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婚約破棄された最強令嬢は、花嫁修業で世界を救います。でも、聖女の恋心には気づけません。〜アリアーゼの花嫁修業〜  作者: 遠崎カヲル
第六章 花嫁修業5 伝説のレシピ

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わたくし失敗いたしません

 アリアーゼが棚から古い地図を取り出した。


 この家に来たときから、あの棚にあったものだ。ゼリアス王国の全図。アリアーゼが時折、何をするでもなく眺めているのを、リオナは見たことがあった。


 アリアーゼはその地図を、卓の上にそっと広げた。


「ここが、一番上流の氾濫地点ですわね」


 アリアーゼの指が、川の曲がり角の一箇所に置かれた。


「そうだ。毎年、あの一帯が浸かる」


 アリアーゼは一つ頷くと、別な場所に指をすべらせた。


「次に、ここなのですけれど」


 少し下流の一箇所を指した。川を挟んで、農地とは反対側の場所だった。


「ここ、何もございませんわね」


「……うむ。そこは荒れ地だ。人が住むにも、農地にも適していない」


「それは結構ですわね」


 アリアーゼは、にこりと笑った。


「では、ここへ水を捨てましょう」


「……なに?」


「堤は築きませんわ。川の流れそのものを、変えようと思いますの」


 エルクードが、身を乗り出した。サリエナは表情を変えずに、素早い手つきで文字を書き留めている。


 リオナも、いつのまにか卓のそばに立っていた。


「川の流れを遮るように張り出しているこの岩盤。これを思い切って削りましょう。そうすれば、川幅が広がり、農地側への水の勢いも削がれますわ。この場所での氾濫は解決できるはずです」


 アリアーゼは一度お茶を飲んだ。


「その代わり、下流に向かう水量は増えますわね。その水をこの荒地に導こうと思いますの」


 アリアーゼは、地図上の二箇所を交互に指さした。


「……築くのではなく、岩盤を壊すのか。そして、わざと溢れさせて逃がす……」


「ええ。この荒れ地を遊水地として利用できれば、その分だけ、下へ流れる水は減りますでしょう?」


 アリアーゼの指が、さらに下流の二つの点を順になぞった。


「下流の二か所も、水量が減れば、あふれる量が減りますわ。三つとも押さえる必要などございませんの。一番上で、一度水を逃がしてやればよろしいのです」


 エルクードは、地図を見つめたまま動かなかった。


「築くのではなく……」


「壊すのですわ」


 アリアーゼが頷く。

 すぐにエルクードが言葉を続ける。


「……そして、水を止めるのではなく」


「逃がすのですわ」


 アリアーゼは、なんでもないことのように言った。


「築くより壊すほうが、シンプルでずっと楽にできますもの」


 エルクードは、しばらく口を開かなかった。


 サリエナが無表情で手帳にペンを走らせている。その勢いは、一言も書き漏らすまいとしているようだった。


「……だが、岩盤を削るというのも、容易ではないぞ」


 ようやく、エルクードが口を開いた。


「石工を何十人集めても、何年かかるか分からん」


「石工は要りませんわ。風の魔術師をお集めなさいな」


「魔術師? 風の?」


 エルクードは怪訝な表情を浮かべた。


「うふふ。岩盤は綺麗に削り取る必要はございませんのよ。百聞は一見にしかずですわ。リオナ、手伝ってくださる?」


 アリアーゼはリオナへ振り返ると、にこりと微笑んだ。


    ◇


 四人は村の外れの岩場へとやってきた。


 切り立った岩肌がむき出しになった場所だ。その下には、転がり落ちた岩が無数に散らばっていた。


「リオナ。ゴーレムさんを倒した時のことを憶えてらっしゃる? あの時と同じ様にお願いしますわね」


「ああ、関節を壊したあの手法ですね! お任せを!」


 リオナは、勢いよく袖をまくった。


 先ほどまでは国政の話だった。自分には口を挟める内容ではなかった。でも、これは、自分の得意分野だ。張り切らずにはいられない。


「あの大きいものを、お願いできるかしら」


 アリアーゼが指したのは、リオナの背丈ほどもある岩だった。


「あれくらいなら、余裕です」


 リオナは息を吸い、両手を岩へ向けた。


「大気の風よ、集え! あの岩を浮かし、放て!」


 風が渦を巻き、地面に半ば埋もれていた岩が、ずるり、と持ち上がる。土くれを落としながら、ゆっくりと宙に浮いた。


「たあっ!」


 風の向きが変わり、浮いていた岩が、ぐん、と加速した。


 どごん、と腹に響く音がした。


 岩肌が白く砕け、破片が飛び散る。ぶつけた岩のほうも、真ん中から割れて地面に落ちた。崖には、人の背丈ほどのくぼみができていた。


「……ほう」


 エルクードが、ゆっくりと崖へ歩み寄った。くぼみに手を当て、砕けた縁を指でなぞる。


「一度で、こんなにもか」


「お分かりになりまして?」


 アリアーゼが、エルクードの隣に立った。


「岩盤は、綺麗に削り取る必要などございませんの。とにかく砕いてしまえばよろしいのですわ。そして崩れた岩は、次に岩盤を削るための道具になりますでしょう?」


 エルクードは、しばらく崖のくぼみを見つめていたが、アリアーゼに振り返ると口を開いた。


「……魔術師を、何人集めればいいだろうか」


「そうですわね。手練れを十人ほど。あとは若い方でも構いませんわ。三十人もいれば」


「工期は」


「わたくしの見立てでは、一ヶ月もあれば十分ですわね」


 エルクードが、目を見開いた。


「一ヶ月だと?」


「あら、長すぎたかしら」


「逆だよ」


 エルクードは、額を押さえた。


「堤を築けば、何年かかると思っている。それを、一ヶ月」


「ですから、築かないのですわ」


 アリアーゼは、なんでもないことのように言った。


 エルクードは、しばらく黙って崖を見つめていた。

 やがて、低く息を吐く。


「……正直に言おう。まだうまくいくという確証がもてない」


「うふふ。そのお気持ちわかりますわ」


「理屈は分かった。この目で見もした。それでもだ」


 エルクードは、首を横に振った。


「先々代から続く懸案なのだぞ。それを、岩を投げて荒れ地に水を捨てれば済むなどと」


「ええ、そうでしょうね」


「加えて、国の事業だ。わたしの一存では動かせん。議会にかけ、大臣を説き、学者に諮る。そこで反対されれば、それまでだ」


 エルクードの声に、隠しきれない苛立ちが混じった。


「予算がつくかどうか、わからん」


「まあ」


 アリアーゼは、呆れた表情を見せた。


「ですから、あのお金をお使いなさいと申し上げているでしょう?」


 アリアーゼが、サリエナの抱えた箱を指さした。


「……これを?」


「もともと、わたくしに差し上げるはずだったお金ですもの。わたくしがどう使おうと、どなたも文句をおっしゃらないでしょう?」


 エルクードが、口を開いたまま固まった。


「国庫から一枚も出ませんのよ。議会も、大臣も、学者も、関係ございませんわ。うまくいかなければ、わたくしが穴を掘って遊んだだけのこと」


「…………」


「うふふ。それなら、どなたも困りませんでしょう?」


 エルクードは思案を巡らせるように目をとじていたが、ふいに笑い出した。


「ふふふ……確かにそうだな。どこからも文句の出ようがない。実にすばらしい案だ。だが……」


 エルクードは一度言葉を切ると、眉を寄せた。


「万が一何かあった場合、あなたを守れないがそれでもよろしいか?」


 その瞬間、リオナの背筋が、すっと冷えた。


 ――失敗したときの話だ。


 国が命じたのなら、失敗の責めは王家が負う。アリアーゼが勝手にやったのなら、負うのはアリアーゼひとりだ。その時にアリアーゼを守る術がない。


 この方は、そういうことを言っている。


 リオナは、思わず口を開きかけた。


「ええ、かまいませんわ」


 だが、その前にアリアーゼが答えていた。あっさりと。考える様子など、微塵もなかった。


「そのほうが、殿下も動きやすいでしょう?」


「……わかった」


 エルクードは、深く頷いた。


「代わりに、成功したときも功績を国が盗んだりはしない。そのときはあなたの功績として記録する。それだけは譲らん」


「あら。そんなもの、要りませんのに」


「わたしが要るのだよ」


    ◇


 魔術師の手配はエルクードが請け負うこととなり、日時の取り決めを済ませるとエルクードとサリエナは帰路についた。馬車が坂を下りていく。


 それを見送りながら、リオナはそっと隣を見上げた。アリアーゼは、いつもと同じ顔をしていた。


「アリアーゼ様」


「なあに?」


「あの……失敗したら、アリアーゼ様のせいになるんですよね」


「そうですわね」


「それは、その」


 言葉が続かなかった。


「リオナ。何を心配していらっしゃるの?」


 アリアーゼは、なんでもないことのように言った。


「わたくし、失敗いたしませんわ」


 そして、ふと思い出したように手を打つ。


「そうですわ、リオナ。しばらく家を空けることになりますわね。留守番はアッチムに任せましょう。二人分のお着替えを用意しなければ」


「え。わたしもですか?」


「あら。リオナはわたくしのパートナーでしょう? それに、皆のお手本になってもらわないと困りますわ」


「……あ」


 リオナは、自分の両手を見下ろした。

 さっき浮かせた岩の重さが、まだ手のひらに残っている気がした。


「一ヶ月、よろしくお願いしますわね。リオナ先生」


 アリアーゼが、にっこりと笑った。


「……その先生は、お料理のときだけにしてください」


 リオナは顔を逸らしたが、口の端が上がるのを止められなかった。

アリアーゼ流治水術。築かず、壊し、水は逃がす。しかも予算は自腹でございます。

そして失敗したときの責任も自腹。このお方、ぶれませんね。


次回、アリアーゼの治水術の効果はいかほど?

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