に生活をしていくのだ。賑やかに過ごす他人に囲まれながらそんな生活をするのは嫌だ。

 だから僕はわざと大学に落ちた。今の「浪人」という肩書きに守られているだけで、実際はただのニートと変わらない。


 就職もする気はない。アルバイトですら要領が悪すぎてクビになったのだ。そんな人間が、責任を問われる立場になって、きっちり働いていける訳がない。サラリーマンなんかになったが最後、上司に叱られ部下に舐められ、窓際でみじめに無駄な仕事をやらされ続けるのは目に見えている。かといって専門職に就く気にもなれない。変わった仕事に就くということは、それだけ人から好奇の目で見られてしまうということだ。これ以上人にバカにされたり妙に持ち上げられたり、勝手に期待されるのは嫌だ。


 僕は、どこにもいけなくなった。

 どこにも行くべきではないのだ。こんなクズ人間。どこに行ったって疎まれるし、嫌われるし、きっと生きている価値なんてない。

 でも死ねない。神も仏も信じていない僕は、死後の世界にまで怯えている。自分でも情けなくなるくらい臆病だ。

 どこにもいけなくなった僕は、そんな僕を自己防衛するために方法を考えた。

そしてたどり着いたのが「自分は社会に不適合な存在である」というアピールをすることだった。


 ある日を境に、僕は具体的にその「不自由さ」を表すことにした。


 身体中を包帯でぐるぐる巻いた。手も首も顔も覆った。黒いシャツとぼろぼろのデニム、黒い革製の手袋、銀のドクロが笑う指輪、そして瞳を紅く見せるカラーコンタクトを嵌めた。憧れのバンドのボーカルがやっていた格好だ。

 部屋のスピーカーから大音量でバンドの曲を流しながら、夜な夜な奇声を発した。

「うあああああああ!!」「ぎゃああああああ!!」

 最初はただの演技だったけど、日を経て次第に叫ぶのが快感になっていった。アイドルの真似をして楽しそうに踊る女の子の気持ちが、初めてわかった気がした。同じ格好をして、同じように叫んでいると、自分がバンドのあの人みたいにかっこよくなったみたいで、奇妙な恍惚感があった。

――僕は不自由だ。僕は僕の精神によって縛られている。

  さあ、絶望してくれ。僕を見下して、僕を見損なってくれ。

  そうすれば僕はずっと温かい世界に居られる。

 ある日の夜、しびれを切らして僕の部屋の前に母さんが来た。それまでは見ざる聞かざるの態度だったのだが、ようやく決心したようだ。

「キイちゃん、お願いだから静かにして!」

 ドアを叩きながら母さんが叫ぶ。いつもは穏やかな母さんが叫ぶなんて珍しいことだ。

「うるせえ、くたばれ、糞ババア!」

 ドアを思いきり蹴飛ばしながら僕も叫ぶ。向こうで小さく悲鳴が聴こえた。

 前から一度はやってみたかったのだが、実際にやってみると想像以上に気分が良い。

「どうしたんですか」

「ユウトさん……!」

 向こう側から今度は義父――ユウトさんの声が聴こえた。仕事から帰ってきていたのか。ユウトさんは妻である母さんにでもいつも敬語で話す。それが僕はむず痒くて嫌いだ。

「キイちゃんが、キイちゃんがどんどん悪い子になっていくの……もう、私どうしたらいいのか……なにがいけなかったのかしら……」

 母さんは泣いているのか、鼻をすすりながら言った。

「困りましたね。反抗期というのは誰しも訪れるものではありますが、このくらいの年となるとちょっと遅いですね。中学高校なら、自然に終わるのを待っても遅くはないのですが」

 涼しげな声で冷静に言われると腹が立ってくる。敬語なのが余計気に入らない。


 ユウトさんはまだ三十一歳で、母さんより十歳も年下だ。六年前、僕が中学生の時に父さんが死んだのだが、その時には父さんの部下として葬式に出ていたのを覚えている。もともと父さんがユウトさんを部下としてかなり可愛がっていて、母さんもユウトさんのことは父さんから聞き知っていた。

 父さんが死んでからもユウトさんは母さんと連絡を取っていたらしく、僕が気づかぬうちに親密になっていた。母さんは父さんに申し訳ないからユウトさんと男女の関係になるのは最初躊躇していたものの、いつの間にかその躊躇もなくなり、三年前に再婚することとなった。

 僕はあまり母さんの恋愛事情には首を突っ込まなかったので、具体的に二人の間になにがあったのかは知らない。いつデートしたのか、いつ結婚を決めたのか、そういったことは全く聞いてないし聞かされていない。でも、父さんが死んだあとずっと暗かった母さんが、ユウトさんのおかげか徐々に明るくなっていくのは目に見えてわかった。化粧や服も気を使うようになったし、鼻歌を歌うことも増えた。大げさかもしれないが、何歳も若返ったようだった。

 だからユウトさんに対して僕は複雑な感情を持っていた。母さんを元気に戻してくれたことには感謝している。しかし、やはり血の繋がった人間ではないし、接するのは少し気を使う。性格も冷静すぎるところがあるし、なにより僕をあくまで「息子」ではなく「妻の子供」といった感じの離れた視点から見ているような態度が辛かった。ドラマでよく見た「再婚相手」は大体、酒とギャンブルにハマりDVもするような最低の男か、息子と仲良くなりたいのになかなかなれずに苦労する善人という二つのパターンだった気がする。そのどちらにも当てはまらないような、不思議な距離感が気持ち悪いのだった。


 ユウトさんは半分嘲笑するような声色で話を続けた。


「ちょっと、ショック療法的になりますが、方法はあります。私には兄がいるのですが……まあ、変わった人でしてね。彼に任せたら、もしかしたら反抗をやめるかもしれません。というか、反抗するのも馬鹿らしくなってしまうかと……」

その時はその義理の伯父――炭谷アキトに会ったことはなかったので、どれほど「変わっている」のか知らなかった。


 その時にアキトがどれだけ変人か知っていたなら、絶対に会わなかっただろう。そして、あんな酷い仕打ちは受けなかっただろう……。


 翌日、家の前に見知らぬバイクが停まった。部屋の窓からこっそり外を見ると、ヘルメットを外した見知らぬ男がちょうど家のチャイムを押すところだった。

 音を聞く限り、母親はチャイムを聴いて「はーい」と言いながら玄関へ駆けていったようだった。しばらく話し声が聴こえた後、母親のものではない、重い足音が徐々にこちらに近づいてきた。

 階段を上りはじめる音を聴いて、部屋のドアの鍵がきちんとしまっているか確認をした。閉まっているのがわかったら、もしもの時に備え用意しておいたフルーツナイフをデニムジーンズのポケットにしのばせた。

 ドアを軽くノックする音がして、僕は思わず唾を飲んだ。

「は……はい」

「ちわー、三河屋でーす」

 低く滑らかな声が、いたって真面目な調子でふざけたことを言ってきた。なんだ三河屋って。感じていた微かな恐れは全て苛立ちに変わっていった。

「……誰ですか。ちゃんと名前を名乗ってください」

「あー、すまん。オレは炭谷アキトっちゅうもんや。君のお父さんの兄貴やで」

「……で、何の用ですか」

「んー、冷たいなあ。もう少し暖かく迎えてくれてもええんやでー」

 こんなに気の抜けるような関西弁は初めて聞いた。テレビで見ていた芸人のような鋭いものではない、眠くなるぐらいゆったりとした声だ。しかし言っていることはふざけている。

「どうせ僕を無理矢理ここから出そうとしているんでしょう? 申し訳ないですが、何を言われても僕はここから出ませんよ」

「無理矢理には出さへんよ。まあ、最初ちょっとだけ強行突破させてもらうけどな。どれどれ」

 ドアノブを二、三回ガチャガチャと回したのち、アキトは「よいしょ」と呟いた。


 次の瞬間、鍵をしていたはずのドアが開いた。

 鍵を壊したような音はしなかった。まるで魔法がかかったかのように静かに開いていた。


 ドアの向こうには、カラメル色の髪を波立たせた、細身の男が立っていた。その目は鋭く、厚い唇が不自然な笑みを浮かべている。

――こいつが、炭谷アキトか。

「君が、キイちゃんやね」

 アキトはそう言いつつ気怠げに歩き、部屋に入ってきた。

「その呼び方、やめてください」

 ドアをどうして開けられたのか考えを巡らせながらも、吐き捨てるように言った。

「勝手に人の部屋に入らないでください」

「勝手やないよ、ユウト……君のお父さんには許可得とるし」

「僕本人の許可が出てないでしょう」

「まあまあ、ええやんか。あ、アレか? 見られたない『いかがわしいもの』でもあるんか? ん?」

 アキトは厭らしくニヤニヤとしながら部屋を見渡した。

 ふと、アキトが左手の小指におもちゃの指輪をはめているのに気付いた。ルビーを模した赤いプラスチックが付いていて、かなり目立つ大きさだった。黒いレザーのジャケットの袖からその指輪がチラチラと見えるのが妙に気持ち悪くて、一瞬悪寒がした。ますます苛立ちが募り、早く帰すため僕は声を荒げる。

「帰ってください! 僕は絶対ここから出ませんよ」

「なんでや? 理由は?」

「そんなことをあなたに言う筋合いはありません」

「義理とはいえ親族やんかぁ。そんなカタいこと言わんと教えてぇな」

 アキトは僕の肩を掴み、腹が立つほど楽しそうな微笑みを向けてくる。

「やめてください……これ以上居たら……」

「居たら?」

 肩を掴んでいた手を払い、ポケットに忍ばせていたナイフをアキトの顔前に突きつけた。

「……殺すぞ」

 思ったよりも痰の絡んだ情けない声になってしまったが、計画通りにはいった。

「……ふう、しゃあないな。あんまり乱暴はしたないんやけど、こっちも死にたないんや、許してな」


 次の瞬間、アキトの瞳の奥に緑色の光が見えた。


「うぐっ……!?」

 ナイフを握っていた手が、自分の意思に従わず勝手に開いていき、ナイフは床に落ちた。同時に、僕の体は誰かに押されるように床に向かって沈み、仰向けに大の字になってしまった。

――身体が自由に動かない! どうなっているんだ?

 まるで採集された昆虫のようだ。床に釘で打ち付けられたように身動きがとれなくなって、声も出せなくなった。かろうじて目だけは動き、アキトが僕を見下ろしながら喉の奥でくつくつと笑うのが見えた。

「すまんなキイちゃん。……それにしてもまあ、男の子にしては細いな。どれどれ……ちょっと見せてぇな」

 そう呟くと、僕の体に巻いていた包帯が、蛇使いにあやつられているかのようにするすると解けて、意思をもっているかのように動き僕から離れていった。

「(やめろ!)」

 叫びたくても口は開かない。包帯はどんどん解けていき、すべて解けると、今度は服が勝手に脱げていき、半裸の状態になってしまった。

――こいつはいったい何がしたいんだ?

 まさか男が好きなのか?

「……へえ、思ったよりかわええ顔しとるな」

 アキトは僕の上に覆い被さるように寄ると、至近距離で顔を見つめ、また喉の奥でくっくっと笑いだす。首からか、香水の甘い匂いがする。

「お気づきかもしれんけど、オレな、超能力者なんやで。あらゆるものを開いたり閉じたりできんねや」

 そう言うと同時、アキトの冷たい手が僕の胸を這うように動いて、自分の顔にカッと血が集まるのがわかった。相手は男性とはいえ他人に身体を触れられるのは恥ずかしい。

「このまま動けないあんたを、好きに出来る。その口を開いて、オレの舌を入れることやって出来るんや……でも、嫌やろ?」

 煮えくり返りそうだった怒りの感情が、一気に恐怖に塗りかえられていくのを感じた。超能力者だというのが本当でも嘘でも、どちらにせよ自分がどうなってしまうかわかったもんじゃない。目で必死に「嫌だ」と訴える。

「せやったら、今は大人しくオレの言うこと聞き? 悪いことせえへんかったら、オレも君の嫌がることは無理にせえへんようにするから。な?」

 どうにか目だけで「わかったから離してくれ」と伝えようとした。アキトはそれを理解してくれたらしく、僕から離れ立ち上がった。

「もう大丈夫、動けるで」

 そう言われて口を動かすと「あ」とちゃんと声がでた。手も足も、自分の意思通りに動けるようになっていた。

 慌てて起きあがり、脱がされた服と解かれた包帯を持って部屋の隅に逃げた。

――なんなんだ。なんなんだよ、こいつ。

 目の前で起こったことが理解しきれなくて、混乱する頭とガクガク震える足を隠すように体を丸める。きっとダンゴムシが丸まるときはこんな気分なのだろう、と思った。

「そんな、まるでオレがレイプでもしたみたいやんか……って、まあ似たようなことはしてもうたけど」

「いったい、なんなんだ、今のは……」

「うーん、説明がちょっと難しいんやけどな、簡単に言えば超能力、ってやつや。あらゆる物をな、開いたり閉じたり出来んねん」

「マジかよ……なんでもいいけど、もう妙なことは止めてくれ……」

 心臓がうるさいくらいに拍動していて、目の前がチカチカしていた。さっき起こった出来事が現実なのかそうでないのかわからなかったし、それより何より、とにかくアキトから逃げたかった。あまりにもわけが分からな過ぎる。下手なお化けや絶叫アトラクションよりもずっと怖い。

「さっきのは半分冗談やから、真に受けんでええよ。いくら君が可愛え顔しとるとはいえ、さすがに親族には手は出さんから安心せい。ええか? もうユウトや奥さんに迷惑かけるようなことはしたらアカンで?」

「なるべく、しないよう努める……。だからもうさっきみたいのは勘弁してくれ」

「わかったわかった。はっはは、よっぽど効いたんやなー。トラウマ級やな、この様子やと」

 アキトは愉快そうに笑いながら言った。僕はそれに対し、怒りと恐れが同時にきて、心のなかが嵐のように荒れ狂うのだった――


 それからというもの、不本意ながらもアキトの脅しには逆らえず、狂ったフリをするのはやめた。しかし引きこもるのはやめていない。外の世界に出るのはまだ怖いから。

 アキトみたいなやつが他にもいたら困るしな。


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