【自由を手に入れた男】
炭谷アキトという名の大馬鹿野郎がいる。そいつは自分ではなんにもしないで、家族でも恋人でもない人間に炊事洗濯掃除、果ては買い物もさせているという本当に最低な野郎だ。
まあ、その最低な野郎に買い物をしてやってしまっている俺も相当の馬鹿なんだが。
いつものように、アキトの住むオンボロアパートの二階へ上る。両手にずっしりと重い買い物袋を持ちつつ。二〇五号室の前に着くと、袋を握ったままのこぶしでインターフォンのボタンを連打した。
「ほーい、今開けるー」
間抜けな声がドアの向こうから聴こえた。鍵がカチャリと解かれる音がして、ドアが開いた。アキトはよれよれのパジャマ姿で現れたが、お礼の一つも言わずに、あくびをしつつリビングルームへと戻っていった。
「おま、まだ寝る気か! ええ加減にせえ!」
慌てて中に入り、買い物袋を放るように台所の床に置いた。廊下を通って居間に入ると、アキトが雑然とした部屋の隅にある万年床の上に寝ているのを見つけた。
昼前だというのにまだ窓にカーテンがかかっていて、部屋は薄暗い。せっかくいい天気だというのにもったいない。
「あ、買っといてくれた? 食料」
「そりゃあ、どっさりと!」
寝転がっているアキトの耳を思い切り引っ張りながら言った。
――ふざけおって。コイツからはいつも、感謝の「か」の字も感じられへん。
「いてててて、ちょっ、いたいいたい」
「お前はなあ、いっつもいっつも来るたび俺に主婦みたいなことさせおって! 少しは自立したらどうや!?」
「せやかて、お前なんだかんだでやってくれるんやもん。今日も買い物ちゃんとしてくれたやんか」
「それは、買わへんとお前が餓死しそうやからや! ぜんっぜん外に出えへんやんお前」
「そりゃあ、お前という優秀な買い物マスターがおるからなあ。出かける必要ないわ。それに、大概のことはネットで出来る世の中やし」
「……お前は俺をなんやと思うてんねん」
「んー、かけがえのない友達」
「ぜっっったいウソや!」
より強く耳を引っ張る。いっそこのまま引きちぎってやろうか。
「あたたたたたた、わかった起きる起きる! 一旦、一旦離してえな」
アキトはそういうと、のそのそと体を起こし、「んー」と伸びをした。
「……あー、なんか嫌な夢見たわあ」
「あぁ? どんな夢や」
「死んだ父さんがな、オレが子供の頃ようイタズラしとったんや。オレがトイレに入るときにズボンのチャック開かへんようにしたりとか。その夢」
「お前まさかこの年になっておねしょしてへんやろうな」
「流石にオレでもそこまではせえへんわ」
ふと、先ほど置いた買い物袋のなかに卵が入っているのを思い出して、一旦それを取りに居間を出た。台所に着くと、卵を冷蔵庫に押し込みつつ、話を続ける。
「チャック開かへんようにした、ってのは、どうやってやったん? なんか仕掛けとかあんの?」
「あれ、前に言わへんかったっけ。オレの父さんは超能力者なんやで。特に何かを触らないで開け閉めしたりするのが得意やったの」
「あー、ゆうてたな。でもそれホンマかいな? 絶対お前のオトン嘘吐いてたんやと思うけどな」
中身がぎゅうぎゅうになった冷蔵庫をどうにか閉めて、アキトの傍に寄った。
「なんか洗濯するもんあるか?」
「そこにあるシャツと、あと今着とるパジャマかな」
「じゃあさっさと脱いでよこせや」
「ほーい」
部屋の隅で丸まっているシャツを引っつかむと、玄関の傍にある洗濯機に放り込んだ。
洗濯かごの中に溜まっていた衣服もぶち込んで、最後にアキトの着ていたパジャマも受け取って放り入れた。風呂場にも行ってバケツで残り湯を何杯か洗濯機に入れてから、洗剤を入れて、あとは洗濯機に任せた。
居間に戻ると、アキトはパンツ一丁でまた布団に潜っていた。
「おまえってやつは……!」
ムカつき過ぎて、逆に笑ってしまった。このままでは布団が干せない。
――こうなったら強行突破やな。
「コラッ!」
掛け布団を無理やりアキトから剥がした。まだ三十代前半だというのに腹がぽっこりと出ている醜い裸体が転がっている。
「いやーん、ハルカさんのえっちー」
「気色悪いこと言うな! お前に言われてもまっっったく嬉しないし興奮せえへん!」
「え? えっちって言われることが嬉しいの? どっちかって言うとけなされるほうが好きなわけ?」
真顔で言ったアキトに苛立ちがピークに達する。
「んなワケあるかドアホ! ええからどけっちゅうねんこのボケェ!」
怒りにまかせてアキトを丸太のように転がし、素早く敷布団を取った。
「あいててて、もー、乱暴なんやから」
「自業自得じゃボケ」
掛け布団と敷布団を窓際に運び、カーテンを開ける。部屋全体に春の暖かい日差しが広がっていく。
「ほら、折角ええ天気なんやから、窓くらい開けんと」
窓を開け、ベランダへでると、掛け布団と敷布団を干し始める。
「俺が来た時くらいしか布団干さへんのやろ。カビとかダニとか平気なんか? 不潔ったらありゃせえへんわ」
アキトにそう言っても、アキトは聞こえないふりをして答えなかった。押し入れの中から着るものを引っ張り出しているのだろう、さっきから後ろでガサゴソと音が聞こえる。
ベランダから見える公園では、親子連れが花見をしていた。
そういえばもう四月だ。世間ではちょうど新年度や新学期が始まったばかり。職業上そういったものをあまり感じないので、やっと新しい季節が訪れた実感が沸く。
きっとアキトもそんなことを感じることもなく過ごしているのだろう。考えているのは暑いか寒いかだけで、湿った夏の夜風や散歩道に転がる銀杏の匂いも感じること無く生活を続けていくのみ。ネットでなんでも買える便利な時代ではあるけれど、だからってそれだけに頼って生きていくのは寂しいとは思わないのだろうか。精神状態が心配になってしまう。
布団を干し終わり居間に戻ると、アキトがジーンズだけ履いた姿で座りこんでいた。小さなハート形の箱を不思議そうに眺めている。
「どないしたん、アキト」
「服探しとった時に、押し入れの奥の方にこれがあったんや。なんでここにあるんかなあ、って思って。こんなトコしまった覚えは無いんやけどなー」
「それ、中身は何なん?」
「わからん。確か父さんの形見って母さんが言うてた。でも、一度も開けたこと無いねん」
「なんで?」
「興味無いから」
「持てや」
呆れつつアキトの頭をはたいた。親の大事な形見を、興味無いって言えてしまうコイツは一体どういう感性と神経をしているのだろう。知り合って約十年経つが、飽きずにコイツと居られるのはそう言ったところに興味があるからなのかもしれない。
「ちょっと見してみい」
アキトから小箱を受け取り、さまざまな角度から見てみた。ピンク色のその箱は、プラスチックで出来ていた。どうやら女児向けのおもちゃのようだ。模様は何もない。振ってみると中からカラカラと、軽いものが転がる音が聞こえる。
「……開けてもええ?」
「どうぞ」
アキトがあっさり承諾したので、小箱をゆっくりと開いた。すると、中にはおもちゃの指輪と小さく畳まれたメモ用紙が入っていた。
「あー、なんか紙入ってんなあ。読んでみて」
「お、おう」
言われるまま、黄ばんだメモ用紙を開いて、書いてある文字を読み始めた。
『我が愛しの息子 アキトとユウトへ
いくら超能力が使えるとはいえ、俺は不死身じゃない。いつか必ず死ぬ時がくる。しかし、死んでしまったら俺の持っている力をそのまま失うことになる。それはもったいないことだ。
そこで父さんは考えた。俺の持つ力を『閉じ』こめれはいいじゃないか、と。
この手紙と一緒に、たぶんおもちゃの指輪が入っていると思う。それは父さんが大学生のころに母さんにプレゼントしたものだ。本当は本物の指輪をプレゼントしたかったんだが、当時は金が無かった。でも、母さんは本物の宝石のついた婚約指輪と同じようにこの指輪を大事にとっておいてくれたんだ。
婚約指輪は母さんに持っていて欲しいから、こっちの指輪を俺は常に携帯しておこうと思っている。そしてもしものことがあったら、その瞬間俺の力をこの指輪に閉じこめる。そしてお前たちに形見としてこのメモと共に渡すよう母さんに頼んでおく。
お前たちが俺の息子なら、この指輪の中の力を開けるはずだ。
力は人の役に立てるんだぞ。
じゃあ、母さんをよろしく。
父さんより』
「……やって。お前たち、ってことは、お前の弟のユウト君にもこれ渡さないとアカンのとちゃうんか? って言っても一つしかあらへんけど」
「ああ、でもユウトは父さんのこと嫌いやから。超能力も信じてへんかったし。たぶん要らんやろ」
「そうなんか……?」
「うちは父さんが関西人で母さんが東京人やったんやけど、ユウトは父さんのことがどうも嫌いやったらしくて、わざと関西弁使わへんかったもん」
「そうか、オトンとかオカンとか言わへんのは、オカンが東京人やからなんか」
「いや、『父さん』と『母さん』は、子供のころ躾けられた」
「……それは躾けられていんのに、他はアカンかったんかいな。なーんでこんなになってもうたんかなあ」
雑然とした部屋を見まわして思わずため息が出た。
「それにしても、どうやって力を解放すればええんやろ。メモにはやり方は書いてへんの?」
「書いてへん。これだけや。まあやれるだけやってみたらどうや? ……たぶん何も起こらへんと思うけどな。あ。お手洗い借りるで」
廊下に出て、トイレに入った。用を足す間、俺は考えを巡らせる。
――多分ユウト君はアキトのこともあまり好きちゃうやろな。
『開閉』で『アキト』なんて名前を付ける父親や。
『ユウト』もすごい漢字を使うに違いないわ。
きっとそういうセンスの父親が嫌いなんやろな。わかる、わかるでユウト君。
俺も『悠』で『ハルカ』なんて女みたいな名前、いつまで経っても好きになれん。
「は、ハルカーっ!」
珍しくアキトが俺を名前で呼んできた。それを聞き少し急いでトイレから出る。
「どないしたん、アキ――」
言いかけて言葉を続けられなくなった。
そこにいたのは、紛れもなくアキトだったのだが、明らかにシルエットが違った。
「なんや知らんけど、指輪つけたら、こうなった」
アキトの体は中年太りではなく、細身のすらりとした体になっていた。ぼさぼさの髪が綺麗なウエーブのついた髪になり、だらしのなかった顔つきもシャープになった。
「は? ええっ! お前の父さんの力って、物を開け閉めすることちゃうんか!? 見た目まで変わってしもたやんか」
「お、おお……ちょっと試すから、そこの冷蔵庫、見とって」
アキトの言うままに冷蔵庫を見ると、いつの間にか扉が開いていた。物がぎゅうぎゅうに詰まっていたのに耐えられなかったのだろう。
「閉じろ」
アキトが冷蔵庫に向かって言うと、冷蔵庫の扉は静かに閉まった。
「んな……アホな」
信じられない。何かのトリックが働いているに違いない。超能力なんて、そんな……。
「うわー、ホンマに力が閉じ込められてたんや! よし、次は……そうや、ええこと思いついたわ」
アキトは急に、今まで俺が見たこともない妖しげな表情をした。
「開け」
アキトが俺に向かってそう言うと、俺の着ているジャージのジッパーが勝手に下がった。手で掴んで止めようとしても、強い力で引っ張られているように止まらない。
「ふーん、服も脱がせられるんや。こいつは便利やなあ」
「お前……! オトンが書いてたやろ、人の役に立てろ、って」
「ある意味オレの役にたってるやんか。おもろい、これはいいわ。これでドアの開け閉めとかめっちゃ楽になるやん」
アキトは窓とカーテンを超能力で閉めた。
「止めんかい、アキト」
「なあハルカ」
アキトは今度は俺の目をじっと見た。瞳の奥に、緑色の光が揺らめいている。
その光の正体が気になって、思わずアキトに近づいた。
「俺のこと、どう思う?」
「……ダメ男」
――ものすごい、な。おかげで全然ほっとけない。
「『ものすごい、な。おかげで全然ほっとけない』って思ったやろ」
「な、なに」
――こいつ、俺の心を読めるんか!?
「父さんはいつもオレの嘘を見抜いてたんや。予想通り。きっと父さんは当時のオレの心を開いていたんやな」
「俺の心を、『開いた』んか?」
「そ。いやぁ、これは楽しなりそうやで。久しぶりに、外に出たくなったかもしれん」
アキトの瞳はいつもと違ってキラキラ輝き、仕草もどこか色を帯びている。フェロモンが出ているというのは、こういう状態を言うのだろうか。
「なんかお前、すごい雰囲気変わったな……。常人には操れないような、どっか変なとこを『開いて』るんやろうな。フェロモンのでるどっかを」
アキトは『そうかもなあ』と応えつつ、再びカーテンを開けた。陽の光に当たったアキトの姿は、俺が十年間見てきたアキトとは全く違う男にしか見えなかった。
それ以来、アキトは能力を試すために外へ出るようになり、不健康な生活は少しずつ直っていった。それは確かに良かったのかもしれない。しかし、指輪をつけているアキトは、いつもの穏やかな雰囲気とは違い、妙に俺は居心地の悪さを感じるのだった。




