はじめてのおうち
アリアーゼがゼリアス王国にて、盗賊団を壊滅させてからしばらく後の、グランベル王国側の執務室にて。
「王太子殿下。ゼリアス王国国境付近で壊滅した盗賊団の残党が、我が国へ逃れ、新たな盗賊団として活動を始めた模様です。すでに、討伐隊を派遣しましたが、返り討ちになりました」
「おのれ!」
王太子が拳を握り締めた瞬間だった。
「シュレム殿下。この流行りのドレスも買っていいかしら?」
ナターシャが、書類の束の上から、のんびりと問いかけた。
「ああ、いいとも! ナターシャによく似合いそうだね」
二人はドレスの見本帳を広げ、ああでもない、こうでもないと、実のない話を始めた。
事務官は、二人のやり取りを見つめたまま、小さく息をついた。
「アリアーゼ様がいらっしゃってくれたらな……」
◇
そのころ、アリアーゼとリオナはラカの村を訪れていた。
その夜、ラカの村の村長の家は、大勢の村人たちの笑い声で溢れていた。
「乾杯!」
木製のジョッキが、あちこちで高らかに鳴る。
「今年は安心して畑を耕せるぞ!」
「本当にありがとう!」
夜な夜な畑を荒らしていたやっかいな魔獣の群れは、アリアーゼとリオナによって討伐された。そのお礼の宴が催されていた。
初めての実戦に手を震わせながらも、リオナの月の魔術が魔獣の群れを眠りへと誘った。そこへアリアーゼが踏み込み、群れを率いる主を一刀のもとに斬り伏せた。
こうして村には、ようやく穏やかな日々が戻ってきたのだった。
◇
宴もひと段落した頃、村長が酒を片手に二人へ尋ねた。
「それで、あんたたちは、いったい、どうして旅をしてるんだい?」
訊かれて、アリアーゼは、ぴんと背筋を伸ばした。
「花嫁修業の旅ですわ」
「…………えっと?」
村長の動きが止まった。周りで酒を飲んでいた村人たちも、何人かが不思議そうに振り返った。初めて聞く人なら当然の反応だ。リオナは、苦笑いを浮かべるだけだった。
「ど、どうして花嫁修業なんかを?」
村長が、不思議そうに首をかしげると、アリアーゼは、少しだけ困ったように微笑んだ。
「実は、婚約破棄されましたのよ」
宴の席が、しん、と静まり返る。
「それで、お嫁さんになる夢を叶えるため、花嫁修業の旅に出ましたの」
村長はしばらく黙り込むと、大きく息を吐いた。
「こんな美しくて、立派なお嬢さんとの婚約を破棄するなんて……いったい、どれほど立派なご身分だっていうんだ!」
(……隣の国の王太子です)
リオナは、心の中でそっと答えた。
「でも、花嫁修業っていうんなら、寝床が毎日変わるより、ちゃんと家を構えた方が、修業になるんじゃないかね?」
村長がそう言うと、アリアーゼの瞳が、ぱっと輝いた。
「まあ! その発想はありませんでしたわ!」
(いや、なかったんかい!)
リオナは、叫びそうになるのをぐっと堪えた。
「わたくし、修業とは、旅をするものだとばかり思っておりましたわ」
アリアーゼは、きっぱりと言い切った。
それを聞いた村長は、ぽかんと口を開けた。
「いや、お嬢さん。それは……」
少し言いにくそうに頭をかいた。
「花嫁修業じゃなくて、武者修行じゃないかい?」
「…………」
アリアーゼの動きが止まった。
みるみるうちに、その白い頬が赤く染まっていった。
「わたくし、とんでもない勘違いをしておりましたわ……」
アリアーゼは両手で頬を押さえた。
その瞬間、宴の席に笑い声が響いた。
「は、恥ずかしいですわ……」
アリアーゼは、耳の先まで真っ赤になって俯いた。
そんな姿があまりにも可愛らしくて、リオナは思わず吹き出した。
「なるほどなあ」
村長は何度か頷いた。
「だったら、旅を続けるより、この村に腰を据えて暮らしてみるのはどうだい?」
アリアーゼとリオナは顔を見合わせる。
「あんたたちみたいな人が、この村に住んでくれたら、みんな安心して暮らせる」
村長は笑みを浮かべた。
「それに、自慢じゃないが、この村は住むにはいい所だよ。大きい街も近いし、王都まで行くのも馬車なら半日もかからん」
村長が言い終わると、アリアーゼは、ぽつりと呟いた。
「住む……」
その一言をきっかけに、彼女の思考は、一気に別の世界へと飛んだ。
◇
木漏れ日の差し込む、小さな家。庭には季節の花が咲き、小鳥のさえずりが聞こえる。
『おかえりなさい、あなた』
玄関で出迎えたアリアーゼは、嬉しそうに微笑んだ。
『ただいま、アリアーゼ』
まだ見ぬ旦那様が優しく微笑み返す。
『今日は卵焼きを焼いてみましたの』
『ありがとう。君の作る卵焼きは、世界一おいしいからね』
『まあ……♪』
二人は笑い合い、並んで食卓につく。
窓から吹き込む風が、白いカーテンをふわりと揺らし――
「アリアーゼ様?」
「…………」
「アリアーゼ様!」
「はっ!」
目の前には、心配そうな顔をしたリオナがいた。
「ぼうっとされていましたけど、大丈夫ですか?」
「え、ええ!」
アリアーゼは慌てて咳払いをする。
「少しだけ、まだ見ぬ旦那様との暮らしを想像しておりましたわ」
(また妄想してたのね……)
リオナは小さくため息をついた。
その時、アリアーゼが勢いよく立ち上がった。
「決めましたわ。リオナ、お家を探しましょう!」
リオナが返事をするより早く、村長が笑って口を開いた。
「だったら、ちょうどいい家があるよ。丘の上に、空き家があるんだ。老夫婦が住んでいたんだが、若い者たちと一緒に暮らすってんで、今は誰もいなくてね」
「まあ!」
アリアーゼの目がキラキラと輝いた。
◇
次の日の朝。
村長に案内されて、二人は丘の上まで登った。そこには、想像していたより、ずっと立派な家が建っていた。
白い壁に、緑の屋根。庭には、手入れされていた花壇の跡が、まだ残っている。
見晴らしのいい、静かな場所だった。
「素敵な、お家ですこと」
アリアーゼは、うっとりと、その家を見つめた。
「どうだい、立派な家だろう? 村でも持て余しているから、あんたたちが管理してくれるなら、好きに使ってくれてかまわないよ」
村長の申し出を、ふたりはありがたく受けることにした。
◇
二人はさっそく間取りを見て回った。
「まあ、素敵ですわ。台所がこんなに広くて」
アリアーゼは嬉しそうに微笑む。
「これなら、リオナと二人、並んでお料理ができますわね」
「えっと、それは……お料理の練習ってことですよね?」
リオナがおそるおそる尋ねると、アリアーゼは満面の笑みで振り返った。
「リオナと並んでお料理なんて、夢みたい!」
「えっと……それはどういう意味で……」
戸惑うリオナをよそに、アリアーゼはくるくると回りながら隣の部屋へと歩いていく。
リオナは急いで後を追った。
「こちらのお部屋はリオナ。こちらのお部屋は、わたくしでどうかしら?」
アリアーゼは迷いなく部屋を割り振っていく。
リオナは目を丸くした。
「えっ……わたしにも、お部屋をいただけるんですか?」
「当たり前ですわ」
アリアーゼは、きょとんとした顔で振り返る。
「これから一緒に暮らすのですもの。リオナのお部屋がなくて、どうしますの?」
「そ、そうですけど……」
リオナは、自分に与えられた部屋を見回した。窓からは丘の景色が一望できる、明るく心地よい部屋だった。
「あ、ありがとうございます!」
思わずこぼれた言葉に、アリアーゼは満足そうに頷いた。
もう一部屋、空いている部屋があったが、 アリアーゼは、その部屋については特に何も言わなかった。
(きっと、何かお考えがあるのでしょう)
リオナも深くは尋ねず、そのまま後をついていく。
――その時は、その部屋が、あんなことになるとは夢にも思っていなかった。
花嫁修業の旅は、まさかの新生活へ!
次回、アリアーゼとリオナは、初めてのお買い物へ出かけます。
※ぜひ第9話もお楽しみください!




